第1編 オトコよりも男性らしい
「よくそんなダイレクトな性格のまま、日本で生きていられるなあ」
テレビ東京プライムタイム放映の「木曜洋画劇場」で解説をつとめる映画評論家の木村奈保子を目の前にして、日本に長く在住している欧米人がよくいうセリフである。
彼らにとって、「変わった国ニッポン」で、まさに「女であって」自分を持って生き抜いている木村の生きざまは、珍しい。ただ海外の映画系やビジネスエリアで出会う欧米人からは、“ニューヨーク型キャリアウーマン”と呼ばれている。テレビ解説で見せるあの都会的な華やかなイメージは、もともと外国人が多かった国際都市・神戸生まれの土壌からきているらしい。
男性たちに媚を売る、いわゆる、女の武器を使うという芸当はもってない。信念を貫くために、男性の数倍もの努力を重ねる姿勢は、真の男女同権を目指すアメリカンマインドに根ざしている。
妥協を許さず、あくまでも堂々と男性と渡りあう木村の生き方は、いまこそ少しは理解の範疇に入るが、かつてはそうではなかった。「女なのに」「女のくせに」と思われることも多々あったことだろう。西部劇からスタートしたアメリカ映画のヒーロー像にこだわり、自分もそうなりたいと願ったところからきているという。
まわりの知り合いから「男性(オトコ)よりも男性らしい」とちゃかされるのは、嫌な気分ではないが、日本だからこそ言われるセリフであることも事実だという。
経済的にも精神的にも自立を目指した木村だからこそ、声を大にしていう。「いまの日本は、国際的に見て、男女の意識が非常に遅れている」
まず、多くの仕事場で、男性の視点がある。職場の女性をしてまず、かわいいかどうかがチェックされている。年齢や色気を中心に、「お酒を飲んでどうなるのか」「親切にすれば、惚れるかも」といった私的な好奇心からのがれられない男性は少なくない。しかも、日本の男性は、世界でもっともロマンチックではないといわれている。踊りができないなど、おしゃれなエスコートができない上に、女性を酒のサカナあつかいにする、欲したら拝みたおすか、権力を振りかざすなど、どんな手を使っても女性にモテたがるなど、自分たちの行動が、島国である日本でしか通用しないことがわかっていない。
木村はいう。
「ごく一部の洗練された頭の男性はちがいますけれどね。それは、年齢に関係なく、個人のもつセンスの問題でしょう」
(東京中日スポーツ 大下英治の深層ドキュメント「女たちの21世紀」より)(敬称略)