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シンガポール在住、昭和63年度英米語学科卒業 竹沢ゆかりさんからのお便りです。


【目次】
はじめまして
シンガポールのバス事情(2010.05.06)
シンガポールの建国記念日(2010.08.03)
シンガポールマラソン(2010.12.08)
中華系住民の宗教観や風習(2011.04.10)




はじめまして

 昭和最後(1988年)の卒業生の竹沢(旧姓・石原)ゆかりと申します。

 外大では学業よりも旅行資金づくりにアルバイトに明け暮れた学生生活を送り、卒業後は貿易会社、外資系メーカー、出産後は派遣で働いてきました。

 夫と娘(9歳)の3人でシンガポールに暮らし始めて4年になります。

 国際結婚でも駐在でもなく、主人も私もそれぞれ現地採用で仕事に就き、娘はローカルの小学校に通っており、シンガポール在住の日本人には異色ですが、きっかけは5年前にリフレッシュ休暇で家族揃って2週間旅行をしたときでした。

 それまで多忙で3人揃って夕食が食べられなかった生活に疑問を抱き、日本脱出を思い立ちました。しかし生活の糧は?海外就職のサイトを見ているとシンガポールに日本人向けの求人が多いのが目にとまりました。

シンガポールへは旅行で一度立ち寄っただけでしたが、知り合いが住んでいたこと、仕事で訪れて好きになったマレーシアの隣の国であることから親近感を持っており、早速行動に移しました。

 当時娘は小学校入学を1年後に控えた5歳、私も夫も40歳を超えており、悩んでいる余裕もなく、まずは私が偵察を兼ねて職探しに。運良くすぐに現在の職場にオファーをもらえ、2ヶ月の準備期間のうちに主人の退職手続き、引越し、と慌しく人生の再出発を切ったものでした。

シンガポールは外国人の雇用に積極的で就業ビザの取得が難しくなく、またコストのかかる駐在員を減らして日本人の現地採用を検討する日本企業が増えていることから、海外就職を目指す人には就業のチャンスがあります。

物価は日本とあまり変わりませんが、比較的治安も交通の便もよく、何より日本の食材が簡単に手に入るので、日本人には暮らしやすい国だと言えます。

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シンガポールのバス事情シンガポールのバス(2010.05.06)

 シンガポール人はよくも悪くも合理的で、言葉でも行動でも様々なところでそれを感じます。

 早口で自分の言い分をまくしたて、You agree or not? と即座に同意を求め、食事は早くて安いホーカーセンター(フードコート)で済ますのが普通で手間のかかる自炊はNG、夫婦が共働きならメイドを雇うのもごく普通のことです。女性なら料理や家事が苦手でも肩身の狭い思いをする必要がなく、出産後職場に復帰するのが普通であり、楽に生きられる社会になっています。

 食料も工業製品も海外から調達と割り切っているのも国としてひとつの生き方なのか、独立後急激に発展できたのも得意な部分に特化した割り切りの成果なのでしょう。国土が小さいことがよく生かされていて、決定事項は即座に全土に展開でき、新しいものを取り入れて浸透させるのも驚くほど早いです。特に、すべての公共交通機関が1枚のICカードで乗り降りできるというのが代表的な例です。

 そういうせっかちな国民性にして意外なのが、バスの利用です。時間はかかっても、早くて便利なMRT(地下鉄)とは違う意味で庶民の足として使い甲斐があります。

 シンガポールのバス停この狭い国土(面積は淡路島程度)で、何百という路線のバスが5〜15分毎に走っており、利用者の多い路線は2階建てバスです。バスの路線はすべて番号で表示され、バス停は通りの名前と番号(例Orchard Road B12)で認識します。バス路線を網羅したバスガイドと地図があれば必ず行き方が見つけられます。

 HDB(集合住宅)のある通りでは、バス停まで屋根があり(向かいの停留所への歩道橋も屋根つき)、極端な話、行き先が知り合いの家であれば、傘なしで雨に当たることなくバスに乗って目的地に着くことができます。

時刻表はありませんが、次のバスが何分後に来るかは、5桁の停留所コードとバス番号をSMSで送れば通知してもらうことができます。ルート探しをするのも楽しみのひとつです。路線によっては景色のいい郊外を通っていくので、時々時間に余裕のあるときはバスを使い、2階の最前列に座ってちょっとした旅行気分になれます。

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シンガポールの建国記念日シンガポールの建国記念日(2010.08.03)

 シンガポールは1965年に独立国家となり、その後ちょうど戦後の日本のような勢いで発展してきました。最近では、2008年から始まったF1グランプリ開催、2010年のユースオリンピック、といったイベントに加え、ユニバーサルスタジオ、カジノの建設など、ここ数年また急ピッチで整備が進んでいます。

開発のスピードも速く、2~3年で道路や交通網がずいぶん変わってしまうので、Street directoryも毎年更新のたびに購入しています。

シンガポールの建国記念日さて、8月9日に45回目のNational Day(建国記念日)を迎えますが、家の窓や道路沿いに国旗を掲げている光景が目立ってきました。国じゅうがシンガポールの誕生を祝う最大のイベントです。毎年ナショナルスタジアムで盛大な式典とパレードが行われるほか、この入場券は入手困難なため、各地域の広場でも仮設イベント会場で来賓を招いた式典が開催され、住民は食事、抽選会などを楽しみ、Goody bag(お楽しみ袋)をもらって帰ります。ちなみに小学校ではこの日に限らず毎朝国歌を歌い、民族・言語・宗教を問わず・・・国の幸せと発展と繁栄のために忠誠を誓うという内容の言葉を唱える習慣があります。これには最初は驚きましたが、建国当時の事情を知ると、なるほどとうなずけます。

マレーシア連邦の一部であったシンガポールの独立は、勝ち取ったわけではなく、追い出されるような形での苦渋の決断でした。中国系が大半を占めるシンガポールとマレー人優遇政策下のマレーシアとは暴動や闘争が絶えず、マレーシア首相との交渉は決裂し、独立宣言の記者会見で当時若干42歳のリー・クアンユー首相が感極まって涙を拭く姿に、前途への不安や悔しさ、複雑な心境が現れていました。シンガポールの建国記念日

このあまりにも小さな資源も何もない国が今のような発展を遂げるとは誰が想像できたでしょうか。他民族が共存することの難しさを乗り越えてきたからこそ今の幸せがあり、初等教育から民族の調和の大切さを分かち合い、伝えていくという方針は素晴らしいと思います。

”one united people”という言葉に、中国系もマレー系もインド系もシンガポール人としてのアイデンティテイを持っていて、愛国心というものがごく自然に身についています。

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シンガポールマラソンオーチャードロード(2010.12.08)

毎年12月の第一日曜日はシンガポールで最大のスポーツイベント、シンガポールマラソンが開催されます。

都会らしいビルの谷間から見晴らしのいい海岸沿いへ走り抜けるというのが従来のコースでしたが、今年はそれを大胆にリニューアルし、シンガポールの新名所を盛り込んだコースになりました。

フルマラソンは繁華街のオーチャードロードから、ハーフマラソンはセントーサ島のからのスタートでした。今回私はフルマラソンに初めて参加しました。

まだ暗い早朝5時、オーチャードロードをスタートすると、美しいクリスマスのイルミネーションの下を何万人ものランナーが走り抜けます。トンネルを抜け、フォートカニングの小高い丘を通り、チャイナタウンへ、そして金融街のシェントンウェイへ、マリーナ湾と小さなマーライオン(世界3大がっかりのひとつと言われる)を横目に橋を渡り、シンガポールフライヤー(世界最大の観覧車)を見上げ、F1ピット(レーサーの名前と国旗がそのまま残っている。小林がんばれ〜)を通り、海岸沿いのイーストコーストパークへ。

ここからは海岸沿いをひたすら走り続け、折り返して戻り、開発の著しいマリーナ地区を通ってゴール地点のシティホール方面へ向かいます。一方、同僚が参加したハーフマラソンはセントーサ島のゲートウェイブリッジをスタートし、今年オープンしたユニバーサルスタジオ(モンスターの応援つき)や島内をまわり、再びゲートウェイブリッジを渡って内陸に入り、フルマラソンと合流してゴール地点へ。

さて、この日は夜中に雨が降ったこともあり、スタート時はちょうどいい涼しさでしたが、日が昇って暑くなるに従って1kmごとの間隔が長く感じられてきました。
走行距離の表示には写真のようにランナーへのメッセージがあり、ひとつひとつ違うのですが実に的を得ているものがあります。

足の痛みもひどく、集中力も続かなくなってくると、川沿いで美しい色のカワセミや、街路樹を上っていくリスを見つけたり、地面を横切る大きなトカゲにギョッとしたり・・・痛みがピークに達して少し走っては歩き、を繰り返す中、レースの苦しさを紛らわしてくれるのはなんといってもボランティアの人々です。

給水所で水を用意してくれたり、筋肉痛にタイガーバームを出してくれるボランティア、街道で声援を送ってくれるサポーター、彼らの存在なしにはレースは成り立ちません。Go! Go! You can do it! 背中を押されるように最後の力を振り絞ってゴール!
なんとか5時間14分で完走、感無量!日頃のトレーニングが報われる一瞬でした。

 広場 イーストコースト 35km地点 ゴール近く 

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中華系住民の宗教観や風習葬儀用品店の店先(2011.04.10)

3月11日の東日本大震災は、日本から離れた我々にも無力感を思い知らされる辛い体験でした。勤務先の横浜の本社から交通機関が麻痺するので全社員に帰宅命令が出たと連絡が入り、ニュースをチェックすると信じられない津波の映像があり、その日は仕事になりませんでした。
翌週に入り災害の規模の大きさが明らかになり、誰もが日本人の顔を見ると家族は大丈夫かと話しかけてきました。

職場の同僚に熱心な仏教徒がいて、震災で亡くなった人達のためにお寺に行って祈った話を聞かせてくれました。なぜ亡くなった人になのかと聞くと、生きて助かった人達には支援があるけれど、亡くなった人の魂も助けてあげなければ、ということでした。言われてみれば日本人も黙とうはするものの、何か積極的に故人に対する行動はあっただろうか、と考えさせられました。今回はその話に関連してシンガポールに住む中華系住民の宗教観や風習について触れてみたいと思います。

ドラム缶シンガポール人の大半が住んでいるHDB(集合住宅)の階下にはドラム缶が置いてあり、紙の儀式用お金などを燃やして先祖を供養する姿をよく見かけます。それはどこでもいいわけではなく、決められた場所かお寺に行ってするのが普通です。最も多いのが7〜8月にかけてのハングリーゴーストと呼ばれる日本のお盆にあたる時期で、つい最近では4月初めの清明節でシンガポールでは祝日にはなっていませんが、先祖のお墓を掃除したり草を抜いたりして供養をする節気です。

先祖の供養には紙でつくった儀式用のお金、衣服、車、家、生活用品から贅沢品に至るまで様々なものをお供えし、これらのものを燃やすことで、故人が冥界で困らないようにする、という意味があります。マーケットの隅にそういった儀式用品の専門店を見かけますが、実に様々な紙のレプリカが売っています。お供えの品々先日の新聞ではiPod(もちろん紙のレプリカ)が売り切れたという記事もあったぐらいです。死んでからもお金や物がいるという観念が日本人には不思議に映るものです。日頃、文化だからしかたないけれど物凄い煙に近所迷惑極まりないなとぶつぶつ言って窓を閉めていたものですが、そうやって先祖に心を向ける習慣だったのかと考えることで少しずつ理解を深めていく次第です。

今回の震災で世界各地から日本に対してお見舞いや支援が寄せられていますが、彼女のような形で人知れず犠牲者に対して祈りを捧げてくれている人もたくさんいることを覚えておきたいです。

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