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国内に13、海外に9つを数える校友会支部。東京支部との交流や各支部活動の今をご紹介させていただきます。


【目次】
富山支部 第9回総会・懇親会に参加して(2011.09.07)
第1回:本場阿波おどりと徳島支部(2011.10.03)
支部連絡会に参加して(2011.10.04)
京都外大校友会大阪支部総会・懇親会に参加して(2011.11.08)
第2回:本場阿波おどりと徳島支部(2011.11.17)
和歌山支部が、「小・中学生英語スピーチコンテス」を開催! (2011.12.13)
日本学生海外移住連盟の支援活動(2012.06.08)
『たるばぁ、こじゃんとほたえた!』高知支部総会・懇親会に出席して・・・(2012.06.11)
第3回:本場阿波おどりと徳島支部(2011.07.03)
京都外国語大学校友会石川支部 総会・懇親会の報告(2016.10.20)
第24回京都外国語大学クラブハッツ親睦総会の報告(2016.10.21)
8月6日に福井支部懇親会に出席致しました!(2017.08.10)
THIS is RAKUGO 小夜姫(さよひめ)さんによる英語落語(2017.09.12)
天野治さん、古希の大冒険!「東海道五十三次 一人旅」のご出版おめでとうございます!!(2017.09.19)
昭和57年度英米語学科卒 倉澤良仁さんから皆さんへのご案内とお誘いです(2017.09.25)
学園創立70周年祝賀&校友会創立55周年記念 京都外国語大学校友会「卒業生の集い」(2017.10.20)
映画解説でおなじみの木村奈保子氏(テレビ東京系、ゴールデンタイム「木曜洋画劇場」17年間解説)が、< 映画生活30年以上に渡る期間に使用した映画資料を京都外大に寄贈されました。(2018.04.24)
京都外国語大学校友会富山支部 第12回総会・懇親会の報告(2018.8.18)
「日本と○○を繋ぐ懸け橋になりたい」とずっと思っていた夢が実現!(2018.8.27)
関東地区卒業生の皆様(2019.5.24)
関東地区卒業生の皆様へ(2019.05.29)
「京都だより6月号」 〜あっちこっちプロジェクト〜(2019.06.26)
「京都だより7月号」 〜あっちこっちプロジェクト〜(2019.08.01)
「京都だより8月号」(2019.08.28)
「京都だより9月号」(2019.09.30)
「京都だより10月号」(2019.10.31)
堀口容子さん、新刊発売(2019.11.04)
校友会福岡支部の総会懇親会(2019.11.05)
「京都だより11月号」(2019.11.30)
謹賀新年 2020!(2020.1.7)
第17回KUFS関東支部ゴルフコンペ(2020.1.23)
東京支部の活動に関してのご理解とお願い(2020.3.16)
第2回 京都アカデミアセミナー開催のご報告 (2020.2.17)
5月・6月イベント延期のお知らせ(2020.4.07)
「脳があなたの人生を変える」の著者、増田恭子さんに聞く(2020.6.22)
卒業生の皆様へ -東京支部活動に関してのご連絡とご理解のお願い-(2020.6.25)
「京都アカデミアセミナー第2シリーズ(3回連続)」開催概要(2020.6.25)
「校友会外国人留学生奨学金授与式がオンライン(遠隔)で開催!(2020.6.26)
「KUFS関東支部ゴルフコンペ」(2020.7.27)
「ロシアの今」(2020.7.28)
「京都アカデミアウィーク2020」オンライン開催のお知らせ(2020.9.10)
第17回KUFS関東支部ゴルフコンペ開催レポート(2020.10.2)
EU支部の今!(2020.10.12)
メキシコ支部の今!(2020.10.15)
「上海支部の今!」(2020.10.16)
「校友会支部の今!」(2020.10.17)
校友会和歌山支部の今!(2020.10.20)
近藤蕉肝の俳諧の世界を垣間見る 前編(2020.10.26)
世界の宝飾、銀座拠点に発信(2020.10.27)
校友会台湾支部の今!(2020.11.06)
校友会 徳島支部の今!(2020.11.07)
アルゼンチン支部の今!(2020.11.12)
Club Hat'sの今!(2020.11.13)
アルゼンチン支部 谷口庄平支部長の今! (2020.11.17)
近藤蕉肝の俳諧の世界を垣間見る 後編(2021.01.21)
校友会東京支部 ”33年の来し方を顧みる”(前編)(2021.01.18)
京都外国語大学校友会東京支部「第18回ゴルフコンペ」のご案内(2021.03.01)
校友会東京支部 ”33年の来し方を顧みる”(中編)(2021.03.02)
校友会東京支部 ”33年の来し方を顧みる”(後編)(2021.03.26)




富山支部 第9回総会・懇親会に参加して(2011.09.07)

記念シンポジウム9月に入り猛暑からようやく開放され少しずつ凌ぎやすくなって来ました。7月の東京支部総会で新幹事となりました木村健司(57F)です。

さる8月20日(土)開催の富山支部総会・懇親会に東京支部代表として参加しましたので、簡単にレポ―トさせていただきます。

当日は低気圧の影響であいにく曇り空でしたが、最高気温が30度程度とそれまでの酷暑に比べ涼しく感じられました。会場はJR富山駅から徒歩数分の「とやま自遊館」で16:00〜総会・懇親会がスタ−トしました。

まず松平秀人支部長のご挨拶から始まり、大学側からは堀川徹志副理事長、松田武学長,校友会から坂本利正会長のご挨拶と続き、乾杯後、当地の新鮮な魚介類を中心とした料理を肴に懇親会がスタ―トしました。

司会進行役は地元テレビ等でご活躍中の高木奈々さんが明るくスムーズに進められ、途中アトラクションとして全国大会No.1民謡歌手寺崎美幸さんのご出演もあり、越中八尾「おわら節」の振り付けで参加者と一緒に踊り盛り上がりました。

途中自己紹介も兼ね挨拶をした際には、3月11日の東日本大震災時の状況説明や震災を機にあらためて気付かされた人との絆の大切さや不撓不屈の精神で無事今年の東京支部の総会・懇親会が開催できたことを披露しました。

記念シンポジウム また北海道から富山にお嫁入りされた方やご主人の仕事の関係で富山に転勤された方など初参加者のご紹介と近況報告もありました。

参加人数は来賓者含め30人程度で交流も深くでき、東京支部以外の総会・懇親会の初参加で少し緊張気味でしたが、役員はじめ幹事の方々に温かく迎えられ楽しい時間を過ごさせていただきました。

今年の東京支部の集いは東京から元気を発信しようというテーマで開催しましたが、今回は富山支部の皆さまから元気をいただきました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

木村健司(昭和57年度フランス語学科卒業)



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第1回:本場阿波おどりと徳島支部(2011.10.03)

東京支部の登川です。校友会でお手伝いをさせていただいてからまだ5〜6年ですが、徳島支部との関わりのほうが長く、もう10年以上連続して参加しています。徳島支部では総会懇親会だけではなく、日本の祭り「阿波おどり」を加えた、独自の魅力があります。

平成23年度の校友会徳島支部総会懇親会も、例年固定している日程、8月14日に開催しました。8月14日は、徳島市内の中心部が踊り天国になる阿波おどり(毎年8月12日〜15日、4日間)の3日目となります。
校友会徳島支部には、本部はもちろん複数の支部から支部長の方々や、在学生、また徳島支部の家族の一部も合流します。一時は留学生が参加するときもありました。

今年は、校友会徳島支部総会懇親会と阿波おどりに東京支部から本山支部長が初参加しました。

本山支部長は8月に入ると、衣装の準備に余念がありませんでした。外大の法被と帯は徳島支部からの貸出となりますが、さらし、足袋、猿股、巾着(きんちゃく)を確実に準備し、当日の午後に、渋滞で遅延したJR高速バスで京都から徳島駅前に無事ご到着。

本山支部長は到着後に会場のホテルに直行、チェックインと着替えを済ませ、総会懇親会会場に到着しました。場所は、ほぼ毎回JR徳島駅直結のホテル宴会場です。

私の同期が神戸から連続2年目の参加となり、お昼前からスタンバイ。本山支部長をご案内した後に同期とも一時別れて自宅で着替え、再びホテルに参上しました。

会場はアクセスが便利で助かりますが、再び到着したのが開始ギリギリでした。徳島支部では、総会懇親会が始まる(酔っぱらう)前に集合写真を撮ります。今年は集合時間ギリギリの到着のため、あやうく写真に入り損なうところでしたが・・・。

写真撮影の後は、総会のあいさつを早々に終え、続く懇親会は毎回立食となり、豪勢なホテルの食事が提供されます。特に魚が美味しい!テーブル毎に様々な話しに花が咲きます。年に1度、また徳島支部でしか会えない方々が殆どです。卒業生の諸先輩方には、徳島名物のかまぼこ店のご主人、会計士さん、学校の校長先生、また、現徳島市長の奥様もいらっしゃいます。卒業された先輩方の幅広いご活躍を頼もしく思うひとときです。

宴もたけなわの頃、夜の阿波おどりに備えて宴会場の中で阿波おどりの練習が始まります。外大連(「連」とは、踊りのグループのこと)は鳴り物(楽器を奏でるメンバー、またはその楽器のこと。三味線、横笛、鼓、小太鼓、大太鼓、鉦。)の方がいないため、他の連との合同で踊ります。平成22年からは縁あって徳島の有名連「藝茶楽(げじゃらく)」との合同になりました。

宴会の途中から始まる踊りの練習時間では、まず藝茶楽の踊りを見て楽しみます。その後、連長による踊り方の指導をもとに各自が少し身体を動かした後、宴会場の中で輪を作って一緒に踊り練習します。

さて、それからは街中での踊り本番。続きは、阿波おどりの用語解説とともに続編でのお楽しみ。


【本山東京支部長のコメント】
ぞめく阿波!このワードに含まれる《空間がどよめき数百か所に上る鳴り物と無数の連の熱気と地響きの蜂須賀の国》この『ぞめき・ぞめく』の阿波独特の形容動詞は他に置き換えられない最適方言。
初めて徳島支部行事に参加。校友会本部推奨事項の校友会交流に呼応し年齢を弁えず阿波踊りに合流。親切な藝茶楽のお姉さま方に手取り足取り教わり、身をもって体得したつもりで、満座の中に・・・手と足が揃わず♪踊る阿呆に観る阿呆♪同じ阿呆なら踊らにゃ損損♪
多分、麻薬の類かも知れない♪阿波踊り♪ 大学・校友会本部役員とぞめく地「徳島」で燃焼しつくした「2011夏」でした。

登川治郎(S62年度イスパニア語学科卒)

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支部連絡会に参加して(2011.10.04)

10月1日支部連絡会に東京代表として本山支部長と共に初めて参加した。
何十年振りかの母校、まさに浦島太郎状態 正門を入った瞬間に見たことも無い校舎にウロウロ! 私の学んだ校舎はいずこへ? あの落とされた池はどこへ?
全て新しい校舎に建て替えられ、先ずは時代の流れに驚いた。


支部連絡会
全国支部長の面々、南は鹿児島から東は東京まで計11支部及びClub HAT’sと教志会計13団体の役員が参加。本部より会長を始め三役、計26名でスタート。

初めて参加した私には各支部の活動、運営を聞きそれぞれの苦労等が良く分かった。
東京、大阪等の大規模支部から地方の数名参加の支部の運営の違いも理解できた。
特に香川支部、小豆島会の現在の問題については大きな話題になり、今後は以前の香川支部は解消し現「小豆島会」が新たに香川支部として組織の改編をすることの方向性が確認された。このような問題は早く解決して貰いたい。

メインは来年、校友会設立50周年(平成24年9月29日開催予定)を迎えての議題について記念総会等の説明が本部より中間報告としてあった。当日の運営内容、記念誌、グッズ等の原案についてそれぞれ説明を受けたが私個人としては少し違和感を感じた。総会を成功さす為には当日の内容、グッズも大切であるがいかに多くのメンバーを参加させる事がポイントであると考える。その点の検討が全くされていない。目標は600名ほどの予定をしているようだが、近郊からは参加するだろうが果たして地方から、遠方からどれ位の参加出来るかが最大のポイント。また予定したいのか!それに対する配慮が全く無かった事は残念でも有り、今後のテーマとして貰いたい。

その後、懇親会に入り各支部の面々との情報交換や談笑できたことは非常に嬉しく感じた。
また大学構内で会議、懇親会が出来る場があることは我々として羨ましく思った。東京支部も来年に向けていかに動員するかに対して取り組んで行く事が我々役員の責務でも有り、叉重要性を感じ母校を後にした。京都は私にとって青春そのものであり、これを機会に何度も訪れたい。

会計監査 天野 治(昭和42年度イスパニア語学科卒業)

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京都外大校友会大阪支部総会・懇親会に参加して(2011.11.08)

大阪支部総会11月3日、兵庫県三宮にある生田神社の会館にて大阪支部総会・懇親会が開催されました。

私は、東京より、ずうずうしく、ノコノコと参加させていただきました。そんな私を温かく迎えてくださいました、大阪支部の皆さまに心より感謝いたします!

総会にて、湯口信壽支部長より、平成22年度事業報告がありました。

毎年の総会・懇親会以外に、「ゴルフ大会」、「新年互例会」、「操体教室」、「大阪レディースいけばなの会」などの様々な会を通して、ビジネスに役立つ、人生に役立つ出会いの場を提供していらっしゃるとのことでした。また、毎月、役員会を開催し、大阪支部の発展のために話し合いを重ねていらっしゃいます。そして、今回の総会は、新たな試みとして、保育室、授乳室を設け、女性会員に限り、会費を半額にするという、女性に優しい、素晴らしい企画を打ち出しています。

全国支部の中で最大規模の支部としての活動は、東京支部でもお手本とさせていただきたい内容でした。大変勉強になりました。

大阪支部の皆さま、ありがとうございました!!

Q.大阪支部なのに兵庫県の生田神社が会場なのは、なぜなのでしょう?



A.藤原紀香と陣内智則が結婚式を挙げた神社だからではありません。保育室、授乳室を準備できる会場だったからです。(ちなみに彼らの結婚式後、参拝者が3割増えたそうです。)











食事もそこそこに、司会進行をしてくださいました、植松宏行副支部長、お疲れ様でした!!




Q.さて、みなさん、縦に並んで、何をなさっているのでしょう?

A.操体バランス協会指導員の寺川智美さんによる操体の指導を受けているところです。
この操体というのは素晴らしいです。ペアーになって相手の背中をなでることで、肩こりや首こり、四十肩など、すごく改善します!




Q.さて、この3人の「美魔女」は誰でしょう?




A.私の同級生です!個人的ですみません。S54年度イスパニア語学科卒業の山本桂子さん(中)と浜崎利枝子さん(右)です。卒業以来、30年ぶりにお会いしました。
校友会はこういうことがあるから素晴らしいのです!



 S54年度イスパニア語学科卒 森田順子

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第2回:本場阿波おどりと徳島支部(2011.11.17)

徳島支部の総会懇親会を終えると、街中に繰り出す準備です。校友会の参加者は、会場を後にすると1階のホテルロビーに集合し、藝茶楽の皆さんと一緒に外に出ます。真夏の夕方6時前はまだ明るいですが、ワクワク感が高揚し始めます。阿波おどりが始まる直前から街中の主要部分が踊り専用のため車両の通行を締め出し、路線バスもルートを変えて運行しています。

ここで、阿波おどりの基本用語を以下に解説します。本文中に出てくる言葉が分からないときは、この“基本用語コーナー”に戻ってみてください。

・連(れん):踊るときのグループ、踊り手の集団。連長を先頭に列になって踊るパターンが多い。
・鳴り物(なりもの):楽器。ときどき楽器演奏者を指すこともある。鳴り物は、三味線、笛、鼓、大太鼓、締太鼓、鉦(かね)の6種。鉦(かね)のリズムは、オーケストラの指揮者のようなもの。近年は一部の連で太鼓と鉦だけ(音の大きい打楽器だけ)を使う連が流行し、鳴り物の一部としてフライパンも併用することがあるが、これは正調ではない。
・騒き(ぞめき)、あちこちの連で鳴り物を遠くで聞くとき、個々のリズムが重なり合いお腹の底に響く地鳴りのように聞こえる。その地鳴りや、祭りでの大きなざわめきのようなもの。
・演舞場:踊りを見せる場所、または見る場所。入場が有料演舞場(桟敷席とも言う)と無料演舞場の2種類ある。
・桟敷(さじき)席:踊り見物のときに座って見ることができる即席の座席。有料と無料に分かれる。有料桟敷席は、かなり大型となり、ひとつの演舞場で数千人単位の収容人数となる。
・輪踊り:交差点や一部の駐車場など、道路幅が広い場所やまとまった空間で踊り子と鳴り物が輪になって踊る場所を確保し、その中で踊ること。
・天水(てんすい):天から降る水と踊りがあれば、あとは何もいらないというほど踊りが好きな人。

阿波おどりの伴奏は2拍子。軽快なリズムが踊りやすさを演出しています。スピードやテンポは、連によって異なります。同じ連でも、踊っている最中にテンポの変化や強弱を加えて見せ場を作ることもあります。鉦がテンポを決め、他の鳴り物がそのテンポに合わせます。
踊りは、広場や演舞場がメインです。演舞場で踊るためには、当日の午前中等の時間で、事前に「踊り込み抽選会」が必要です。これは、徳島支部の幹事の皆さんが各演舞場で踊ることができるよう、抽選会に参加し、校友会で踊る場所と時間を確保しています。まさに見えないところでの縁の下の力持ちです。感謝です。

ここ数年は、総会懇親会の会場から一番近い踊り広場からスタートするケースがほとんどです。最初に踊る場所は、会場のホテルから徒歩3〜4分の場所にある、四国電力ビルに隣接する広場です。踊り広場として開放され、ここにも無料で見物できる桟敷席が作られます。桟敷席がいつも満席の場所です。藝茶楽、校友会、藝茶楽の順に面に出て鳴り物に合わせて踊ります。高張り(たかはり)提灯は、藝茶楽と校友会の両方それぞれあり、校友会のほうも藝茶楽に担当してもらっています。

ひと踊りで、汗だく。
踊ったあとにその場で休むことなく、次の時間帯で予約していた演舞場に向かいます。今年踊った2箇所目は、有料桟敷席となっている藍場浜演舞場。新町川沿いの藍場浜公園内に作られた巨大な桟敷席があります。有料で入場する5000人以上の観光客の前で踊る場所です。大勢の観光客に「京都外大」を宣伝するいい機会でもあります。また、無料演舞場と違った心地よい緊張感が味わえます。
藍場浜演舞場は、TVでよく中継している場所なのでご存知の方も多いと思いますが、有料演舞場で踊る場所は広く、長く、大きくなっています。阿波踊り演舞場の出口に向かって踊りきるまで10分以上かかります。最後には手が上がらないくらい疲れますが、鳴り物に合わせて踊りに集中し気持ちが高揚するのが自分でも分かります。

大舞台での出演を満喫した後、輪踊りです。見物する観光客に周囲を取り囲まれた状態で、混雑の中でも踊るスペースを作り丸く円を描くルートで踊ります。
観光客が飛び入りで参加することもあり、自由な雰囲気に包まれます。

色々なパターンでの踊りが一通り終わり、8時半頃には藝茶楽と分かれ解散。その後、校友会のメンバーは予約した居酒屋で2次会(3次会?)。藝茶楽の皆さんは自分達だけで踊りに行くため、雑踏の中に吸い込まれていきます。藝茶楽をはじめ有名連に所属している方々は、まさに天水(てんすい)ですね。
阿波おどり自体は、夜10時半頃まで続きます。

次回は、少しだけディープな阿波踊りの楽しみ方に迫ります。

登川治郎(S62年度イスパニア語学科卒)

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和歌山支部が、「小・中学生英語スピーチコンテス」を開催!(2011.12.13)

12月10日、和歌山市中央コミュニティーセンターで、「第18回ジョン・ケンドリック杯 小・中学生英語スピーチコンテスト」が、校友会和歌山支部が主催団体となり開催されました。和歌山支部は今年の六月に発足したばかりですが、支部最初の大きな活動として外大の建学精神である 「Pax Mundi Per Linguas -言語を通して世界の平和を- 」を掲げ今回の開催の運びとなりました。

小・中学生を対象としたこのコンテストは、1791年に通商を求めて和歌山県串本の紀伊大島・樫野に来航し、村民と交流したとされるアメリカ人船長ジョン・ケンドリック氏を顕彰する事業の一環として1992年に始まったものです。それ以来、和歌山県田辺市のボランティアの手によって育まれてきました。ここ3年間は、諸事情により大会は休止となっていましたが、本年より実行委員会機能を和歌山支部が受け継ぐこととなりました。

本大会は5・6年生を対象とした課題英文を暗誦し発表する小学生の部と自由課題による自作英文(4分)をスピーチする中学生の部の二部構成で実施されました。小学生の部の課題タイトルは、The Crow and the Fox, The Wind and the Sun, The Hair and the Tortoiseの三つで、イソップ物語に由来する題材がそれぞれ用いられました。12名の小学生は、いずれも緊張した面持ちで、身振り手振り、精一杯聴衆に語りかけようとする暗誦発表を行いました。その態度は清々しくも力強さを感じさせてくれ、会場からは大きな拍手が起こっていました。

中学生の部では、10名の生徒が、感情表現豊かに日頃の成果を披露しました。タイトルは、Let's Be Cool, My Junior High School Days, My Passion: Basketball, The Power of Rakugo など身近な題材をテーマにしたものを含め、多岐に渡りました。聴衆とのアイコンタクトをしっかりとりながら、アピールしようとする姿勢は逞しさすら感じさせるものでした。

今回の開催にあたっては、京都外国語大学、校友会がバックアップを行ない、審査員四名のうち、外大からはジェフ・バーグランド教授他三名が出席し、和歌山県からは外国人の指導助手一名が加わりました。バーグランド教授からは、生徒の発表のあと、「児童生徒への激励のことば」と題して、異文化間コミュニケーションの側面から分かりやすく英語によるコミュニケーションのコツやあり方について話され、児童生徒はもとより父兄その他の皆さんが熱心に聞き入りました。

4時間半に渡って開催されたスピーチコンテストは、審査結果の発表と講評をもって無事終了となりました。校友会支部の活動としては、社会的意義に富み外大らしさが発揮できる事業であり、今後更に発展し育っていくことを強く願いたいと思います。

 利根川正則(S51年度英米語学科卒)

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日本学生海外移住連盟の支援活動(2012.06.08)

京都外大校友会東京支部の皆様

東京支部の皆様の様々な分野での活発な活動を同支部のメールマガジン等でいつも拝見しており、皆様方のご活躍を同じ大学で学んだ一卒業生として敬服しております。

私は学生時代海外事情研究会に所属して、その外部団体である「日本学生海外移住連盟(学移連)」の活動を行っておりました。学移連は、昨年5月OB会を発足して、同年10月には母校で17大学50名のOBが参加して「日本学生海外移住連盟(学移連)OB会西日本支部を設立しました。海外事情研究会OB会も積極的に学移連OB会西日本支部の活動に参加しております。

西日本支部の活動の一環として、日系ブラジル人子弟の支援を挙げており、今般滋賀県近江八幡市の「日本ラチーノ学院」の日本語教育の補助を行うことになりました。この支援活動は、校友会有志もその趣旨に賛同して支援活動の協力をして戴いております。5月31日(木)学移連OB会西日本支部と校友会メンバーが同学院を訪れた時の出来事が京都新聞(6月1日付)に掲載されましたので、ご案内申し上げます。

こうした社会的な支援活動を行っている京都外大校友会の姿がマスコミに掲載され、母校の名声が高まって来ることは卒業生として嬉しくも、誇りに思います。

東京支部の皆さんの関西地方に住んでいる学友で、こうした支援活動に興味を示し、ボランティア活動を行いたいと云う学友を是非紹介して戴きたくお願い申し上げます。ボランティア希望者は、校友会事務局まで連絡を戴ければ幸甚です。

東京支部の益々のご発展と皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

日本ラチーノ学院

引地 正之(昭和41年度英米語学科卒)
学移連OB会西日本支部支部長
京都外大校友会常任幹事
京都外大海外事情研究会OB会顧問

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『たるばぁ、こじゃんとほたえた!』 高知支部総会・懇親会に出席して・・・(2012.06.11)

高知支部総会・懇親会31名の紳士淑女「はちきん&いごっそう」が集結した第8回京都外国語大学校友会高知支部総会・懇親会が去る5月26日ホテル日航高知旭ロイヤルで開催され東京から出席させていただきました。
校友会本部から山田勝明副会長、中口・藤本両会計、大学からは松田 武学長、長者事務局長、上羽総務課長のご列席を得、会は進行して行きました。

総会に先立ち研修会が行われ、段階の世代代表松田伸一(S45A元テレビ高知)氏による「定年退職後の挑戦!」と題し、今までの会社経験外の新たな取り組みを講演されました。難関の国家試験【マンション管理士】を突破され、管理組合理事長としてその資格を活かし組合運営に大活躍された体験談に出席者一同多くの拍手が贈られました。

総会は報告と役員の選出など多くの議案が承認され閉会となりました。引き続き行われた懇親会は、学歌斉唱、柴岡和生支部長に始まり校友会山田勝明副会長、大学松田 武学長の挨拶があり長者事務局長の乾杯で宴は始まり高知支部ならではの盛り上がりを見せました。
甘味より酒というお国柄で『土佐を代表する名酒《酔鯨》』を全員(例外者無く)で堪能し土佐の酒文化を楽しみました。旬もよく本場の「鰹のたたき」は特に存在感を示していました。

自己紹介や記念撮影、目まぐるしく席を移動し歓談なのかお酒の催促なのかアット言う間の総てが「たるばぁ、こじゃんとほたえた!」“龍馬の休日”で有名な土佐支部、否“高知支部の会でした。

注:
「たるばぁ」 :充分に、飽きるほど、納得いくくらい
「こじゃんと」:とっても、沢山、格別 
「ほたえる」 :賑やかに騒ぐ・ばか騒ぎをする の意

東京支部 本山記(H24/05/31)

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第3回:本場阿波おどりと徳島支部(2012.07.03)

今回は徳島市阿波おどりの見所からディープな世界をご紹介し、阿波おどりシリーズを一旦完結します。

いよいよ7月に入りました。阿波おどり開催まで1ヶ月とちょっとです。
阿波おどりを楽しむのは本番の8月だけではなく、別の楽しみ方もあります。ゴールデンウィークが終わる5月中旬頃からそれぞれの連が夕方から夜に掛けて公園のあちこちで阿波おどりの練習を始めます。個人個人の練習は続きますが、いよいよフォーメーション(チームワーク)の練習も本格化する時期となります。この練習時期に鳴り物を聞きながらビヤガーデンなど野外でビールを飲むのも一興です。これから祭りの時期だと予感させるワクワク感があります。

阿波おどりは徳島県内各地で開催します。一番規模の大きい「徳島市阿波おどり」は毎年8月12〜15日に開催します。校友会徳島支部は、徳島市阿波おどりの3日目に参加しています。
徳島市の次に規模が大きいのが鳴門市の8月9〜11日の3日間で、その他各市町単位で開催しています。県内で一番遅い開催が、三好市(旧池田町)で、JR阿波池田駅近くが会場で8月14〜16日の3日間の開催です。
徳島市内では、開催期間前でもこのような本番の踊りに備えて練習する連員達の踊りや裏町の踊り(後述)を見ることができます。

阿波おどり開催期間中は真夏の暑い日中に街中が踊り天国になりますが、涼しい舞台(屋内)でも阿波おどりを鑑賞できます。舞台芸術として楽しむ「選抜阿波おどり」は、前夜祭と期間中の4日間を合わせた計5日間、各ホールで開催。効果的な照明や舞台装置を駆使したストーリー性のある踊りを芝居のように仕立て上げています。街中での祭りのイメージではなく芸術の域を感じる楽しみ方です。

夜間は祭り状態、まさにカーニバル。俳優、歌手、タレント、よしもと芸人等の芸能人や有名人も多く徳島入りし、一緒に踊る連は順番待ち時間を最小限にして優先的に有料演舞場に入場してきます。

有料演舞場での見物は時間帯を分け2交代制としています。前半は演舞場の桟敷席(指定席)が取りにくくなっていますが、後半は京阪神方面からの観光客の多くが帰宅してしまうこともあり席を比較的取りやすいようです。そのため、遅くまで踊りを楽しみたい方には狙い目です。おまけに10時以降で終了間際には観光客も一緒に踊り込む「総踊り」があり、クライマックスを楽しめます。桟敷券は全国の各コンビニでも販売しています。

踊り広場を除く無料演舞場のほうは市内3箇所にあります。午後から見物客が場所取りをするため、夕方近くには殆ど満席です。ただし、夕方6時の開始から1〜2時間経つと他の演舞場への移動などでちらほらと空き席が出ます。その時間帯が無料演舞場で着席できる狙い目です。

      

ディープな世界を見たい場合は、裏町の踊りです。
飲み屋街のひとつ秋田町(あきたまち)の近くに有料演舞場「紺屋町(こんやまち)」があります。その南側の鷹匠町(たかじょうまち)、栄町(さかえまち)を中心にした料亭やバーの多い裏道で、色々な連が街中の踊りを見せてくれます。三味線だけの演奏、輪踊りなど、情緒を楽しむ方には最適な見物スポットとなっています。

もちろん、見物だけでは物足りない方のために、いつでも誰でも踊ることができるのが阿波おどりの魅力です。地方のことを卑下する現職の某都知事が公共の電波で「見るだけではつまらない祭り」といつもの無知振りを披露したことも以前ありましたが、阿波おどりには観光客を楽しませる仕掛けがあります。
一般的で有名なものが「にわか連」への参加です。観光協会が準備し、有名連と一緒に踊ることができます。着の身着のままTシャツ&ジーパンでもOKです。躍り込む前に踊りのコツを教わり有名連と一緒に練習をしてから演舞場に向かいます。
もっとディープに踊りたい、体力がありずっと踊り続けたい、気軽にいつでも踊りたい方には、新町橋北詰め(JR徳島駅側)にある「新町橋よいよい囃子」がお勧めです。4日間を通して毎年同じ場所に早々と陣取り、「地球の祭り♪」と囃し立てています。新町橋よいよい囃子は、地元ミュージシャン主導で自由さがあることから、外国人やノリのいい観光客に人気が高いスポットです。もちろん、途中合流、退出自由で何でもありです。

外大秘話:
学生時代には当時のイスパニア語学科の担当、ブラジル人の某先生も盛んに新町橋よいよい囃子で踊っていました。友人の証言によると、当時テレビドラマの後にある数分間の帯ニュースにアップで踊り姿が映っていたようです。私も一度遭遇しましたが、その後は人混みで行方が見失いました。

阿波おどり期間中に徳島入りできない方には、一般的な観光スポットとして、阿波おどり会館があります。ここには通年で踊りを楽しめるステージがあり、もちろん踊りの体験もできます。

それぞれの有名連には特徴があり見所満載ですが、観光案内書で地図や踊りのパンフレットに詳しく掲載されていますので、ここでは(の場で=ここではに変更)割愛します。
しかし、有名連以外で名人と呼ばれる四宮生十郎(しのみやせいじゅうろう)さん率いる「御座留(ござる)」について一言添えておきます。
四宮生十郎さんは1年365日、毎日練習をしています。60年以上踊り、NHKで阿波おどりを教える講師としても各地で活躍している元気な方です。御座留には、香川県内で教え子達を中心にしたグループ連「さぬき御座留」を結成し、徳島市阿波おどりでは合同で踊っています。また、徳島市阿波おどり期間前でも裏町踊りなどを積極的に行っています。街中で見掛けましたら、ぜひ足をとめて見入ってください。

さいごに
長い歴史の中で紆余曲折があった阿波おどりですが、校友会徳島支部がその流れのひとつとなっています。京都外大および卒業生が日本文化を次世代に継承することを誇りに思います。
今後も校友会各支部や現役学生の参加により、おおいに盛り上げて発展させてほしいと思います。そのためには、より多くの方が皆笑顔で参加いただくことが大切と考えます。
皆様の中で阿波おどりを楽しみたい方、にわか天水(てんすい)になってみたい方がいらっしゃいましたら、校友会(本部、または徳島支部)までご連絡ください。

東京支部をはじめ、全国の校友会支部が(やをがに変更)色々な試みを行っています。まずは参加して交流を深めることからスタートです。ひとりでも多くの卒業生が校友会に関わり、ネットワークを広げて強力な卒業生集団になることを期待しています。皆でこの夏を楽しみましょう!

<2012年“夏を楽しむ”校友会のご案内>
7月14日(土)
東京支部、マンハッタンブルー(東京都千代田区大手町)
8月14日(火)
徳島支部、ホテルクレメント徳島(徳島市寺島本町)および市内全域
 ※今年はどちらも「14日」です。

<阿波おどり豆知識など>

●阿波おどりという名称:
「阿波おどり」なのか、「阿波踊り」なのか・・・。
観光協会では「阿波おどり」と、ひらがな表記に統一しています。音声にすると同じですが、正確には「阿波おどり」を固有名詞のように使っています。

●踊り方:
「手を上げて足を運べば阿波おどり」と唄われるくらい、誰でも自由なスタイルで踊ることが魅力のひとつです。
基本は、「左手と左足を同じ方向に出す」「右手と右足を同じ方向に出す」ことです。普通に歩くと、左手と右足が同時、右手と左足が同時に出ます。同じ側の手足を同時に出すには、上半身ごとそれぞれ前に出すように大袈裟に動くとうまく行きます。また、手をできるだけ上部(頭の上)に上げ、手のひらを前方に向けると格好良く見えます。校友会徳島支部では宴会の後半に皆で練習をしますので安心して踊りに参加できます。

●「豪雨中止」の場合は?:
多少の雨でも阿波おどりを開催し雨天を吹き飛ばす(します=丁寧すぎるのですに)ことが多いです。豪雨の場合、有料桟敷席券は払い戻しとなります。
校友会徳島支部の参加に限ると、過去10年以上の間に一度だけ雨で中止になったことがあります。また、日中の大雨が夕方に晴れ上がり予定通り阿波おどりを開催した危機一髪の時もありました。
中止になったその年には、総会懇親会を行っていたホテルの同じ宴会場でテーブルを片付け、踊り場に仕立て上げてもらいました。もちろん、会場を開放して雨で行き場を失った観光客が大勢見物に訪れました。ホテル側では、ありったけの宴会用の椅子を会場に出し、観光客のための臨時桟敷席ができあがりました。校友会の阿波おどり(当時は「みやび連」と)を屋内ですが予定通り開催し、皆がハッピーになったひとときでした。

●阿波おどりの歴史:
約400年前、江戸時代に徳島城の築城を記念して、阿波国の藩主・蜂須賀家政(はちすかいえまさ)が住民に城下で城の完成を祝う踊りとして許可したのが起こりとされています。その踊りは、室町時代に京都で流行していた「風流(ふりゅう)踊り」(盆踊りの原型)が阿波に伝わり、その後に藍商人が覚えた歌舞伎やお座敷踊り、三味線流し等の芸能を取り入れて今のスタイルに近づいたとも言われています。
戦前までは、地域毎の盆踊りでしたが、戦時中に一時中断を経て戦後の焼け野原では、街の復興のために「生きること」に喜びを求めた市民が寝食を忘れて踊ったことから現在まで引き継がれました。
戦後はスタイルが徐々に変わり、淡路が発祥となる奴踊り(「みやび連」等)、大太鼓と鉦だけで迫力のリズムを刻む連(「苔作」等)、江戸時代を再現した連「花無双」などが加わり、様々です。今では、本場かつ発祥地である徳島から全国に発信する日本の祭りのひとつになっています。

登川治郎(S62年度イスパニア語学科卒)

>> 第1回へのリンク 
>> 第2回へのリンク

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京都外国語大学校友会石川支部 総会・懇親会の報告(2016.10.20)

2年に1度開催の石川支部総会・懇親会が10月15日、金沢料理で有名な兼見御亭(けんみおちん)で40名の校友が集い、アットホームな雰囲気のなか盛大に開催されました。今回は25年の長きに渡って支部の発展に寄与されてきた安田前支部長から手塚新支部長へのバトンタッチの新たな船出の記念すべき会となりました。

大学および校友会から6名、他支部から11名、石川支部23名の参加がありました。金沢は観光庁から「観光立国ショーケース」として訪日外国人旅行者を誘客するモデルケース都市としても選ばれているだけあって、観光分野の第一線でホテル勤務をする若い女子卒業生の参加が目立ちました。参加者全員、用意された和室の空間でゆったりとテーブルにつき、和み易い親睦懇親会となりました。

懇親会は新支部長の手塚さんの就任挨拶でスタート。島谷校友会会長、森田理事長総長が続いて挨拶に立たれました。他支部の出席者の紹介を挟んで、堀川副理事長による乾杯の発声へと会は進行しました。


手塚新支部長(左)、島谷校友会会長(右)。「校友会も女性の時代到来!」との声があがっていました。


森田理事長総長(左)、堀川副理事長(右)


石川支部の懇親会に参加して以前は東京支部の実行メンバーとして活躍をしてくれていた堀北さんと出会うことができました。現在、地元の石川県に戻っています。石川支部も新支部長に変わり、若手メンバーの更なる参加と協力に期待したいとのことです。

今回、懇親会に参加されていた北岡歩さんは下記のメールを後日送ってきてくれました。一部、紹介させていただきます。
「・・・・今回の総会、懇親会に参加させていただき、感じたことがありました。自分たちの同世代の方々が口をそろえて、同世代がいるか不安だった、大先輩方ばかりなのかという不安を抱えておられたと聞きました。実際は同世代の方もいらしたし、諸先輩方も皆さま優しい方ばかりで、参加できてよかったという気持ちでした。他にもそういう思いで来られなかった方もいるのではないかと思うと、もったいないことだと感じました。・・・」

今後、石川支部は北岡さんや堀北さんといった若い人たちが、手塚新支部長を支え、次の新たなステージに石川支部を牽引していかれるものと強く確信をした会でもありました。




北岡さん(左)、堀北さん(右)        安田前支部長

石川支部の集いは安田前支部長の閉会の挨拶と鬼丸鹿児島支部長の万歳三唱でもってお開きとなりました。印象に残る味わいのある石川支部の総会・懇親会でした。


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第24回京都外国語大学クラブハッツ親睦総会の報告(2016.10.21)

72名の校友を集めてのクラブハッツ親睦総会が大阪の風情溢れる中之島公会堂に併設するフレンチ&イタリアンレストランで和やかな雰囲気のなか盛大に開催されました。大学および校友会からは8名の皆さんが出席、現役学生も10名参加となり、エアライン、旅行会社、ホテルなど多彩な顔ぶれがテーブルを囲み、かつ新旧が織り混ざったバランスのとれた親睦総会となりました。

冒頭、新たに就任された垣見会長が進行をしながらの挨拶に立たれました。垣見新会長は「観光をキーワードに共通の価値観のもとで校友の互いの交流を促進しつつも助け合ってクラブハッツを盛り上げていきたい」との挨拶で会は始まりました。続いて、熊谷副学長、クラブハッツの創設メンバーである有本さん、校友会から島谷会長が挨拶に立たれました。仕事の関係で遅れて参加された中川キャリアセンター長も会の後半で挨拶に立たれました。

 
垣見新会長(写真左手)             有本常任幹事


クラブハッツはLINE グループを今後形成されると聞きました。親睦会の案内など、校友会からのハガキ案内と並行してLINEを活用することで若い人たちへのアクセスを容易にし、密にコミュにケーションを取ることで互いの関係を増幅させようとの狙いです。東京支部も、2020東京五輪開催を見据えると、MICE (Meeting, Incentive, Congress/Convention, Exhibition/Eventの略)分野の企業に勤務する人たちを中心にクラブハッツの東京バージョンもあって欲しいと感じた次第です。

式次第は下記の通りで、いい会でした。



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8月6日に福井支部懇親会に出席致しました!(2017.08.10)

校友会東京支部副支部長 青木光子

8月6日に福井支部懇親会に出席致しました。フェニックスホテルの会場に着くと全員お揃いの外大のティシャツを着られたスタッフの方々が笑顔でお迎えしてくださいました。一目でスタッフの方々とわかり、とても良かったです。

中野支部長のご挨拶、赤附Z友会副会長のご挨拶、熊谷副学長のご挨拶と乾杯の音頭で懇親会が始まりました。

出席者全員の自己PRをかねたショートスピーチも楽しく、また、特別参加の京都外大国際文化資料館の南先生率いる「熊カフェ」スタッフ5名の活動紹介も興味深いものでした。
また、福井支部の杉本さんのギター演奏と歌がありました。学生の頃よく歌ったフォークソングでしたので一瞬にしてあの当時が蘇りとても懐かしかったです。

お食事も福井の食材にこだわったお料理でとても美味しくいただきました。
あちこちに 「お*も*て*な*し」の気持ちがあふれていて、皆さんとの歓談も楽しく、あっという間に時間が過ぎてしまいました。自分の故郷に帰って来たような、とても心あたたまる素敵な懇親会でした。



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THIS is RAKUGO 小夜姫(さよひめ)さんによる英語落語 (2017.09.12)

日時: 2017年10月14日(土)
場所:京都外国語大学ラウンジ11号館2階
住所:京都市右京区西院笠目町6番地
会費:1,000円 当日お支払いください。(小学生無料。ただし小学生の場合は保護者同伴)
対象:一般市民(小学生以上)、京都外国語大学学生・OB
時間:午前 10時30分 受付開始
      11時〜12時 英語落語・ワークショップ
   午後 12時〜12時30分 交流
   
☆趣旨:日本の国際化が加速度的に進む中で来年度からは小学3粘性からも英語教育がスタートします。こどもから大人までわかり易くて面白い落語を通じて、英語の親しんで頂きたい。

★小夜姫のプロフィール
落語家の故桂枝雀氏の影響を受け英語落語の領域で過去15年間にわたり国内外で活躍中。もっと身近に「おもしろい」英語落語を目指し大活躍。大阪産経学園カルチャーセンター「英語落語」講座担当。ソレイユカルチャーサロン「小夜姫英語落語道場」開講。大坂国際交流センターで中高生のための英語落語を指導し、プチ寄席を主催している。小学・中学・高校・大学で数多く出張講座を行っている。日本人女性・英語講師・フリーの落語パフォーマーは小夜姫のみ。




主催:京都外国語大学校友会 京都支部
本部電話 075-322-6057 FAX 075-322-6220

   



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天野治さん、古希の大冒険!「東海道五十三次 一人旅」のご出版おめでとうございます!!(2017.09.19)



Q: 「東海道53次一人旅」というタイトルですが、一人旅をしようと思われた理由は何でしょうか?

A: 三つ理由があります。一つ目は、現在のスピード時代に逆行し、自分の足でゆっくり旅するのも良いではないか、違った景色が見られるのではという発想からです。二つ目は、今から300年前は老若男女、江戸から京へ、京から江戸へ、大名が参勤交代で53次を歩いていました。我々先人たちが歩いた道のりを共有し、同じ思いで53次を旅して見たいと思いました。そして、三つ目の理由は、男子の健康年齢の平均が70・42歳。まさにその歳に人生最後のアドベンチャーにチャレンジしてみたいと思いました。

Q:一人旅はいつからいつまででしたか?
A: 日時は、平成28年9月22日から10月16日までの25日間の旅でした。京都三条では外大スカウトクラブOBの後輩たちが出迎えて貰い嬉しかったです。

Q:本の内容を簡単に教えてください。
A:内容は53次順にそれぞれの宿の思い出や宿の良さを自分の目で見たままを書いています。


ありがとうございます。



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昭和57年度英米語学科卒 倉澤良仁さんから皆さんへのご案内とお誘いです(2017.09.25)

英語討論会 ”TIME FORUM” と ラジオ番組「ラジきた」の「北フォーラム」

1つ目のTIME FORUMは、「時のフォーラム」として、現代の様々な問題についての知識と認識を高め、英語討論の場におけるコミュニケーション能力の向上を図ると同時に、世界の人々との意志疎通と相互理解を深めることを目的とした会です。毎週、共通テーマ及びその他の関心ある話題について自由闊達な議論をしています。1997年のアジア金融危機の話題を共通テーマとして議論して以来、その活動は今年で20年となりました。その間、取り上げて議論してきた共通テーマは1,000を超えます。

共通テーマは、国際雑誌TIMEのカバーストーリーで取り上げられている話題としています。しかし、それはTIMEを読んでこなければいけないといった類のものではありません。毎回共通テーマを決める手間を省くため、便宜的に雑誌TIMEのカバーストーリーで取り上げているテーマを共通テーマにしているにすぎません。TIMEを読むことが参加の条件でもありません。共通テーマに割く時間は、参加者の関心度によって大きく変わってきます。通常、共通テーマだけでなく、他の多くの話題についても熱く議論をしています。

校友会の中には、TIME FORUMのような英語で自由に議論できる場を欲している方々も多くいるのではないかと思っております。どうぞご関心のある方は、一度顔を出してみてください。開催日時等は次の通りです。皆様のご参加をお待ち申し上げます。

日時: 毎週土曜日 午前10時〜正午
場所: 北区王子「北とぴあ」ビル8階会議室
   JR京浜東北線・地下鉄南北線「王子」駅、又は都電荒川線「王子駅前」駅下車、徒歩3分
参加費: 一回200円(あくまで部屋代として) ただし、初回参加者は無料

場所については、稀に8階の部屋が取れていないことがありますが、その時は、北とぴあ1階入り口の案内掲示板又は受付でご確認いただくか、倉澤までお電話ください。 何かご質問等があれば、メール、電話の何れでも結構ですから、お気軽に下記倉澤までご連絡ください。

2つ目の活動は、ラジオ放送「ラジきた」の「北フォーラム」という番組です。

東京北区のローカルのネット配信ラジオ放送「ラジきた」で「北フォーラム」という月1回の20分番組を持っています。私が世の中のことについて語ったり、ゲストをお招きしてお話をお聞きするというようなことをしています。番組関係者を含め、すべて無報酬で運営されているローカル放送なので、ご出演いただくゲストにもすべて無報酬で来ていただいていますが、ご自分の活動の紹介や宣伝には、一定程度なるかとは思います。

http://radikita.tokyo-oji.jp/

ゲストはいつも募っていますから、ご出演希望があれば、是非ご連絡ください。大歓迎です!

連絡先:倉澤 良仁 (Yoshihito Kurasawa)  
    電話:090-8052-0621
    e-mail: prehend@jcom.zaq.ne.jp
    fax:(03)5394-0159
    website: http://timeforum.jimdo.com/



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学園創立70周年祝賀&校友会創立55周年記念
京都外国語大学校友会「卒業生の集い」 (2017.10.20)



学園創立70周年と校友会創立55周年を記念する校友会「卒業生の集い」が、10月7日、京都外国語大学にて盛大に開催されました。

第一部の総会は森田記念講堂にて島谷直見校友会会長の挨拶によりスタート。役員と各支部長全員がステージ上に用意された席に座り、一人一人順番に紹介されました。会務報告、学歌斉唱と続き総会は約30分で閉会となりました。そのあと、西高等学校チアリーディング部の演技と外大吹奏楽部の演奏が行われ、中でも30名以上によるチアリーディング部の躍動感ある演技は、会場から割れんばかりの拍手喝采を受けました。


第二部の懇親会は場所を変え、リブレ(12号館)で開催されました。森田嘉一理事長・総長と豊子夫人をはじめ、多くの大学関係者、卒業生が集いました。
アトラクションは、混声合唱団ソレイユOB会の合唱、空手道部の演武、そして最大の盛り上がりは国内全16支部の「お国自慢 ふるさと産品」抽選会でした。全員にふるさと産品が当たる、空クジなしの嬉しい抽選会となりました。
中でも人気の産品は、鹿児島の芋焼酎「魔王」でした。沖縄支部は沖縄らしい「琉球ガラスのグラスセット」、和歌山支部は「紀州湯浅」の醤油と金山寺味噌といったように各支部による地域自慢の逸品が提供されました。東京支部からは「虎屋の焼き菓子」を提供させていただきました。


次回の開催は5年後です。校友会創立60周年記念です。
5年後にまた皆さんとお会いできるのを楽しみにしております!



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映画解説でおなじみの木村奈保子氏(テレビ東京系、ゴールデンタイム「木曜洋画劇場」17年間解説)が、
映画生活30年以上に渡る期間に使用した映画資料を京都外大に寄贈されました。
(2018.04.24)



Q: 木村さん、30年以上にわたる映画資料を母校に寄贈されたとのことですが。

木村氏:資料の中心は、ジャーナリスト、評論家など業界人の試写会でのみ配布されるプロ用のプレス(パンフレット)中心で、一般的には手に入れたり、購入したり出来ないものです。「木曜洋画劇場」のスタッフや弟子などが、あいうえお順に整理していたものをこのたび、スチール棚のまま母校に運んでいただきました。中にはテレビ、ラジオ用のメモなどもいろいろまぎれこんでいます。外大には映画研究部があるようで、まず、そういう方々に興味を持っていただければ幸いです。何より、世界の映画を自分の未来に活用する方向に広げていただけたら、映画ファン冥利に尽きます。

Q: 木村さんは、番組の出演だけでなく、番組制作会社として、映画番組の制作や予告編、ファッションビデオ制作を自ら手がけ、演出やプロデューサーとしてのキャリアが長いですよね。

木村氏:自分がソフトを創るにあたり、ディレクターやスタッフなど、長く新人の若者育成に力を入れてきました。母校である京都外大生に、より表現が生かされるマスコミ人への挑戦を期待しています。
そもそも、CBC(中部日本放送)の局アナでスタートしましたが、のちに洋画との関わりで、英語を生かすチャンスを得たことから世界が広がり、キャリアを通じて自己実現を果たしていきました。
語学力といった言葉そのものより、道具としての英語により、文化、ビジネス、人間関係など、人生の幅が膨大に広がっていったことは、確かです。言語がひとつでも多く身につけば、人生の選択肢が増えるんです。
圧倒的に女性が多い昨今の京都外大には、語学を武器にした女性の活躍が大いに期待されます。教師や通訳のような専門家以外にも、マスコミ、経営者や政治家など、総合的な意味で外大出身の女性の社会進出をもっともっと期待したいです。そのためには、洋画鑑賞です。この映画の観方ひとつで、自分が変われるんです。女性のあり方も欧米映画にこそ、ヒントがあります。機会があれば、伝授しますよ。」

Q:貴重な資料により、本校総長より感謝状が送られたと聞きましたが。

木村氏:実は兄とふたりとも京都外大卒なんです。父親の家業を継ぎ、兄妹で経営する貿易会社の神戸本社に感謝状を飾らせて頂きました。有難うございます。これまで、京都外大という学名は各国の人々に印象が強く、本当にいい思いをしました。めぐまれた語学の環境を大事にすべきだと、いまさらながら思います。


「京外大からの感謝状を頂きました!」ヒーローインターナショナル(株)神戸本社、社長室にて



<木村奈保子氏 紹介プロフィール>


映画評論家、作家、映像舞台演出家&プロデューサー
NAHOK(ナホック)ミュージシャンバッグ・オーナーデザイナー
CBC局アナからテレビ番組の演出、制作を経て、木曜洋画劇場、解説キャスターを17年間担当。
作家活動やダンス舞台の演出、歌と解説のシネマコンサートプロデュース公演活動ほか、昨今は音楽家のためのバッグ、NAHOK(ナホック)が世界マーケットでヒット。
デザイナー、貿易業も兼ねている。
www.kimuranahoko.com 公式ホームページ
www.nahok.com ミュージシャンバッグNAHOK(ナホック)ブランド



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京都外国語大学校友会富山支部 第12回総会・懇親会の報告(2018.8.18)


猛暑酷暑から解き放たれた8月18日、第12回目を数える富山支部総会・懇親会が「とやま自遊館」で開催されました。富山駅から徒歩10分弱の所にある「とやま自遊館」に30名の校友らが集いました。近しみ親しみ感が溢れる居心地の良い雰囲気のなか、小気味いい燒リ奈々さんの司会進行のもと、12回目の会がスタートしました。

大学からは森田嘉一理事長総長、熊谷俊樹副学長、坪倉博士秘書室長、長者善高事務局長が御来賓として駆けつけられました。杉本博司富山支部長の冒頭の挨拶に続き、校友会を代表して島谷直見会長から校友会の思いをメッセージとして送られました。続いて、森田理事長総長からは、大学の近況にも触れられながら、お祝いのご挨拶がありました。そして熊谷副学長からは国際貢献学部に関する話の後、乾杯の杯を上げられました。

校友会支部からも多くの皆さんの出席がありました。現役の学生さんや卒業して間もない若い卒業生の参加も目立ち、新旧がうまく織り成した参加者構成でした。何人か若い方達と話をしてみました。平成29年度卒の一人は地元の眼鏡店に勤務、同じく同年度卒の一人はロシアにある国立大学の日本語講師ということでした。

アトラクションとして、パラグアイの伝統芸能「ボトルダンス」が披露されました。プロのダンサーによるその踊りは美しくも圧巻でした。南米パラグアイのボトルダンスはワインボトルを積み上げて踊ります。踊るのは女性、男性はボトルを積み上げる役割です。その始まりは、壷を頭において踊っていて、その壷が割れたので、ワインボトルを置いて踊ったところ、拍手喝采を浴びたということのようです。

富山支部は若い人たちと中堅の皆さんが、杉本支部長を支え、支部の存在価値を高めていかれるものと確信をしました。会は、森島一雄元英米語学科教授の万歳三唱でもってお開きとなりました。表と裏のない本当の「おもてなし」を感じる大変印象深い富山支部の総会・懇親会でした。富山支部の皆さん、ありがとうございました!







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「日本と○○を繋ぐ懸け橋になりたい」とずっと思っていた夢が実現!(2018.8.27)


イルクーツク国立大学 日本語講師
中川 愛理

皆様、はじめまして。平成27年度に京都外国語大学外国語学部日本語学科を卒業し、29年度に同大学大学院博士前期課程実践言語教育コース日本語教育領域を修了した、中川愛理です。出身は富山県です。

京都外国語大学で過ごした学生時代は、幼い頃から抱いていた目標や夢がいくつも達成できた、とても幸せな6年間だったように思います。その一つが海外留学です。大学・大学院在学中には、オーストラリア、オランダ、マレーシアに留学し、現地の大学で教壇に立ち、日本語教師としての実務経験を得ました。どの国に行っても、日本や日本語が大好きな、やる気に満ちあふれた多くの学生との出会いがありました。また、現地で様々な人との交流を通じて、本当に多くの学びがありました。オランダで強く感じたのは、オランダと日本との差異です。オランダでは、「自由」が重要視されているからこそ、大学に入学しても合わないと思えば比較的容易に転部、退学することができ、年度末には在籍する学生数が入学した時の半分以下になっていることも「普通である」とされていることに驚きました。日本では、何事も簡単には辞められない雰囲気がありますが、だからこそ何事も真面目に頑張る「継続する力や根性」が日本人にはあると思われます。

また、マレーシアに行った際には、海外で働く日本人の役割について考えさせられる機会がありました。私が、現地で働く日本人の先生に「先生は一生マレーシアで働くつもりですか?」と質問をしたことがありました。するとその先生は「そうだね。日本にいても色々な日本語学習者と接する機会はあるだろうけど、僕がここにいないと、ここで勉強している学生と日本を繋ぐことはできないんだよ。」とおっしゃいました。その先生は60歳まで日本の学校で英語教師として働き、その後マレーシアで15年間、マレーシアと日本を繋ぐお仕事を積極的にされています。これまでも「日本と○○を繋ぐ懸け橋になりたい」という言葉を様々なところで耳にする機会がありました。しかし、実際にマレーシアと日本を繋ぐ取り組みを懸命に実行されている先生の言葉には実践者ならではの説得力があり、私の心に強く響きました。この先生に出会って以来「日本と海外を繋ぐ懸け橋か・・・私にもいつかできるかな。やってみたい!」と強く意識するようになりました。

そしてその願いを叶えるべく、海外勤務を目標に就職活動をおこないました。そして、縁あって平成30年9月からロシアの国立大学で日本語教師をさせていただけることになりました。幸せなことに学生の頃から抱いていた夢がまたひとつ叶います。私は日本語教師として、自分の国のことや学生の国のことを良く理解し、今後も私がまだ見ぬ「出会うべき人」に出会い、私にはまだ備わっていない視点や違った価値観を学んでいきたいと考えています。そして、マレーシアで出会った先生のように、近い国なのに遠いと感じてしまうロシアと日本の心の距離を少しでも近づけられるよう精進していきたいと思っています。

 これから行くロシアでも、いつまでも自分に限界を作らず、チャレンジ精神を大切にし、どこにいても、誰といても、どんなことも、どんな状況にあっても、自分から楽しむことを忘れず、周りの人を笑顔にできるような、そんな魅力のある人、日本語教師になれるよう、努力を続けたいです。

 このような考えに至れるようになったのも、海外に強いパイプを持つ京都外国語大学だからこそだと思い、大学には本当に感謝しています。先輩方、ロシアにいらっしゃる際は、ぜひ私の学生のゲストスピーカーとして御来校ください。



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関東地区卒業生の皆様(2019.5.24)


私は昭和56年度フランス語学科卒業の梅澤昌嗣(うめざわまさし)と申します。
現在は学生時代を過ごした京都市西京区に住んでいて校友会本部では会計を務めています。何年か前の関東地区卒業生の集いに京都からSkypeでお邪魔しましたので覚えていただいている方もいらっしゃるかもしれませんね。

利根川支部長から熱烈なリクエストをいただき、こうして皆さま方に向けて「京都だより」をお届けする運びとなりました。どうぞよろしくお付き合いのほどお願いいたします。

今年は5月1日に天皇陛下が即位されたことで史上最長の大型連休となったゴールデンウィークですが、毎年4月の終わりには京都市の南部、鳥羽にある鳥羽水環境保全センターで「鳥羽の藤」、5月に入ると蹴上浄水場(都ホテルの隣にあります)で「蹴上のつつじ」が一般公開されます。
今回、私は5月3日に蹴上の浄水場に行き、一面に咲き誇るつつじを見てきましたのでごくわずかではありますがその写真をご披露させていただきます。


来月22日に行われる今年度の「関東地区卒業生の集い」には本部役員として訪問させていただきます。以前の校友会総会などでお目にかかったことのある方はもちろん、初めての方にお目にかかることを大変楽しみにしています。
当日はどうぞよろしくお願いいたします。

この「京都だより」は月一回のペースでお届けする予定でいます。
重ね重ねよろしくお付き合いいただければ幸いです。

                    

2019年 5月 20日



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関東地区卒業生の皆様へ(2019.05.29)


上田優希
2010年英米語学科卒

はじめまして。写真家の上田優紀と申します。2010年に英米語学科を卒業後、世界中に広がる美しい自然風景を多くの人に伝えていきたいという想いから写真家を志し、現在フリーランスで海外を中心に撮影活動を行なっております。

想像もできない未知の世界との出会いは誰しもの心に好奇心を生み、チャレンジ精神や想像力を育み、人生をより豊かなものにしていきます。そんな未知の世界を写真で捉え、伝えていくため、今までほとんど人が立ち入らない僻地や極地を旅し、撮影を行ってきました。昨年はヒマラヤにあるアマ・ダブラムというエベレストの20倍も難しいと言われる山に登頂し、その登山の過程で厳しくも美しい世界を撮影しました。多くの人々にとって未知の世界だったこの写真は反響も多く、登山誌やカメラ誌だけでなく「婦人画報」や「BRUTUS」といった一般誌でも特集が組まれるほどでした。

今回、私が撮影に選んだのは標高8000mの風景です。今年の9月に標高世界8位のマナスル(8163m)登頂に挑戦し、頂までの風景を撮影してきます。そこは酸素は地上のわずか3分の1、気温−30℃、吹き飛ばされそうな突風が吹き荒れ、あらゆる生物が生存すら許されない世界です。想像を絶するほど厳しいこの亜成層圏と呼ばれる世界はいまだにほとんど写真家が立ち入っていません。そんな自然風景を撮影し、伝えていくことでより多くの心を豊かにすることができると信じています。

ただ、この超高所への挑戦には一定の資金が必要になり、6月中旬からはクラウドファンディングも行います。スポンサー様を探しています。未知の世界に飛び込むことはどうしても怖いものです。しかし、その先にこそ人の心を豊かにし、光り輝くものがあるのも間違いのないことです。京都外国語大学で学び、森田理事長・総長先生も仰っていた「道を切り開いていこうとする意思と行動力」という精神を胸に挑む今回の挑戦に何卒、ご理解とご協力をいただけますと幸いです。皆様の心を豊かにする写真をお届けします!


クラウドファンディングの詳細について

https://camp-fire.jp/projects/view/165151





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「京都だより6月号」 〜あっちこっちプロジェクト〜(2019.06.26)


校友会 梅澤昌嗣

関東地区の卒業生の皆さん、先日は第31回関東地区卒業生の集いに参加をさせていただきありがとうございました。幅広い世代の卒業生の方々が和気あいあいと談笑される姿を拝見し卒業生の絆の大切さを改めて感じることができました。

さて、私は今、京都で「あっちこっちプロジェクト」という英語(もしくはその他の外国語でも可)で外国人観光客が困っている場面に遭遇した際に助け舟を出しましょうというボランティアのグループに所属して京都を訪れる外国人観光客と関わっています。

このプロジェクトの会員数は2300人ほどいるのですがすべての人が高いレベルの英語力を備えているわけではありません。ですからいろいろなトピックのワークショップを行ってレベルを高めようと熱心に励んでいます。

先日はそのレッスンの一環として円山公園でフィールドワークに参加してきました。実際に街中で外国人観光客と交わすシナリオのない会話は英語力を高めるのにはもってこいのイベントです。フランス語学科卒業の私にとってはある意味専門外ですが第二外国語で英語を習っていたのであながちずぶの素人ではなく(笑)楽しみながらこのイベントには臨んでいます。

英語が母語でないヨーロッパの人たちもこのグループの趣旨を説明すると親切に英語で応対してくれます。でもイタリアやスペインの人はイタリア語っぽい英語だったりスペイン語っぽい英語だったりしてそれもまた貴重な経験になりますね。



2019年6月25日



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「京都だより7月号」 〜あっちこっちプロジェクト〜(2019.08.01)


ようやく梅雨明けとなった関東地方ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。いきなり真夏になったために体調管理が難しくなりますからこまめに水分や塩分を摂ってくださいね。

さて、京都で7月といえば「祇園祭」です。17日と24日に行われる「山鉾巡行」が有名ですね。
でも、これはその日の夕方に八坂神社から繰り出される神輿のための露払いにあたる行事なんです。
「コンチキチン」の祇園ばやしと一口に言っても各山鉾で異なるお囃子があったり、例えば長刀鉾でも四条通を東に進む時、四条河原町で向きを変えて河原町通りを北上する時、河原町御池でまた向きを変えて西に向かう時では曲調が変わったりするんです。
また、長刀鉾の先についている長刀の刃は絶対に八坂神社と御所の方には向けてはいけないなどなど1150年の歴史の中で継承されている伝統があります。
 私が学生時代は17日だけが巡行の日でしたが2014年から本来の形に戻そうという機運が高まり前祭(さきまつり)、後祭(あとまつり)に分かれた巡行になっています。現在では全部で33基ある山鉾のうち23基が17日、10基が24日に巡行を行っています。

 今回私は後祭の巡行を控えた21日に四条烏丸付近を訪れる機会がありましたので(先月話題にさせていただいた「あっちこっちプロジェクト」のフィールドワーク開催日でした)写真を撮ったり鉾に上がらせていただいたりしました。その雰囲気を少しでも味わっていただければと思い何枚かの写真もお届けします。

 8月は「五山送り火」の話題をお届けしようと思っていますのでご期待ください。



2019年7月31日
梅澤昌嗣(昭和56年度フランス語学科卒業 京都市在住)



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「京都だより8月号」(2019.08.28)


関東地区在住の卒業生の皆様

一か月のご無沙汰でした。京都から便りをお届けします。

8月の京都といえば大文字に代表される8月16日の「五山の送り火」が思い浮かびますね。でも、決して「大文字焼き」とは言わないでください。京都の人はそう呼ばれることを大変嫌います(笑)。

ところで、今では「大文字」、「妙法」、「船形」、「左大文字」、「鳥居」の五つになっていますが、その昔には「い」、「一」、「竹の先に鈴」、「蛇」、「長刀」があったと歴史資料には記されています。 また、「妙法」が厳密にいえば「妙」と「法」は別々の山に火がともるのですがひとまとめにして「妙法」とされています。

京都駅の大階段では五つ全部が見られるそうですが、母校にもっと近いところでも鑑賞スポットがあるのはあまり知られていないようです。

私よりも若い世代の方(平成になってから卒業された方)は「ダイヤモンドシティ ハナ」といえばお分かりかと思いますが現在では「イオンモール京都五条」と呼ばれているショッピングモールの屋上駐車場を無料開放して「五山送り火鑑賞会」が行われています。

角度的に少し厳しいところはありますがイオンの方の話では一応全部が見られるそうで、私もチャレンジしましたが「妙法」は見ることができませんでした。
来年、お盆の時期ですが京都にお越しいただきぜひご覧ください。

タブレット端末で撮影した画像なので鮮明さに欠けますが、その雰囲気を味わっていただければ幸いです。




2019年8月27日
京都市在住 昭和56年度フランス語学科卒業 梅澤昌嗣



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「京都だより9月号」(2019.09.30)


先の台風15号で被害にあわれた校友の方がいらしたら心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く元の生活に戻れますように願ってやみません。

まだまだ日中は暑い日が続いている京都ですが関東地方ではいかがでしょうか。

そんなまだ汗ばむ陽気の中、秋の特別公開が行われている平岡八幡宮と国宝仁和寺に行ってきました。

「373年前の輝きが今よみがえる 幻の観音障壁画初公開」と題し観音堂の特別内拝が11月24日まで開催されています。もしかしたら最初で最後の公開かもしれないということですから折を見て訪ねていただけると幸いです。
なお、詳しい内容については「仁和寺」で検索してください。

平岡八幡宮はその仁和寺よりも北西に車を走らせたところにあります。

高雄山神護寺の守護神として弘法大師(空海)が大同4年(809年)に創建した山城国最古の八幡宮で、44種類の花が描かれた「花天井」が有名です。
また、白椿、紅椿なども季節になると咲き誇る八幡宮で、現在はこの花の天井が特別に公開されています。(12月1日まで)
先に紹介した仁和寺と合わせてご覧になるのがおすすめです。

10月ともなれば秋も深くなり京都も観光客でいっぱいになります。行楽には時間の余裕をもってお出かけください。






2019年9月30日 京都市在住 昭和56年度フランス語学科卒業 梅澤 昌嗣



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「京都だより10月号」(2019.10.31)


千葉県では二つの台風とその後の大雨が広い地域に大きな被害を与えたと報じられていますが、その方面にお住いの皆さんはご無事でしたか?
遠く京都から一日も早い復旧を願っています。

さて、10月と言えば「スポーツの秋」真っ盛り。皆さんのお住まいの地域でも区民体育祭(呼び方はもしかしたら異なるかもしれませんが)が行われたのではないでしょうか。

伝え聞くところによると、学校の運動会は別にして、地域住民で行う区民体育祭の発祥は京都市ということです。

時は昭和28年、当時の高山市長は健康長寿の町京都を目指して「体育振興会」の立ち上げを決め、多くの市会議員の協力のもと市民スポーツの普及に努めてきたと言われています。
京都市で「たいしん」といえば「耐震」ではなくて「体振」(体育振興会のことを京都市民はこう呼んでいます)と言われる所以ですが、これをモデルにしてこういった組織が全国に広まったそうです。

その地域の体育振興会の年間最大の行事と言われるのが各学区で行われる「区民体育祭」です。
わたしの暮らしている西京区でも日程こそ各学区で異なりますが無事にすべての学区で盛大に行われました。

ところで、10月の京都と言えばやはり時代祭でしょうか。
例年なら10月22日に行われるのですが(なぜならこの日は京都の誕生日だからです)今年は天皇陛下の即位礼正殿の儀の日と重なったため26日の土曜日に日を移して行われました。

時代祭について詳しくは平安神宮のホームページに紹介されています。
今月号ではそのリンクを貼っておきますのでご参照ください。

http://heianjingu.or.jp まもなく京都では紅葉の季節を迎えます。
11月号ではその風景を少しでもお伝えできればいいなと思っています。

朝晩と日中の寒暖差が大きくなるこの季節、皆さん、くれぐれもご自愛ください。


2019年10月31日 京都市在住 昭和56年度フランス語学科卒業 梅澤 昌嗣



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堀口容子さん、新刊発売(2019.11.04)


東京支部の皆様へ
9月8日に新刊が発売になり、年末にももう1冊出版の予定です。
いずれも軍事もので、今年はミリタリーを勉強する年になりました。
なかなかコアな本ではありますが、動き続ける世界の一面を知るきっかけとして
お手にとって頂ける機会があることを願っております。


『ザ・タンクブック 世界の戦車カタログ』
ザ・タンクミュージアム:編・著、菊月俊之:監修、堀口容子:訳、2019年9月刊
http://ur2.link/F2aW

日本語による世界の戦車ガイド決定版。
現在までに登場した戦車400種以上を、綿密なファクトチェックに基づいて解説。
主要な戦史や技術者の紹介、戦車と火器の技術解説にもページを割いた。
戦いは戦車をどう変え、戦車は戦いをどう変えてきたのか。
戦争の哲学と戦闘の概念の変化に沿って、今なお姿と役割を変えつつある
世界の戦車を俯瞰する。

『軍装から見る近代アメリカ戦史 米軍布製装備大全 1910-1991』12月発売予定


キャッチコピー通り、たった布1枚、ボタン1個の機能が生死を分けるのが
軍服と布製の装備品。アメリカ陸軍の布製装備から戦争と戦場を見る。

堀口(邑上)容子 Yoko Horiguchi



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校友会福岡支部の総会懇親会レポート(2019.11.05)


校友会福岡支部総会・懇親会が令和元年10月26日(土)に博多区中洲のイタリアンレストランで開催されました。
居心地がよく近しみを増幅させてくれる雰囲気のなか、福岡支部の総会に引き続いて懇親会が開催されました。

東京支部主催の「関東地区卒業生の集い」には毎年常連さんとして福岡支部から前田昌子さんが参加してくださり、われわれ東京支部もいつかは福岡にと思っていたところでした。やっと念願がかなった今回の参加交流となりました。福岡支部の皆様、大変お世話になりありがとうございました。

校友会からは島谷直見会長、桟敷雄二副会長、大学からは由井紀久子副学長、長者善高大学事務局長が参加されました。島谷会長、由井副学長らが挨拶に立たれました。

福岡支部は北村亨支部長を筆頭に有能な女性メンバーが多数を占め、力強さとしなやかさの両方を備え、同時に活気が溢れ思わず元気に愉快にしてくれる支部でした。現在、校友会の支部は、再活動準備中を含め国内17と海外10を数えます。支部同士の横の連携と関係強化がなによりも重要と感じました。将来、地理的な隔たりはあるものの、福岡支部と東京支部の合同懇親会が開催できれば・・といった話題もでました。やはり、青春時代の4年間を同じキャンパスで過ごした卒業生にとって、互いに共通言語をもって語り合えることの素晴らしさを実感した福岡支部の集いでした。



福岡支部の ”三姉妹/Three Sisters” の面々です。
左から松下さん、前田さん、木村さん、かなりインパクトのある方々でした(笑)



(写真・文 利根川正則)



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「京都だより11月号」(2019.11.30)


関東地区在住の卒業生の皆さん

この秋には立て続けに台風が関東地方に上陸または接近して多大なる被害があったことと存じます。被害に遭われた方には心からお見舞い申し上げます。

さて、11月のはじめには例年通り外大祭が開催されました。

テーマは「WA!!」。令和、平和の「和」、人と人との「輪」、環境の「環」などなど、人それぞれに感じる「WA!!」は違っても共感できるテーマであったのではないでしょうか。

校友会では毎年、事業委員会を中心に「校友会ブース」を設営して在校生、卒業生、地域の皆さんとの交流を図っています。



さらに、京都の11月と言えばやはり「紅葉」ですね。
今年は寒くなるタイミングが微妙だったこともあり見ごろが懸念されていましたが昨年並みの紅葉が各地で見られ、京都は多くの観光客で賑わっています。

母校の近く嵐山も紅葉のきれいなことで有名ですが、今回はきれいな割にあまり多くの観光客が訪れないような洛西のお寺を訪ねてみました。
善峯寺は京都市西京区の大原野という地域にあります。京都市の最も西と言ってもいいでしょう。山を越えると亀岡市、山を下りると向日市といったロケーションにこのお寺はあります。西国三十三所観音霊場20番札所としても有名なこのお寺ではゆっくりと紅葉を楽しむことができます。ぜひ来年のシーズンには訪ねてみてください。



12月は中ごろに「嵐山花灯路」が開催されます。一年中、観光客が途切れることなく訪れる京都の冬の風物詩になりつつあるこのイベントをお伝えしようと思っています。

どうぞこれからもよろしくお付き合いをお願いします。


2019年11月30日 京都市在住 昭和56年度フランス語学科卒業 梅澤 昌嗣



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謹賀新年 2020!(2020.1.7)


皆様

輝かしい新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

ついに2020年、オリンピックイヤーの幕開けです。実は今年はうるう年でもあります。 オリンピックと同じ4年に一度やってきます。
2月29日があるため、2020年は366日あります。なにか得した気分ですね。

2020年、東京支部の最初の主催プログラムは、2月13日に ”京都アカデミアフォーラムin丸の内” で開催する
「第2回京都アカデミアセミナー」です。昨年10月に京都外大国際貢献学部が推進する「コミュニティエンゲージメント」
に焦点を当てた主催セミナーを大学の協力をいただき開催しました。

2月13日はその第2段です。第2回はSDGs(Sustainable Development Goals/持続可能な開発目標)
をメインテーマとして開催します。そして、3月末には全3回シリーズの最終バージョンを開催予定です。
乞うご期待です!


1988年の東京支部設立以降、毎年会を重ねております「関東地区卒業生の集い」を6月20日(土)12:00~14:30に東京銀座の交詢社倶楽部で開催します。
今年で32回目を数えます。毎年、駐日大使館などから特別にご来賓をお招きし大学との関係構築および増進に寄与しております。
これまで、駐日ポーランド共和国大使館、駐日ベトナム大使館、グアテマラ駐日共和国大使館、駐日メキシコ大使館、駐日トルコ共和国大使館から大使をはじめ経済および商務部の外交官の皆様をお招きしております。今年も、乞うご期待とさせていただきます。

皆様にとって素晴らしい実りある2020年となりますよう祈念申し上げます。

京都外国語大学校友会東京支部一同



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第17回KUFS関東支部ゴルフコンペのご案内(2020.1.23)


東京支部の皆様へ

恒例のKUFS関東支部ゴルフコンペ、春の部の詳細が決まりましたので、お知らせいたします。

今回は、茨城県にある「土浦カントリークラブ」での開催です。

開場55周年を迎えた林間コース。松林でセパレートされたロケーションが美しく、霞ヶ浦周辺のゴルフ場では“隠れた名門”と呼ばれるコースレイアウトが魅力的で高低差はほとんどなく、ほぼフラットであるため女性やシニアにもプレーしやすいコースです。

一人でも多くの方々の参加をご希望しておりますので、同案内メールをお友達に転送してお誘いいただくようお願いいたします。
先着16名様までの受付となります。

なお、ゴルフ場への連絡の関係上、4月27日(月)までにご参加者様のフルネームとともにお申し込みのご連絡を久保または藤原までメールをいただけますようお願いします。


                記

日  時:2020年5月14日(木) 8時20分マスター室前集合
     (8時48分 西コース1組目スタート)

ゴルフ場:土浦カントリー倶楽部
       〒300-0635 茨城県稲敷市堀之内419
       TEL: 029-894-2311

費  用:プレー費 7,900円☆昼食付
      パーティ費:1,100円
      計 9,000円/名
      (1,000円分の予約クーポン付)

参 加 費:500円  ※各自1,000円相当のプレゼントを持参願います
締  切:2020年4月27日(月)

(ゴルフコンペ幹事)
久保 雄二  Email: yuhjikubo@nifty.com
携帯: 090-4521-4298

藤原 拓   Email: hfujihara@tbk.t-com.ne.jp
携帯: 090-4227-1510

久保 雄二(Yuhji Kubo)
〒277-0055
柏市青葉台2-2-1-610
     (自宅)04-7173-5755
     (携帯)090-4521-4298





昨年5月に開催した第15回の参加メンバー


昨年10月に開催した第16回の参加メンバー


第16回優勝者は舟岡譲さんの奥様でした!



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第17回KUFS関東支部ゴルフコンペのご案内(2020.1.23)


東京支部の皆様へ

恒例のKUFS関東支部ゴルフコンペ、春の部の詳細が決まりましたので、お知らせいたします。

今回は、茨城県にある「土浦カントリークラブ」での開催です。

開場55周年を迎えた林間コース。松林でセパレートされたロケーションが美しく、霞ヶ浦周辺のゴルフ場では“隠れた名門”と呼ばれるコースレイアウトが魅力的で高低差はほとんどなく、ほぼフラットであるため女性やシニアにもプレーしやすいコースです。

一人でも多くの方々の参加をご希望しておりますので、同案内メールをお友達に転送してお誘いいただくようお願いいたします。
先着16名様までの受付となります。

なお、ゴルフ場への連絡の関係上、4月27日(月)までにご参加者様のフルネームとともにお申し込みのご連絡を久保または藤原までメールをいただけますようお願いします。


                記

日  時:2020年5月14日(木) 8時20分マスター室前集合
     (8時48分 西コース1組目スタート)

ゴルフ場:土浦カントリー倶楽部
       〒300-0635 茨城県稲敷市堀之内419
       TEL: 029-894-2311

費  用:プレー費 7,900円☆昼食付
      パーティ費:1,100円
      計 9,000円/名
      (1,000円分の予約クーポン付)

参 加 費:500円  ※各自1,000円相当のプレゼントを持参願います
締  切:2020年4月27日(月)

(ゴルフコンペ幹事)
久保 雄二  Email: yuhjikubo@nifty.com
携帯: 090-4521-4298

藤原 拓   Email: hfujihara@tbk.t-com.ne.jp
携帯: 090-4227-1510

久保 雄二(Yuhji Kubo)
〒277-0055
柏市青葉台2-2-1-610
     (自宅)04-7173-5755
     (携帯)090-4521-4298





昨年5月に開催した第15回の参加メンバー


昨年10月に開催した第16回の参加メンバー


第16回優勝者は舟岡譲さんの奥様でした!



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第2回 京都アカデミアセミナー開催のご報告 (2020.2.17)


昨年の10月に続き、第2回 京都アカデミアセミナーが、2月13日(木)に京都外大の共用施設でもある東京駅前の新丸の内ビルディング10階で開催されました。

第2回は2月13日の開催でコロナウィルスを心配する声もありましたが、「持続可能な開発目標(SDGs)」というタイムリーな視点からのセミナー内容と講師陣の素晴らしさもあり、事前の参加申込数は80名を超えました。複数の大学やシンクタンク、総合研究所、自治体、大手メーカー、大手金融機関、航空会社など多岐にわたる皆さんの関心を集めることができました。

主催は京都外国語大学校友会東京支部、共催が京都外国語大学。京都からは国際貢献学部 グローバル・スタディーズ学科の黒住淳人教授にお越しいただき、「持続可能な世界構築の視点からみた世界のエネルギーの展望と課題」と題してご講演をいただきました。

二人目の講師は、メリルリンチ日本証券株式会社の林礼子取締役副社長による「サステナブル・ファイナンスの動向」。最後にアステリ株式会社の代表取締役の大嶋和香子氏による「WTO と SDGs- 持続可能な貿易の形」と題してお話をいただきました。

各講師の講演に続き、「パネルディスカッション & 質疑応答」、セミナーの後はリフレッシュメントをご用意し、講師や参加者の皆さんとのネットワーキングの時間をもたせていただきました。講師と直にいろんな話ができるということでこの時間帯も好評でした。

当日のプログラム詳細および講師プロフィール等は下記からご覧ください。
http://kufs-tokyo.com/image/20200108.pdf

なお、第1回開催(2019年10月30日)の開催風景をSakuraTV Pressの取材映像より
ご覧いただくことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=3iy5uVco1dI

では、次回、お会いできますこと楽しみにしております。

校友会東京支部 事務局




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「脳があなたの人生を変える」の著者、増田恭子さんに聞く (2020.6.22)










増田恭子(2000年度英米語学科卒)
幸せに生きるための「脳のマネジメント」について、「記憶」をベースにして学校や企業で研修を実施。また学習学協会の英語学習コーチとして「外国語学習を通しての人間力アップ」をビジョンに、子供から大人までを指導。国内のみならず、ベトナムやカンボジア王立プノンペン大学でも教壇に立つ。「記憶と自己肯定力マネジメント」といったオリジナルプログラムの開発・取組も果敢に行い高い評価を得ている。

昨年、初の著書となる「脳があなたの人生を変える 〜なりたい自分を創るドリカム脳の育て方〜」を出版されました。どんな内容のものかお聞かせいただけますか。

自分の脳力をどのように発揮していくのか、「自分なんて」と思っている人にも、ちょっとしたきっかけがあり、脳を育てていくことによって、様々なことを実現していけることをお伝えするための本です。



この本を書こうと思われたキッカケは何でしょうか?

不安定なこの時代に、より沢山の人が自分を信じて行きていく力を引き出して、活き活きと輝いて生きるキッカケを創りたいと思っていた時に出版のご提案をいただきました。私自身の人生の物語を共有することにより、多くの方の応援ができるのではないかと考えました。また同時に今まで私と出会っていただき、今ご自身の夢に向かって頑張る人たちへの応援も一緒にできる本にしたいと考えました。未来に合うかもしれない人たちへの応援メッセージ。今までにお会いした人たちへの感謝のメッセージの詰まった本になりました。


外大の学生時代を振り返っていただいて、当時増田さんはどんな学生でしたか?

真面目な学生でした。ただそれだけが取り柄。だから京都外大のカラーにあっていたと思っています。京都の大学に行ったことで大学時代の夏休みを海外のボランティア活動に参加するという出会いをもらいました。その体験から「今ある出会いを大切にして、実践の中で成長していくこと」を学んだと思います。大学時代はそれまで積み上げてきた基礎的なところから実戦に移すことを多く体験しました。



今のお仕事について教えてください。

今は研修講師のお仕事、英語を教えさせていただくお仕事と大きく分けると二つの分野のお仕事をさせていただいています。「よりよい人生を創るため」の学びを提供しています。一つは本の中にもありますが、「自己肯定力」「主体性」「セルフマネジメント」「モチベーションアップ」にも関わる「脳のしつけ方」がプログラムの軸になります。別の言い方ではメンタルマネジメントにも繋がります。うまく結果の出せない人と結果が出せる人の脳の使い方の違いを「記憶」のトレーニングをしながら学んで行っていただくプログラムです。学校や企業など、全国で研修をさせていただいています。

また、大学や専門学校にて英語の講師としてのお仕事もさせていただいています。留学をせずに日本国内で沢山の学び方を習得してきた自分自身の経験を活かし、どちらかというと英語に対する苦手意識の強い人たちに、楽しく学び、人生を向上させていくための英語をお伝えしてます。単に英会話や英語を教えるのではなく、前述している「自己肯定力」や「あり方」を同時に向上させていくオリジナルのプログラムを提供しています。例えば、コミュニケーションの本質と基本知識を同時にお伝えしています。また、記憶の技術を使って英単語を10分ほどで25個覚えてもらうようなことをします。英語に必要な文法や単語などの知識は記憶のメソッドなどを使い、今までより楽しく続けられるような工夫をし、また、自己肯定力をアップして、「未来のなりたい自分」を見つけてもらっています。英語を単なる語学学習に終わらせず、自分のアイデンティティを形成していくきっかけとして提供したいと思っています。



今回、コロナの影響でお仕事の在り方、やり方は変わりましたか?

多くの対面式の研修はストップしました。しかし、その間にオンラインでできることをたくさん試してきました。
不安に傾きやすくなる「脳」の性質を知っているが故に、コロナ禍でも「いかにプラスに考えられる脳を育てていけるか」ということをテーマにオンラインの勉強会を沢山実施しました。今もいくつかは継続しています。また、オンラインにすぐに切り替えたことで、オンラインでの研修の対応が可能になりました。そして、オンラインの良さも知ることができました。これからは必ずしもオフラインではなくてもいいことと、オフラインだからこそできることを上手く合わせながら、新しい学びのスタイルを提供していこうと思っています。
今、世の中では「withコロナの時代」または「postコロナ」に【英語×IT】が必須だと言われています。このコロナの時期に取り組んだことが今後ますます需要が増え、皆様のお役に立てると感じています。



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卒業生の皆様へ -東京支部活動に関してのご連絡とご理解のお願い- (2020.6.25)


卒業生の皆様へ

今年度の東京支部活動に関してのご連絡とご理解のお願い

新型コロナウィルスの緊急事態宣言が5月25日に解除され、6月19日には都道府県をまたぐ移動が全面解除となりました。最初の週末をむかえた先週土曜日、東京では人々の往来が復活しました。4月7日からの外出自粛要請から指折り数えること実に75日振りでした。やっと、日常が少し戻った感じです。

とはいうものの、新型コロナウイルスの感染「第2波」の到来も気がかりです。第一波が2月〜5月までの4ヵ月間でした。第二波が秋から冬にかけて来る可能性を想定すれば、11月〜5月であるとすると7ヵ月にわたり流行が持続するとの指摘をする専門家もいます。

東京支部では今年度に新たに予定をしておりました下記の二つの活動の取り止めを早々に決定し延期扱いとさせていただきました。コロナ禍のもと、未だ目処が立たない状況です。ご理解をお願いします。

○第17回KUFS関東支部ゴルフコンペ (5月14日)
○第32回関東地区卒業生の集い(6月20日)


令和2年度の継続事業「京都アカデミアセミナー」
東京支部の令和2年度の継続事業のもう一つの目玉となる活動が、大学総合企画室との共催プログラム「京都アカデミアセミナー第2シリーズ(3回連続)」です。令和元年度は、校友会の支援もいただき、2回に渡って昨年10月、今年2月の2回に渡って東京駅前にある”京都アカデミアフォーラムin丸の内”(外大共有スペース)を借りて開催しました。

昨年10月開催のときには大学から松田武学長、2月のセミナーでは黒住淳人教授に講師の一人として参加いただきました。「持続可能な開発目標(SDGs)」というタイムリーな視点からのセミナー内容と講師陣の素晴らしさもあり、80名を超える事前の申込みがあり大変盛況でした。内容面でも参加者から高い評価をいただくことができました。

令和2年度も継続事業としてすでに開催概要もまとまっています。開催のタイミングや実施形態を含め、大学側とのテレビ会議を介した事前打合せも実施しております。コロナ禍のもと、従前のリアルな形態でのセミナー開催は今の時点では難しく、オンラインによるウェビナー形式の導入を踏まえ最終検討中です。

決まり次第、ご案内をさせていただきます。

なお、セミナーの概要紹介に関しては、下記よりご覧ください。
京都アカデミアセミナー第2シリーズ 開催概要


今年2月開催のセミナー風景




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京都アカデミアセミナー第2シリーズ (2020.6.25)


○ 日時:現在調整中です。新型コロナウィルスの影響で、リアルに加えウェビナーでの開催を視野に入れています。

○ 対象:大学関係者(学生)、中高生、NPO団体、企業(UNGC関係者)、メディア等 

○ テーマ: (SDGs 17の目標達成の観点から)
点と点をつなぎ「あるべき姿」を育む 〜これからの地球のために「今」できること〜

SDGsの17の目標を達成していくには、SDGs #4である「質の高い教育をみんなに」を通して私達の世代、次に続く世代にメッセージを伝えることが重要なポイントとなる。SDGs17の目標達成に必要なマインドセットの育成に必要不可欠な2つの「想像力」と「創造力」。この2つを掛け合わせた「教育」とはどのような形か? 本セミナーを通じて、様々な業界、業種で活躍されている講師の方々からそれぞれの世界での現状を共有して頂き、経営者や私達の世代のみならず、これからの時代を生きていく世代に伝えるべきメッセージと共に、参加者の皆様と「これからの地球に必要なNext Action」を考えていく。

第1回:SDGs #4「次世代教育の現場から未来へ」
講師@ 慶応大学 前野教授:「幸福の経営学」に基づく教育について。
講師A KPMGパートナー 倉田氏:中高生に対する「起業教育」に基づく次世代教育について。
講師B アステリ(株)代表取締役 大嶋氏:グローバルな視点からみた「教育の在り方」について。

第2回:SDGs#4「次世代の教育について」から紐解く「形としての和の心」
講師@ シュガーレディグループ代表取締役 佐藤氏:「和の心を伝える企業内教育」について。
講師A 不二流宗家 大嶋氏:日本古来の武道を通して形作る「人間教育」について。
講師B アステリ(株) 代表取締役 大嶋氏:「グローバルな舞台」で求められる人材育成について。

第3回:次世代の想像力・創造力の育成にむけて
講師@ 不二製油 顧問 河口氏:「潜水艦論」から考察するSDGs教育について。
講師A 国連GCネットワークジャパン理事長 有馬氏:企業に求められる「想像力と創造力」。
講師B アステリ(株)代表取締役 大嶋氏:これからの地球のために必要な「想像力と創造力」。

(以上)


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校友会外国人留学生奨学金授与式がオンライン(遠隔)で開催! (2020.6.26)


この6月19日、校友会事務局にて、「2020年度外国人留学生奨学金授与式」がオンラインにて開催されました。 コロナ禍のもと、大学内入構禁止の状況が続いているための代替措置となりました。
(ここでは校友会、大学のサイトで紹介された記事・写真を抜き取ってお伝えします!)

今年は、ベトナムからの留学生ファン・ティフック ユエンさんが奨学生に選ばれました。授与式は下記の写真の通り、国際部・三封錘Q与の冒頭の挨拶ではじまり、 校友会・島谷直見会長が挨拶に続き採用証書を読み上げられました。島谷会長が画面に向かって授与されると、奨学生のユエンさんが一礼で返し、お礼の言葉を述べるという通常の授与式次第に則った形で進行しました。

校友会では初めての遠隔の授与式ではありましたが、温かくも厳粛な授与式となったとのことです。
大学では8月いっぱいリモート授業が続くとのことです。

コロナショックは私達の日常の生活の在り方から学習形態、労働形態、更に事業形態に至るまで「新しい当たり前(New Norm)」を強いることとなりました。

そんな今だからこそ、外大卒業生の一人ひとりの繋がり、「絆」が今まで以上に大事になってきます。
東京支部は、「つなげる つながる 卒業生の絆と外大文化」を更に推進していきたいと思います。

国際部三封錘Q与の冒頭の挨拶 校友会島谷直見会長による採用証書の読み上げ
厳かに採用証書を受け取る留学生
ファン・ティフック ユエンさん(ベトナム)
これにて初のオンライン授与式が無事終了!




KUFSゴルフコンペのご案内 (2020.7.27)


KUFS関東支部ゴルフコンペ参加者の皆様

今年5月に開催する予定でしたKUFS関東支部ゴルフコンペが新型コロナにより残念ながら中止となりましたが、今秋再開するコンペの詳細が決まりましたので、お知らせいたします。

今回は茨城県にある「霞南ゴルフ倶楽部(旧利根川GC)」での開催です。霞南と書いて、「かなん」と読みます。

加藤俊輔が「軽いストレスを感じさせながら挑戦していく楽しさと失敗したときの口惜しさを味わえるような設計を行うことはなかなか難しい。が、このコースはそれに成功している。トリッキーさを感じさせるトラップをセットせず、かといってプレーヤーの思惑通りにいきにくいセットがなされプレーしていて楽しいのである。日本人の感性に合ったコース」として設計したとのこと。

一人でも多くの方々の参加をご希望しておりますので、同案内メールをお友達に転送してお誘いいただくようお願いいたします。

先着12名様までの受付となります。

なお、ゴルフ場への連絡の関係上、9月23日(水)までにご参加者様のフルネームとともにお申し込みのご連絡を久保または藤原までメールをいただけますようお願いします。

なお新型コロナが収束しない場合は、再度中止となりますので、ご了承願います。
そうならないように「三密」と日ごろの手洗いとうがい、そして行動にご留意願います。

                記

日  時:2020年10月1日(木) 8時マスター室前集合 (8時24分 INコース1組目スタート)

ゴルフ場:霞南ゴルフ倶楽部
     〒300-0603 茨城県稲敷市伊佐部1450  TEL. 0299-79-1313(代表)

費  用:総額 ¥7,600(ゴルフ場利用税:¥450含む)
     パーティ費:1,650円(消費税込)
     計 9,250円/名

参 加 費:500円  ※各自1,000円相当のプレゼントを持参願います

締  切:2020年9月23日(水)

(ゴルフコンペ幹事)
久保 雄二  Email: yuhjikubo@nifty.com  携帯: 090-4521-4298
藤原 拓   Email: hfujihara@tbk.t-com.ne.jp  携帯: 090-4227-1510


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「ロシアの今」(2020.7.28)


イルクーツク国立大学 日本語講師
中川 愛理

皆さま、ご無沙汰しております。2018年3月に大学院博士前期課程を修了した中川愛理です。
前回(http://www.kufs-tokyo.com/rensai/koyukai_now.html#no19)から引き続き、今回は2度目になります。2018年9月から、ロシアのイルクーツク国立大学で日本語教師をしています。

今年1月末、冬休みに日本へ一時帰国した際に「コロナウイルスが発生した」というニュースを、その2か月後、自分の近くでも起きることとは知らず、どこか遠くの国で起きていることのように見ていました。2月に韓国経由でイルクーツクに戻った際には、空港での検疫体制が強化されており、ピリピリした空気を身をもって感じました。3月初め、日本では小・中学校が休校になったという知らせを聞きましたが、その時点で、私の住んでいるイルクーツクでの感染者は報告されていませんでした。

しかし、3月半ばに突如ロシア全土の大学でオンライン授業が始まりました。ロシアの感染者が一気に増えていったのはその頃からでした。もちろん、私の赴任している大学でも授業は全面オンライン化、また、4月に開催予定だった東シベリア地域日本語弁論大会なども延期が決まりました。3月末にウラジオストクから出たチャーター便に乗って日本へ帰国した私は、それ以来、日本からオンラインでの授業を続けています。慣れないオンライン授業に戸惑いながらも、「中川先生、こんにちは!」と元気に授業に参加してくれる学生たちから何度も元気をもらっています。

2年ほど住んだロシアでの生活は、大変なことも多くありましたが、それ以上に、得られたものも多かったように思います。日本に帰国して4か月、あの「寒い」という言葉では言い足りない想像を絶する寒さも、息抜きに行ったあの美味しい韓国料理屋さんも、ロシアで仲良くなった人たちも、みんな元気かなぁ、ちょっと恋しいなぁ・・・そんなことを思う日々です。

7月末現在、ロシア全土の感染者は80万人を超え、イルクーツク州だけを見ても1万人を超えています。
9月以降もしばらくはオンラインでの授業が続くのではないかと囁かれています。離れていても、繋がることのできる現代の技術に感謝し、日本からロシア、イルクーツクのためにできることを続けていこうと思います。

また自由に、世界中を行き来できる日が来ることを願って・・・。


「冬の凍ったバイカル湖でお散歩です♪」

「イルクーツクの夏の終わり、そして秋らしさを感じる街中♪♪」



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京都アカデミアウィーク2020」オンライン開催のお知らせ (2020.9.10)


「京都アカデミアウィーク2020」オンライン開催のお知らせです。
10月12日(月)18:30-20:00、ドイツ語学科の菅野教授の講演です。

京都の文化、芸術、科学等に関心のある方々に、さらに一歩踏み込んだ京都の魅力をお伝えする「京都アカデミアウィーク」を2020年10月12日(月)〜10月16日(金)の期間にオンラインで開催いたします。
例年1000名近くの申込がある同セミナー。「だから、京都へ行こう」をコンセプトに京都の大学ならではの、知的で刺激いっぱいのセミナーを京都府内の国公私立9大学が連携して実施します。

本学の講演では、テレビ朝日の人気番組『激レアさんを連れてきた』に出演され、学生にも大人気の“みっちー”こと、ドイツ語学科菅野 瑞治也教授が講師を務めます。お気軽にご参加ください。


【京都外国語大学の講演概要】

日 時:2020年10月12日(月) 18:30〜20:00
形 式:オンラインによるLIVE講義(無料ビデオ通話サービス「ZOOM」を使用)
演 題:『実録 ドイツで決闘した日本人』
     〜武士道にも通じるゲルマン騎士の「高貴なる野蛮さ」〜
講 師:菅野 瑞治也(京都外国語大学 外国語学部 ドイツ語学科長)
費 用:無料
申込方法:下記より事前にお申込みください。
     京都アカデミアウィーク202

ウィークの概要は以下の本学ホームページをご覧くださいませ。
https://www.kufs.ac.jp/news/detail.html?id=VQWfyjMH


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第17回KUFS関東支部ゴルフコンペ開催レポート。 (2020.10.2)


第17回KUFS関東支部ゴルフコンペが10月1日(木)に茨城県の霞南ゴルフクラブにて開催されました。

現在、猛威を振るっている新型コロナにより5月の開催が中止となりましたが、今回は開催直前まで罹患者を出さないように三密対策を十分に練った上で開催にこぎつけました。

ただ、コロナの影響および雨天により参加者が八名と少なかったのは幹事としてはとても残念でしたが、参加して頂いた皆様の笑顔を拝見して心から開催して良かったと思います。

優勝者は、後半ぐんぐん追い上げてきた元ゴルフ部の中林勝之さんでした。

次回と次々回の開催は以下のとおりに決定しましたので、ぜひ参加して頂きますようお願い致します。

次回の幹事は以下の方々ですので、皆様のご連絡をお待ちしています。




【開催日程】
第18回KUFS関東支部ゴルフコンペ  2021年5月13日(木)
第19回    〃         2021年10月7日(木)

【次回幹事】
中林 勝之 nacchi_1960@yahoo.co.jp
石川 望美 nozomi_ishikawa@icloud.com

以上
第17回幹事 久保 雄二、藤原 拓






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EU支部の今!(2020.10.12)

by 松本幸枝(MORIN)支部長


私どもは、本年6月に「EU支部設立25周年記念懇親会」を予定していましたが、ご存知の通りコロナ問題で断念、その後10月に再度会場予約をしたのですが、海外との行き来がいまだに簡単ではないため、こちらも取りやめました。EU在住の校友会会員の皆様が物理的にも精神的にも懇親会に出席しようと思っていただける状況になれば改めて懇親会の企画をするつもりです。会員の皆様にもそのように伝えました。

さて、現在のフランスの状況はますますひどく、昨日は27000人の感染者数です。今のところ、レストランの会食は6人以下、飲食を伴わないカフェは閉店、という指示が 政府から出ていますが、状況次第では他にも何らかの禁止令が出るかもしれません。ただ病院のベット数はまだ余裕があるようで、パニックにはなっていません。 EU支部は通常では一年に一度の懇親会をしているだけです。それすら今年はできていません。ドイツの会員の方とは先日久しぶりに電話で話しました。生活環境は国が違えどもほぼ同じ状態であることを確認し、しばらくは日本に帰れないね、と頷きあった次第です。

EU支部は人数も少なく、開催地在住の数名を除いてはみなさん1泊2日で飛行機に乗って集まっていただかなくてはいけないので費用も時間もかかりなかなか大変です。 こんな状況ですが、皆さんとお会いできる日を楽しみにしております。


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メキシコ支部の今!(2020.10.15)

by原田泉支部長


今回のコロナ危機でメキシコシティーはロックダウンまでは行かなくて自宅待機・自粛と言うことになりましたが、感染が抑えられた訳ではありませんでした。事実現在も毎日の感染者数が5000人前後となっており、また死者の数はその1割の4−500人ほどとなっております。

世界至る所で葛藤となっております経済優先か感染の押さえ込みかで、メキシコも経済活動を優先しており従って今後も感染の数はあまり減らないものと思われます。
ヨーロッパでは第二波が来ているといわれていますが、メキシコは第一波がそのまま続いている感じです。

日系企業特に商社、金融関係は未だ在宅勤務のようですが、自動車産業は6月から活動を開始し今では約80%に近い稼働率になっています。これはアメリカの自動車産業に牽引されているためです。ただ、国の収入源の多くを占める観光産業は回復には程遠い感じで特に一大観光地であるカリブ海のカンクンなどは観光客がまばらな状態ですが、今年の冬場に少しでもお客が帰ってくることは期待されますが如何なものでしょう・・・。

メキシコシティーのホテルも閑散としており客足が戻るのは当分先ではないでしょうか?
日本のようなGOTOキャンペーンと言った促進・刺激策も打ち出されておりませんので、回復がかなり遅れる感じです。
政府からの経済支援もありませんしね。。。

以上簡単なご報告で恐縮ですが、ご参考にしていただければ幸いです。


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校友会上海支部例会報告(2020年10月14日実施)(2020.10.17)


10月14日(水)、静安寺エリアにあるオシャレなブラジル料理店『Latina』にて例会が開催されました。引き続き新型コロナウイルスの影響により、現在日本へ退避帰国中の方や、上海にて隔離中の方などもいらっしゃり、計10名の参加となりましたが、目の前でカットして下さるお肉や、たくさんのお料理に話も盛り上がり、とても楽しい時間を過ごすことができました。



本来であれば毎年11月頃に弁論大会や総会が開催され、日本から来て下さる先生方や学生の方々とお会いできるのですが、今年は新型コロナウイルスの影響で残念ながら中止になってしまいました。

現状上海は新型コロナウイルスの流行当初と比べますと、かなり落ち着いておりますが、世界中で感染者は増加しており、国境を跨ぐ移動はいまだに難しい状態です。(特に飛行機チケットが確保できない)中国国内においてはしばらく大きな感染者増加は発表されていませんでしたが、国慶節の少し前から青島の方で新型コロナウイルスの感染者が確認され、現在青島市民全員に無料でPCR検査が実施されているようです。国慶節休暇で大移動があったため、上海でも少し規制が厳しくなり、ビルに入る際の検温やQRコード等の提示が再度開始されました。

上海もこの1〜2週間でぐっと涼しくなりましたが、皆様もお身体には充分お気を付けいただき、また次回の例会で元気にお会いできる事を楽しみにしております。次回は2021年1月に開催予定だそうです。

(2013年度中国語学科卒 山澤茜)


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「校友会支部の今!」、各支部からのショートメッセージをまとめてお伝えします。 (2020.10.17)


京都支部の今!(2020.10.14) 古澤昭人支部長

京都支部はコロナ禍の下、役員会を自粛しています。各自で「ステイホーム」で取り組んでいることは、FACEBOOKやMESSENGERの練習です。コミュニケーションのツールを学んでいます。特に、ビデオミーティングは面白いです。"Pokemon Go"で遊びたいですね。教えてくれる人を求めています。一緒に楽しみましょう。



富山支部の今!(2020.10.15) 杉本博司支部長

富山支部の活動は今年は8月に総会を予定しておりましたが、新型コロナウィルス感染者が増加していた為に、中止致しました。この後予定されている12月の富山支部役員会も 様子見の状況です。来年3月にも役員会が予定されております。今年は東京支部と兵庫支部で総会が開催されるようですが、今年は参加を見送りさせて頂きます。皆さんも、ご自愛ください。



韓国支部の今!(2020.10.15)  康 淑姫支部長

はじめまして、韓国支部の康淑姫です。近頃はコロナ禍の影響で生活様式がすっかり変わり健康にも大きな影響を受けています。韓国支部の活動についてのご紹介文ですが、申し訳ごさいませんが、今、韓国の支部はコロナの関係で活動していません。東京は活動ができ、羨ましいです。活動が開催したらご連絡いたします。よろしくお願いいたします。



福井支部の今!(2020.10.15) 中野多郎右エ門支部長

福井支部は残念ながら今年は恒例の6月の国際フエステイバル、8月の総会、11月のREINAN国際交流の集い、すべて中止としました。「動中在静、静中在動」を合言葉に目下支部員充電中で、年内に役員会を開き来年の取り組みの準備の確認を行う予定です。東京支部のますますのご発展、ご活躍を祈ります。

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校友会和歌山支部の今!(2020.10.20)

戸川定昭支部長


4月18日(土)和歌山市中央コミュニティセンターにおいて、支部役員会を実施し、今年度の事業計画について、協議しました。本年度、総会は開催せず、昨年度事業報告、収支決算報告等、メールにて会員に送付することとしました。

また、和歌山支部設立10周年という節目の年となり、記念行事を実施する予定にしていたのですが、新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、来年度以降に実施することになりました。更に、例年12月、校友会和歌山支部が主催して実施している小中学生の英語スピーチコンテストも、やむなく中止し、8月、県内すべての小・中学校に中止をお知らせする文書を発送しました。

ということで、今年度の事業は実施できていません。その分、力を蓄え、来年度に更に充実した校友会活動を実施したいきたいと思っています。昨年度のスピーチコンテストでの参加者と審査員の集合写真を掲載します。子供達の笑顔と、緊張しながらも一生懸命スピーチをする姿を再び見ることができるよう願っています。



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近藤蕉肝の俳諧の世界を垣間見る 前編 (2020.10.26)


はじめに(東京支部事務局より)

外大卒の大先輩、近藤蕉肝様が「世界へ飛んだ蛙:芭蕉から地球俳句へ」と題した著作を東京支部宛に送って下さいました。京都外大の卒業生にこういう方がいらっしゃったのだと知り、新鮮な驚きを覚えました。

メールのやり取りの中で、近藤様は「PAX MUNDI PER LINGUASは私も学生時代から研究のモットーにしています。母校の門を入るとすぐに目につく言葉です。私はそれを俳諧研究を通して探求してまいりました。学生時代に俳諧の世界的普遍原理の研究を思い付いたのはそのためではないかと思います。お送りさせていただいた本は、学生への講義ノートのつもりでまとめましたので、言い足りないところが多々ございます。授業で補足したり質問をうけたり課題を出したりするプラットフォームのつもりでした。」と教えてくださいました。

私たちは近藤様の俳諧の世界をもっと知りたいと思い今回のQ&Aを実施させていただくこととなりました。前編では、近藤様の学生時代、卒業後の活動や人的交流などをお尋ねしました。それでは、早速、皆さんと一緒に「俳諧」の世界に足を踏み入れてみましょう!



<前編>「近藤蕉肝の俳諧の世界を垣間見る」

近藤様のこと、ウィキペディアによりますと「日本の哲学者、俳人」とあり、専攻は記号学、連句とあります。また複数の肩書や団体の代表をされていらっしゃいます。現在、一番の関心事あるいは取り組みは何でしょうか?

連句と平和です。平和は人類にとって最も重要な研究テーマです。連句は日本の言霊文化を代表する文学です。その二つを科学的に結び付けるのが研究内容です。科学は見えないものへの挑戦です。1998年、宇宙の加速膨張説を出した物理学者と天文学者にノーベル賞が授与されました。その加速させているものがダークマターとダークエネルギーだと言うのです。実はそれが宇宙の圧倒的大部分を占めていて、人類が今までに知っていた目に見える宇宙は全体の数パーセントにすぎないことが分かりました。

古代ギリシャのアリストパネス作の「女の平和」という喜劇は、男たちの戦争を女たちが止めさせる話です。仏典にも戦争と平和の話があります。世界の多くの神話は戦争と平和が主題になっています。多分戦争と平和は人類の起源からのメインテーマだったでしょう。しかし人間は戦争のことはよく知っていても平和についてはまだ少ししか知らないのです。それはちょうど今までに天文学で分かったことが宇宙全体の数パーセントでしかないのに似ています。しかし天文学者はまだ分からないものが存在することを知っています。それに対して平和学者はまだ分からないものが何かも分からないのです。

ホッブズの『リバイヤサン』(1651年)やカントの『永遠平和のために』(1795年)は平和学への扉を開きました。そして後者を応用してウィルソンは国際連盟を創りました。その精神が国際連合にも継承されています。人類は世界平和構築のシステム作りに着手したのです。それは偉大な一歩と評価すべきですが、問題がないわけではありません。

日本学術会議の分科会である平和問題研究連絡会によると、平和学には英語で二つの名称があります。Peace StudiesとScience of Peaceです。それは平和学が科学であるかどうか100%決められない迷いがあることを意味しています。私は比叡山の「一隅を照らす」精神で、連句研究が平和学に貢献できると考えています。日本には言葉による平和の祈りを国家事業として行ってきた歴史があります。『万葉集』を始め二十一代集は全てそうでした。『菟玖波集』と『新撰菟玖波集』が准勅撰となったのは、連句(当時は連歌と言った)が和歌と並んで平和祈願の国家事業と認められたことを意味します。

二条良基は連句を集大成した人ですが、良基にとって連句は南北朝統合(或は朝廷救済)プロジェクトの要でした。南北朝統合ができた後、室町ルネッサンスという文化が開花した平和が開かれました。歴史的事実に基づく平和研究を通して、科学的な平和学の発展に貢献したいと思っています。今年は良基の生誕700年に当たりますので、良い記念になれば嬉しいです。


外大の学生の頃を振り返っていただけますでしょうか。英米語学科卒で修士課程を修了されていますが、何を専攻されていたのでしょうか?

英米語学専攻です。古典的なイェスペルセンの文法学から当時流行りつつあったNチョムスキーの生成普遍文法までを勉強しました。Fベーコンも読みましたが、後で哲学に移った時役立ちました。高校時代にデカルトの『方法序説』を読んで言語学に興味を持ちました。京都外大を選んだのもそのためでした。チョムスキーがデカルトの言語論に影響を受けていたことを知って面白いと思いました。

当時私は落柿舎に住んでいて、大学と落柿舎でダブルメイジャーのような生活でした。落柿舎で山田孝雄の『俳諧文法概論』を読んで、それをチョムスキーの生成普遍文法と統合したいと思いました。「普遍俳諧文法」と自分で名付けた研究テーマを個人的に温めていました。山田孝雄の外に穎原退蔵、山本健吉、大西克禮、RHブライス、HGヘンダーソンなども読みました。丸善でRHブライスの本を見つけて全部買いました。ブライスはその研究で東大から博士号を授与されていました。それが私の俳句入門になりました。

学部の卒論テーマは地球季語でした。日本語や日本文化にとらわれない、世界俳句を想定した季語論です。『世界紀行文学全集』にあった高浜虚子の紀行文は、季感論を提案していて面白かった。『英語歳時記』にあった山本健吉の「季語年輪論」は限りない興味を刺激されました。そこには彼がその理論を大西克禮の『風雅論』から発展させたことが書いてあって、美学に導かれるきっかけとなりました。気象現象・季節現象・季節の言葉、季語などの概念を整理して、季語を地球的な座標で見るようになりました。

修士論文のテーマは俳句の翻訳の可能性についてでした。京大、慶大、国際基督教大学、国会図書館などを訪ねて、いろいろな文献をあさりまわって、芭蕉の古池の句の英訳を54集め、それを分析しました。論文審査の先生には「君が何をやりたいのか分からない」と言われましたが、俳句の英訳の歴史から、欧米人によってイメージ文体がどのように発見されて英詩に移植されたかが見えてきました。『世界へ飛んだ蛙』に書いたイマジズム関連の文章は、ほとんど学生時代の研究に基づいています。Ezra PoundがFortnightly Reviewに書いた「Vorticism」という論文は、WJヒギンソンがイェール大学の図書館で見つけて送ってくれたものでした。

「地球季語」や「俳句英訳の可能性」の研究は「普遍俳諧文法」のほんの導入にすぎませんでした。そのテーマは日本では研究できないと思いました。日本の研究者は「日本人」「日本語」「日本文化」へのこだわりが強すぎて、人類普遍の俳句文芸を素直に見ようとしていないと思われたからです。


その後、アメリカの大学に進まれたとうかがっておりますが、どちらで何を学ばれましたか?

私は10年以上研究の旅を続けました。先ずコロンビア大学を目指しました。そこにはHGヘンダーソン教授がいました。学生時代彼の本を読んで手紙を書いたら返事がきて、5・6通の手紙の往復がありました。イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなどの英語で俳句を書く詩人たちにも手紙を書きました。学園封鎖のころはハワイ大学の東西センターも考えましたが、コロンビア大学で鈴木大拙が教えたこと知って、なお一層魅力を覚えました。また、京都に住んでいたCid Cormanの紹介でアメリカ俳句協会(HSA)の会長だったWilliam J. Higginsonと友達になり、彼の手紙でNYC周辺の俳句文化が想像できて、私の普遍俳諧文法の研究場所はコロンビア大学しかないと決まりました。後で知ったことですが、ヘンダーソン教授はHSAの創立者でもありました。

ところが行って見ると、ヘンダーソン教授は私が日本を発った日に亡くなっていました。癌で入退院を6年も繰り返していたことが分かりました。彼がいないと私の研究は全く進みませんでした。Dキーン教授に会って相談したら、そんな研究はここではできませんと断られました。キーン教授は言語学や哲学は苦手だったようです。部屋を出るときKenneth Clarkの『The Nude: A Study of Ideal Art』という本を貰いました。

その時に羽毛田義人教授に会いました。高野山大学から来られた先生で空海研究の第一人者です。彼は私とキーン教授の話を聞いていて、アドバイスをいただきました。俳句研究では食えないから、先ず英語教育の学位を取っておきなさい。仕事を見つけてからでも一生俳句の研究はできるから。英語教育の学部長に電話を入れてくれて、私はそこで修士を取ることにしました。普遍俳諧文法の研究はほとんど進みませんでしたが、英語教育の学位を取ったおかげで、日本の大学の職に就くことができました。

一旦日本に帰って、産業能率短大に勤めましたが、どうしても「普遍俳諧文法」の研究が諦められずに、今度は英国政府の奨学金を受けてランカスター大学に行きました。言語学部のGリーチ教授の指導で、語彙の研究をしました。リーチ先生はコンピューター言語学もやっておられて、当時2千万語のデータベースがありました。それでコンピューター言語学も勉強してみようと思ってオクスフォード大学(英)、バーミンガム大学(英)、ブラウン大学(米)、アーカンソー大学(米)、ウォータールー大学(加)などを見学しました。しかしたまたま哲学のクラスを聴講して、私の研究テーマは言語学よりも哲学の方が良いということが分かりました。

そこで今度は南イリノイ大学(SIU)哲学部のMジョンソン教授に手紙を書いて、そこへ移ることになりました。SIUでCS Peirceを初めて読みました。パースはカントの哲学を発展させて現代記号学を開いた人です。パースの記号学こそ私が探し求めていた理論でした。


海外でもお仕事をされていたのでしょうか?

主にTA(Teaching Assistant)の仕事でした。コロンビア大学では日本語を教えました。大学院生のためにTAのポジションがあって、週に20時間仕事をすれば、全ての学部の授業が無料で受けられるうえに、給料までもらえました。私はこの制度のおかげでコロンビア大学の英語教育の修士課程を無料で終了できました。

コロンビア大学から帰国して、産能短大に勤めましたが、2年後に英国政府の奨学金を受けてランカスター大学に留学しました。公費留学でそれまでにない贅沢な研究生活でした。すべての教室で自由に聴講を許されて、レポートも論文も書かなくていいという、天国のような1年間でした。そこでたまたま哲学のクラスを聴講して、私の研究には言語学より哲学が相応しいと気づきました。

ランカスター大学では宗教学や第四紀学も勉強しました。第四紀は地質学の年代で人類発生以後に相当します。つまり、地球全体を人類進化の舞台と見て、全ての科学的方法を連携する学問です。私は特に言語の進化に興味がありました。サハラ学で言語の進化について分かったことは、300万年前に5歳ぐらいの言語能力だったのが、4万年前にほぼ現在のレベルにまで進化したということでした。私は俳句文体を進化論の視点から考え始めました。日本の俳句文体のルーツは『古事記』までたどれますが、それ以前は分からない。4万年前といえば、アフリカを出たホモサピエンスが東アジアに到着した時期です。言語史から見ると、俳句文体は原始的なのだろうか、それとも進化的なのだろうか。

ランカスター大学から南イリノイ大学哲学部のMジョンソン教授に手紙を書き、博士課程のTAポジションを頂いて移りました。TAの仕事は宿題を見たり、教授の研究資料のサーベイを手伝ったり、論理学のクラスを一つ教えるくらいで、あとは全部自分の研究時間でした。TAは全員自分の部屋を貰っていましたので、24時間自由に使えます。徹夜が明けると、徹夜組が自然と集まって、よく一緒に朝食に行ったものです。

1998年から2年間ハーバード大学に行った時は、成蹊大学からのサバティカル研修でしたので、特に仕事はありませんでした。尊敬する国文の先生のクラスを聴講したり、時々セミナーで連句の話をするくらいでした。2年間の滞在が終わる前に総仕上げの意味で「連句パフォーマンス」を上演しました。これは作曲家のジョン・ケイジと詩人のトーマス・フィッツシモンズに会ってひらめいたプロジェクトで、連句を舞台パフォーマンスにするものです。バークレー音楽院の先生三人と共同で進めていたものでした。場所はローウェル講堂(Lowell Hall)で、そこはCSパースがかつて講演した事のある場所でした。大雪にもかかわらず、300人以上入る講堂はほぼ満員になりました。


海外で学ばれて最も良かったことは何でしたでしょうか?

科学の理解が深まったことです。科学は世界の大学を結ぶパスポートであり、人類を結ぶ普遍言語であり、民主主義を守る鍵であり、平和の礎です。

まず印象に残ったことは科学と大学が一体であることです。科学は事実の観察に基づきますから、本物を体験することが不可欠です。図書館、美術館、博物館、劇場などが大学にあるのはそのためです。ハーバード大学の中央図書館には日本の国会図書館並みの蔵書があります。図書館で仕事をする司書はリサーチのプロで、学生は言うに及ばず教授の研究までも手伝えます。大学は地元にとって科学文化の基地となっています。

パースが研究した記号学は全ての科学分野を統括する哲学理論で、スーパーサイエンスとも呼ばれます。従来の科学分類は必要に応じて変えることができます。シカゴ大学が1930年代に「ハッチンス革命」と呼ばれる大胆な大学改革を行ったのも、科学の本質と目的を理解していたからです。従来の科学分類は壊されて、所謂学際的研究(interdisciplinary programs)の場が創出されました。シカゴ大学のモットーは「知識を創出し人類の生活を啓発せよ」です。「人類の」という広い視点が重要です。

科学者は地球市民です。欧州ではいくつかの大学を回る武者修行の伝統がありました。日本では学生が大学ではなく学部に縛られます。大学はもっとオープンであるべきです。大学内の学部の壁を超え、大学間の壁を超えて、世界に普遍的な科学体系と一体になることです。科学は宇宙の法則を発見して、世界を変えうる学問です。するとパースも空海も同じ次元で考えられます。科学の基盤には森羅万象と人類という広い視野が常にあります。

科学は民主主義の守護神です。教会の権威主義やドグマ主義から地球市民を守りました。コペルニクス、ガリレオ、デカルトの時代は教会権力が強すぎましたが、ダーウィンの時代になると科学文化が強くなって、科学者が命を脅かされることは無くなりました。

日本は明治時代に「技術立国」を目指しましたが、今は真の科学文化を必要としています。技術(technology)も大切だが、科学(science)はもっと重要です。東日本大震災では、海洋開発研究機構の科学技術はあったが、それを防災に生かす科学文化がありませんでした。

また原発事故では、原発を動かす技術はあったのに事故を未然に防ぐ科学文化がなく、さらに放射能漏れから住民を守る科学文化がなかった。コロナ発生時には、どの国もそうであったが、市民の安全と経済の安定を両立させる科学文化がなかった。初期段階では各国の政治家の知能テストという皮肉な見方をした人もいたが、実際今回のコロナ禍は政治家だけでなく全地球市民にとっての学習体験です。今まさにそこから人類を啓発する知恵が生まれつつあるのです。


これまで影響を受けられた、またinspireされた人物はどなたでしょうか?また、どういった点で影響を受けられたのでしょうか?

私はそのような人を観音さんと呼んでいます。私が六道の辻で迷っていると、観音さんが現われて、右へ行け、左へ行けと教えてくれました。美空ひばりにお地蔵さんの歌(花笠道中)がありますが、お地蔵さんも観音さんです。『オズの魔法使い』でもドロシーを助ける人が現われますが、あれも観音さんです。観音さんは三十三種に変化して済渡すると言われますが、私を助けてくれた観音さんはもっといました。ほんの一部を紹介します。

工藤芝蘭子(くどうしらんし);落柿舎庵主。学園紛争で大学が閉鎖された時、私はハワイ大学の東西センターに行って俳句の研究をしようと思っていました。その時彼は、「留学の前に日本でやることがもっとある」と言って、私を落柿舎の書生にしてくれた。彼と生活を共にして、俳諧経済学を教わりました。

保田与重郎(やすだよじゅうろう):評論家。彼は落柿舎に時々来ました。私が彼の自宅を訪ねたこともありました。戦後彼が出した「絶対平和論」は、カントの平和論と全く違う視点を教えてくれました。

WJヒギンソン (William J. Higginson):俳句詩人。アメリカ俳句協会会長(1974年の前後数年)。助け合いながら俳句の勉強をしました。30年余に渡る個人的な関係を通して、国際俳句・連句交流を共同で企画・実行しました。かけがえのないパートナーでした。

HG ヘンダーソン (Harold G. Henderson);コロンビア大学教授。日米協会会長。彼が亡くなった後で彼のGHQでの仕事を知りました。これはRHブライス教授も同じでした。昭和天皇の「人間宣言」の草稿を書いたのがヘンダーソンとブライスの二人でした。同時に二人は、日本の文化・宗教・教育改革担当でもありました。特にヘンダーソンの『俳句入門』は、俳句が文化構築のソフトウェアでもあることを理解するきっかけとなりました。

羽毛田義人(はけだよしと):コロンビア大学教授。羽毛田先生の空海英訳を読んで、日本語より英語の方が分かりやすいと思った。私に英語教育の学位を取っておきなさいとアドバイスをしてくれたおかげで、私は一生好きな俳句と連句の研究を続けられた。

RHブライス (Reginald H. Blyth):学習院大学教授。戦後の俳句の国際化に貢献した第一人者。彼の本を10冊ほど河原町の丸善で見つけて全部買った。彼の本で俳句と英語を勉強した。

鈴木大拙 (Daisetsu T. Suzuki):コロンビア大学教授(当時)。『禅と日本文化』(Zen and Japanese Culture, 1959)は、俳句の禅的経験を心理学的に説明していて、汲めども尽きぬ深い意味があります。この本がアメリカで再版された時、彼は “intuition” を “feeling” と改めました(p219)。たった一文字の改訂でしたが、大きな一歩でした。それは彼がカント的経験論からパース的論理学へ変化したことを示すものだと解釈しています。それによって大拙老師に一層親近感が増しました。

NAチョムスキー(Noam A. Chomsky):MIT教授。先ず彼の言語論がデカルトの影響を受けていることに興味を持ちました。そして彼の生成普遍文法理論が私の人類普遍の俳句観に科学の光を当ててくれました。

山田孝雄(やまだよしお):東北大学名誉教授、皇学館大学学長。『俳諧文法概論』は私に人生の目標を与えてくれた。彼は文法学と同時に連歌研究の権威でもあった。

浜千代清(はまちよきよし):京都女子大名誉教授。連歌を山田孝雄に師事した。私は浜千代先生に連歌を習った。最後の連歌師の風格に接する貴重な体験をさせてもらった。連句は祈りであるということを学びました。

三好龍肝(みよしりゅうかん):真言律宗大僧都。慈眼舎連句会主宰。私の最初の連句の先生でした。私が空海の記号学的解釈を話したら、空海研究の権威である頼富本宏教授(国際日本文化研究センター)を紹介してくれました。頼富先生にお会いして試論を披歴すると、「若いのによくここまでやられましたね」とコメントを頂きました。その言葉が私の研究の旅の一里塚になりました。

空海:私は高校時代に禅に関心を持ちました。大学に入って鈴木大拙を読みましたが、「無」が分かりませんでした。芭蕉は佛頂和尚に師事して禅を修業しました。ブライスは鈴木大拙に師事して禅を研究しました。俳句は禅的経験を言葉で表現しますが、禅的経験の「無」と、俳句の言語表現との関係が分からなかった。ところが真言密教は真言(神の言葉)と俗言(人間の言葉)を一如とします。そこに引かれました。そこに出口があると思いました。そこから私の空海研究が始まりました。1989年にパース生誕150年記念国際大会がハーバード大学で開かれた時、私はパースと空海の比較研究を発表しました。

CSパース(Charles S. Peirce):あるドイツの哲学者はパースのことを「プラトン以来西洋で最も偉大な哲学者」と表現しています。記号学はアリストテレスに始まり、パースは現代記号学の祖です。私はパースの記号学を科学的記号学、空海の記号学を解脱の記号学と呼びます。

ヨーロッパの哲学史でイメージを哲学の中心に据えたのはカントであり、その意味でカントは重要ですが、カントの限界に挑戦してそれを超えたのがパースでした。哲学をやるためにはギリシャ語、ラテン語、ドイツ語、フランス語などが出来なければいけないと思われていますが、パースなら英語だけで良いのです。もちろん多くの言語を知っていると有利であることは確かです。空海は仏教研究にはサンスクリット語が重要だと言いました。パースも南方熊楠も16カ国語が分かったそうです。それはそれで羨ましいですが、私は語学の才能がないので、パースに当たったことを幸運だと思っています。

パースと科学に関してはQ5で答えたことと被るので、併せて読んでください。私が求めていた普遍俳諧文法を解くカギはパースの記号学であることが分かりました。そこには空海も鈴木大拙も芭蕉も溶け合う場所があります。

最後にQ&Aに付随する画像データがあればとお願いしたところ、A ジョン・ケイジの「連歌」を下記の通り共有くださいました。音楽と詩とアートに関心のある人には貴重です。




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世界の宝飾、銀座拠点に発信 (2020.10.27)


(文責:校友会東京支部事務局)

上水樽さんは1982年3月に英米語学科卒業後、京セラ株式会社に入社。30年以上に渡り、宝飾応用商品事業部を経て、東京外商営業責任者、クレサンベール銀座店 店長、新陶芸営業部責任者等に携わり、ジュエリー・生活雑貨の販売に長年従事。その後、2015年4月に合同会社オフィスTARUを設立し、東商やロータリークラブなどの団体にも所属し日々頑張っていらっしゃいます。

日経MJの記事の中から、東京支部の独自の目線で、「なるほど!」と思った箇所を共有させていただきます。記事通りではなく一部編集しております。

上水樽さんは
◇「ジュエリーという商品イメージから銀座での起業を決めました。銀座にいるとお客様のクオリティの高さを感じ、やはり銀座というブランドとジュエリーのお客様はマッチしていると認識しています」

◇「企業して3年目に、元同僚の皆さんのお陰で京セラとの協力関係が深まり、ジュエリー関連の商品が幅広く仕入れることができるようになりました。ホテルや大使館での催事など大型イベントにも参加できるようになり新規顧客が獲得できるようになりました!」

◇服飾デザイナーとのコラボで自社企画のイベントを定期的に開催して営業力を高めてきました。

◇経営理念は「彩・奏・住」の三つのキーワード。メイン事業のジュエリーで「彩」を、音楽とコラボしたイベントを企画して「奏」を、様々な作品で快適空間としての「住」の価値を高める提案を心がけています。

最後に「80歳まで元気に働きたい」とのことです。
上水樽さん、ますますのご活躍を期待しております!


(以上)

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校友会台湾支部の今!(2020.11.06)
澁谷浩 初代支部長


東京支部の皆様、初めまして。

校友会台湾支部・初代支部長を務めさせていただく、1985年度卒業生の澁谷浩と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
台湾支部では、設立大会の開催を本年4月11日(土)に設定、ご来賓の招待、会場の予約、在台卒業生への連絡等、準備を進めておりました。
その矢先に、世界的な新型コロナウィルス感染拡大の状況が発生し、開催時期の延期を余儀なくされました。

さて、ここ台湾では、当初より感染防止対策を徹底したお蔭で、現在は出入国者数の激減、一部の業種の業績悪化はあるものの、社会全体的には落ち着きを取り戻して来た感もあります。
ただ、公共の場でのマスク着用、自宅や自社以外の建物に入るときの検温などが義務づけられておりますが、それも基本的マナーとして定着し、感染防止に台湾の人々の民度の高さも見ることができます。

台湾は、ご存知のとおり、とりわけ経済・文化の面において、日本との密接な、そして熱い感情を伴った交流が盛んです。
そういう台湾において、本学の卒業生が集い、親睦・交流を深める機会を得ると共に、本学として台湾への何らかの社会貢献を果たすという意義は大きいと考えます。

先ずは、延期されている設立大会の開催です。
今後も適時ご連絡させていただきます。
日本ではまだまだ感染が続いているようですが、東京支部の皆様も、どうぞご自愛ください。
(以上)

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校友会 徳島支部の今! (2020.11.07)
朝日紀世志 支部長
事務局 川原伊平


皆様、いつもお世話になっております。
徳島支部へのご支援、ご理解ありがとうございます。
昨年は台風の影響で支部総会懇親会は開催できましたが、阿波踊りは中止となりました。

今年度はコロナ禍の中、阿波踊りも中止となり全てが予定通りに実施出来ていません。今は来年の開催に向けて準備をしております。

今後ともよろしくお願いいたします。

(以上)

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アルゼンチン支部の今!(2020.11.12)
谷口庄平 支部長


この度「第32回関東地区卒業生の集い」の開催おめでとうございます!

2010年の夏、皆さんの集会に参加させていただき、懐かしい友達、新しい方々、更に前会長、副会長の坂本さんや藤井さんとも逢える等、楽しい貴重な機会を頂きありがとうございました。常に感謝して居ります。早いもので10年過ぎましたが、皆さんこのコロナに悩まされる中、この集いを催される元気な活動力の様子に接し喜んで居ります。

此方、(校友会アルゼンチン支部の今)のタイトルでメッセージを送らせて頂きます。暑さの為、今からコロナの感染と死亡率は下がる傾向でこれまでの感染者合計は1,228,814人、回復者合計約1,100,180人、死亡者合計33,126人でした。11月6日の感染者は11,786人で死亡者が371人でした。今日の感染者は8,317人、死亡者が349人で下がってきています。

私とワイフ、ロサウラは3月20日に出た規制(Protocolo)で家に閉籠り(特に60歳以上)、外出にはマスク、清潔なアルコールのスプレイ、常に手を洗う等が習慣となりこれを出来るだけ守りながらの生活です。コロナに注意はしていますが恐れる心配等は全く感じることなくバス、電車等をフルに利用しています。2週間程前から少しずつ解除、フリーになりレエストランや喫茶店でも座り、新聞を読み美味しいコーヒーCAFE EXPRESが呑めるので楽しくなってきました。コーヒーの後は運動を兼ねた散歩をしています。

神、仏、お世話になった方々に感謝し、毎朝どこも痛むところなく食欲旺盛で生きて居れるのを天からの授かりものと大事にしています。牛肉が主食の様ですが魚、フルーツや野菜も充分食べます。アルゼンチンは資源が豊富な国でこの点問題ありません。近松先生のスペイン語の文法の本にアルゼンチンの農牧場の雄大さを語る数ページがあり、又最後の表紙にアルゼンチンは希望の国そして明日の国とスペイン語で記されていました。この言葉であの当時からこの国に強い感心と夢を抱いていました。大きな苦労はありましたが未だに後悔はしていません。無茶苦茶の政治で経済もガタガタですが底力があり又いつか将来立派な国になると夢を持ち続け挑戦しています。

コロナにつても有名マークのPFIZERが90%の効力のあるワクチンを出しました。アルゼンチンはすでにロシアのワクチンを先に買い付けた様ですがこれから先はどうなることやら疑問???です。コロナの収束には2年半程先になると思います。どう思われますか?
来月の末頃に80歳になりますが一度も人間ドックなどに入ったことが有りません。これに入ったら身体のどこかの故障が発見され病気になってしまいます。

年齢や病気コロナ等は全然気にせずワイフと音楽の練習は時々やっています。昔のトリオの柳氏と永戸氏も健在でメールをやり取りし楽しんでいます。本来なら今年の8月9日大阪着で約1ヶ月の滞在で関西中心、大阪帝国ホテルのディナ‐ショー等から東京も少しの公演が決まっていましたがコロナで全てがキャンセルになりました。

これによく似たスケジュールのコンサートで以前に数回日本に行きました。関西で有名なタンゴ楽団、上田裕司リーダー(ピアノ奏者)のタンゴ・ガルーファ楽団の呼び寄せでした。
政府は先月の極端なペソ貨の下落(ドルが上がる)でこれを理由に隣国のブラジル、ウルグアイ、パラグアイ、チリーやボリビア等との国境を開け、現在彼らにはアルゼンチンの物価は凄く安く多くの観光客を入れドルを稼ぐ事を考えています。ブエノスアイレス市内の高級品商店街やショッピングセンター、レストラン等に活気が出て、その中にタンゴの演奏やダンスのショーの可能性もあります。本日から劇場も開始で俳優さんらも喜んで居ます。

アルゼンチン航空も世界の10か所(ローマ、マドリード、USAのマイアミとニュヨーク含む)に飛び、アルゼンチン国内線は約半分の州に飛びますが観光客はまだ乗れません。
アルゼンチンでも3蜜を守らず隠れた結婚式、大小のフィエスタ等が見つけられています。
いよいよクリスマスと正月ですが今年は全家族が集まって祝い合う事は難しい様です。

貴校友会東京支部の皆さまの益々のご健勝とご活動をお祈り申し上げます。
良き新春をお迎えください。

谷口庄平 ROSAURA SILVESTRE



(以上)

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Club HAT’sの今!(2020.11.13)
垣見和人 会長(タイ国際航空勤務)


2020年もまもなく終わりを迎えますが、コロナイフェクトの衝撃が走った今年は、観光業界にとってまさしく悪夢のような年でした。国際往来が途絶えた“鎖国”状態は、特に人の移動を生業にする航空業界にとって、民間航空100年の歴史の中で最悪の苦境といって過言ではありません。

コロナ渦において、世界各国の航空会社が政府に財政支援を要請する中、経営破綻する会社も少なくありません。私の勤務するタイ国際航空もその中の1社で、5月19日タイ中央裁判所に会社更生法の適用を申請し破綻しました。これは破産による会社消滅を意味するのではなく、裁判所の管理下でタイ政府とともに再建に向けた再建計画を立案する更生支援スキームです。再建という方向へ動き出したことに間違いはありませんが、国際往来がコロナ前の水準に回復するのに3‐4年という長い年月を要すると想定されていることもあり、まだまだ前途多難です。

そういった中、久々の明るい話題は11月より関西空港での週1便での運航再開です。これは日泰の政府間での国際往来に関する枠組みに基づく再開で、実に214日ぶりの運航となりました。対象者は赴任など長期滞在者に限定され、ボリュームゾーンである一般出張者や観光客は対象外のため、11月1日の初便は数十人程度の旅客数でした。医療用マスクに防護服を身にまとう客室乗務員の物々しさは、年初までの賑わいや華やかさとは大きく異なる別世界をみるようでした。運航再開を素直に喜ぶ一方で、現実に改めて直面した瞬間でもありました。

コロナ後の新常態における航空会社の方向性は、脱労働集約型ビジネスモデル、非航空ビジネスの拡充などによるイベントリスクへの耐性強化が想定されます。紆余曲折があるとは思いますが、どのようなスピードで、どのような回復曲線を描きエアラインビジネスが変化していくのか、客観的に期待と不安を抱く私は、自身の目の前にある課題をひとつずつ解決していく日々です。従業員も含め皆の笑顔が満ち溢れるコロナ前までの空港の風景が、一刻も早く戻ることを願ってやみません。





(以上)

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アルゼンチン支部 谷口庄平支部長の今! (2020.11.17)

ロサウラ シルベストレ(芸名)ROSAURA SILVESTREの第3番目のCDのアルバムです。今年2月末に録音が終わりました。有名なマエストロJORGE DRAGONE(93歳)(日本には12回も公演で行かれています)の楽団と録音。その後、5月末になくなりました。

このアルバムに私達二人の写真もありますので送らせて頂きます。
演奏についてはROSAURA SILVESTREの名で、YOUTUBEで見て頂きますと私達のDUOの演奏、曲名はQUIEN SERA, 浜辺の歌はステージのVIDEOがあります。勿論、彼女のCDでは色々の曲が聴けます。




次の写真は1年半程前のもので、日本の女性はさえきアナ(芸名)さんです。前ミス北海道で現在東京に住み俳優、歌手で自分の劇団も持ち、化粧品店、喫茶店等も経営する企業家で有名です。タンゴ歌手でもありCDも出し2年に一回アルゼンチンに公演で来ます。この写真はブエノスアイレスの沖縄県人会会館でのタンゴフェスティバルに私達と一緒に出演の後に撮ったもので、もう一つの写真は私から買ってくれた楽器、バンドネオン(タンゴには欠かせない楽器)と一緒に撮ったものです。今もまだ私達はこの様に元気です。



(以上)

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近藤蕉肝の俳諧の世界を垣間見る 後編 (2021.01.21)


<後編>「近藤蕉肝の俳諧の世界を垣間見る」(2020年12月23日〜2021年1月15日)

Q. 前回は近藤様の学生の頃のお話しに始まり、アメリカでの学びやその後の歩まれた軌跡を振り返っていただきました。今回は主に近藤様の著作「世界へ飛んだ蛙:芭蕉から地球俳句へ」についてお話をお聞きしたいと思います。先ず、どうしてこの本を書こうとされたのか、その経緯や背景をお聞かせください。


大学を退職するにあたり、挨拶代わりに。私の専門分野は英語学、言語学、英語教育学、哲学でしたが、担当した教科は主に総合英語、いわゆる語学でした。私が選んだ専門分野は実は私にとって俳句や連句を研究するためのツールでした。つまり、既存の科学を学ぶのが目的ではなく、本当の目的は人類共通の俳諧普遍文法を研究することだったのです。私はそのためには人類学・民俗学、生物学・地理学・気象学・海洋学・文学・言語学などの既存の科学を総合する必要があると思っていました。そのような研究は当時の日本では出来そうもなかったので、コロンビア大学のヘンダーソン教授を頼って渡米したのが留学の動機でした。結果的に5つの大学を渡り歩くことになったのは、パースの哲学に出会うまで納得がいかなかったからでした。

私の勤めた成蹊大学は縦割りの組織になっていて、学部横断の交流はほとんどありませんでした。私は経済学部でしたが、同僚の経済学・経営学の教授とは教授会で会うくらいで、親しくお話する機会がほとんどありませんでした。辞める前になってそのことを思い出して、私がやってきたことの要点を本に纏めて、残しておきたいと思ったのです。経済学・経営学専門の教授なら、普通は着任したとき名刺代わりに著書を渡すのですが、私はそんな格好良いことができませんでした。

以上のような動機でした。始めは連句を中心に書くつもりでしたが、出版社の助言で、連句ではなくて俳句を中心にして、論文調ではなくて学生に話しかけるような調子が良いということで、構成し直しました。結果的に断片的な俳句の本になってしまいました。そういうわけで、今連句中心の本を書いているところです。「連句入門」の本と「連句と平和」の本を2冊計画中です。特に連句と平和の本は京都外大のモットー “Pax Mundi per Linguas” に関わります。上に言ったように、パースの哲学、つまり記号学に出会った後は、記号学を使って一生かけて俳諧普遍文法の研究を続けるというのが私の計画でした。だいたい計画通りに進んできましたが、根が哲学ですから、終わるということがないわけです。それで最近は連句と平和という人類の最も大きな問題と取り組んでいる次第です。鮭が生まれた川に戻るように、母校の精神に戻ったことになりますね。


Q. その本の中で、「古人の求めたる処を求めよ」という芭蕉の言葉が一番大事と言われています。その言葉の意味となぜ一番大事と思われるのか教えてください。

形ではなく心を求めよという意味が重要だからです。芭蕉は人口に膾炙する言葉をたくさん残していますが、「古人の跡を求めるなかれ;古人の求めたる処を求めよ」と言う言葉を自らの座右の銘にしていたそうです。形だけを真似るのではなく、求道の精神を忘れるなと言う意味です。また芭蕉は「古人の言ったとおりにするのは、涎をなぶるようなものだ」と弟子にも言ったそうです。あくまでも自分の心の修練が肝要だということです。

芭蕉のこの座右の銘は実は空海の言葉です。芭蕉が空海の言葉を座右の銘にしていたことが重要だと私は思います。奥の細道を歩いた時彼は「同行二人」と笠に書きつけました。曽良と二人という意味ではなく、空海と二人という意味で、お遍路のしきたりになっていました。その旅で最初に訪れた日光では、「あらたふと青葉若葉の日の光」の一句を空海に奉げました。日光はもともと「二荒山」と書いて「ふたらさん」と読ませました。観音が住むと言われる「補陀落」(ふだらく、Potalaka)の音を当てたもので、観音信仰の霊場だったのです。空海は「二荒」を「にこう」と読ませて「日光」の字を当てました。その命名の妙を芭蕉は称えたのです。奥の細道の旅は芭蕉にとって空海の心を求める修行だったのです。奥の細道は芭蕉にとって俳諧道場でした。

シェイクスピアは「人生は舞台である」と言いました。それは正に劇作家らしい言葉です。一方で芭蕉は人生を旅と見ました。「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。」『奥の細道』の冒頭のこの言葉から、多くの人は西行や宗祇を連想すると言いますが、私はさらに空海を連想します。それはさらに玄奘三蔵や釈迦の旅に繋がります。「人間は最も高貴な目的のために歩くものだ」として、ヘンリー・D・ソローは歩く人を「ウォーカー・エラント」の位に位置付けました。そしてそれはナイトの位より上だとしました。

空海は当時最先端の知識体系を日本に伝えました。私が特に注目するのは彼の記号学です。それは『声字実相義』『吽字義』『即身成仏義』という三つの論文にまとめられています。現代記号学を代表するチャールズ・S・パースの記号学は、スーパーサイエンスとも呼ばれるように、主に科学体系を扱うものとされています。それに対して空海の記号学は命の救済を目的としています。従って私はそれを解脱の記号学と呼んでいます。

空海が紹介した曼荼羅は、現在のコンピューター文化を創り出したアイコンのルーツでもあります。『大日経』と『金剛頂経』という膨大な経典が「胎蔵曼荼羅」と「金剛界曼荼羅」という二枚のアイコンによって一瞬に俯瞰できるのです。この認識技術は鎌倉時代の浄土宗に発展しました。お経の読めない庶民は「南無阿弥陀仏」という呪文を唱えるだけで成仏できる道が開かれたのです。俳句一句はその呪文と同じ意味があるのです。一句から森羅万象の花が開くのはそのためです。

Q. また、「今や俳句は世界文学となった」とも言及されています。俳句と世界文学の相関関係についてどんな解釈をお持ちでしょうか。

イマジズムの花の根は俳句だからです。イマジズムは英詩だけでなく欧米の文学史に輝かしい業績を残しました。イマジズムに影響を受けた欧米の多くの詩人たちがノーベル文学賞の花を咲かせました。俳句がイマジズム運動のきっかけになったことは疑いありません。事実、イマジズムはエズラ・パウンドが書いた「メトロ・ポエム」から始まりました。


In a Station of the Metro
The apparition of these faces in the crowd;
Petals on a wet, black bough.
(意訳:顕現す群衆の顔や枝の花)(1913−16年)


「メトロの駅にて」という題が付いていますので、「メトロ・ポエム」と呼ばれます。実はエズラ・パウンドは荒木田守武の次の発句にヒントを得て、この句を作りました。

落花枝にかえると見れば胡蝶かな  荒木田守武(1473〜1549)

荒木田守武は伊勢神宮の神官で俳諧の祖とされる人です。守武の発句を見て、エズラ・パウンドはイメージ表現のヒントを掴んだのです。だからパウンド自身はその詩を “hokku-like sentence”(発句のような文体)と呼びました。守武は俳祖(俳諧連歌の祖)、芭蕉は俳聖(俳諧連歌の聖人)とされていますが、その俳諧連歌が今日われわれが連句と呼ぶものに他なりません。連句は数人の連衆がコラボするので「座の文学」と言われます。その連句の最初の句を発句と言います。ところが明治時代に近代西洋個人主義の影響で、文学は個人が個人の感情を一人で表現するものと定義されましたので、座の文学である連句には近代文学の定義が当てはまりませんでした。そこで、1893年頃から連句の近代化が進むと、発句だけを独立させて一人で作り、それを「俳句」(俳諧の発句)と呼ぶようになりました。1905年に『吾輩は猫である』が書かれたころには「俳句」という言葉が普通に使われていますが、エズラ・パウンドが「発句」という言葉を使ったのは、彼が守武の発句をモデルにしたことと、西洋に「俳句」という言葉が伝わる前だったことを物語っています。

エズラ・パウンドがなぜ「メトロ・ポエム」を作るに至ったのか、そしてそれがなぜ西洋文学史に重要な意味を持つのかを説明する前に、ちょっとした西洋哲学史の知識が必要です。ギリシャ哲学の泰斗プラトンは主知主義の立場で、知識から詩を排除しました。主知主義では、知識の基礎となりうるものは、「三角形の内角の和は180度である」というような、普遍的な真理のみでなければならないとされます。それに対して一般的にイメーで構成される詩は、人により場合によって意味解釈の多様性を許しますので、知識の基礎としての条件を満たせないと判断されたのです。おおざっぱに言ってプラトン以後の西洋哲学では、イメージが主流になることがありませんでした。その考え方を180度転換したのがカントでした。彼は知識の素は経験から生まれるイメージであるとして、イメージを中心に新しい知識理論を作ったのです。それが近代科学の基礎となっています。

哲学の勉強もしていたエズラ・パウンドは、「イメージは言葉で表現できるか」という疑問を持ちました。その疑問について考えながら過ごす日々が数年続きました。1910年から11年にかけてハレー彗星が世界を驚かせた頃、彼はパリのメトロの駅で不思議な体験をしました。暗黒の構内を背景にして美しい女性の顔や美しい少年の顔が、星のように浮かび上がってきたのです。それは抽象絵画の色のような印象でした。自分が画家だったらカンジンスキーのような絵を描いたかもしれないと思いました。その時脳裏に浮かんだイメージを急いで書きつけたら、30行ほどになった。それでは一瞬のイメージのひらめきを表現するのに長すぎるので、短くしようと試みたが、どうしても半分以下にはならなかった。

因みに、 “apparition”(出現、顕現)という言葉には当時特別な意味がありました。彗星が暗黒の宇宙を背景に現れることを “apparition”と言います。1910年のハレー彗星は世界中を驚かせた現象でした。4月ごろ肉眼で見えるほどになり、5月15日には彗星の尾の中を地球が通過しました。日本では、彗星の尾の毒素によって人類が滅びるという噂が広まりました。そこで、盥の水に顔を付けて出来るだけ長く息を止める練習をしたそうです。もう一つ、ギュスターヴ・モローの描いた有名な絵に “Apparition”という題のものがあります。予言者ヨハネの首を取ったサロメの前にヨハネの首が現われる絵です。薄暗い宮殿の部屋に輝く頭光をまとって現れたヨハネの首を見て、それを指さしたままサロメが凍り付いている場面を描いています。当時 “apparition”という言葉で、誰もがすぐに彗星やモローの絵を連想したはずです。

エズラ・パウンドが「メトロ・ポエム」を最初に発表したのは1913年4月でした。それによって詩の形式ができるまでに格闘した時間が想像されます。「メトロ・ポエム」には花が詠み込んであるので、それを春の季語とすれば、地下鉄の駅でイメージを見たのは1910年か1911年の春ということになる。それから丸2年、あるいは3年近く、そのイメージを表現する文体と格闘する日が続いたことになります。そして多分1913年の1月ごろに守武の発句に出会って、彼は一瞬で頓悟した。それは禅の悟りのような頓悟だったに違いありません。日本人は自分と同じ心が分かる民族なのではないかと思ったそうです。初案を少し推敲したものが1914年にまとまった論文と共に発表されて、そこから英詩の現代を切り開いたイマジズムが始まりました。

今までにイマジズムの影響を受けた多くの詩人がノーベル賞を受賞しました:
1913年、ラビンドラナート・タゴール(インド):岡倉天心と交流があった。エズラ・パウンドが編集していたPoetryという雑誌でWBイエイツがタゴールをノーベル賞に推薦した。タゴールの授賞作品『ギタンジャリ』は「詩の捧げもの」という意味で、後にエズラ・パウンドも自分の詩集に『詩の捧げもの』という題名を付けた。

1923年、ウイリアム・バトラー・イエイツ(アイルランド):彼は能の研究家であり、自らも「鷹の井」という作品を書いた。タゴールをノーベル賞に推薦したのは彼だった。エズラ・パウンドがイエイツに「日本には発句より長い詩はあるのか」と聞いたら、彼は「それは能だろう」と答えたそうだ。それはイエイツが能を長いイメージ詩と理解していたことと同時に、二人がまだ連句を知らなかったことを物語るエピソードである。

1948年 T. S. エリオット(アメリカ出身、イギリスに帰化):イマジズムを代表する詩人。
1956年 ファン・ラモン・ヒメネス(スペイン):純粋詩を確立した。
1963年 イオルゴス・セフェリス(ギリシャ):TSエリオット、パウンドの影響を受けた。
1971年 パブロ・ネルーダ(チリ):比喩の名手と言われた。
1990年 オクタビオ・パス(メキシコ):1969年に西洋に初めて連句を紹介した。
2010年 トーマス・トランストルンメル(スウエーデン):比喩の名手と言われた。
パウンドの影響で、1959年から俳句を書いていた。
2016年 ボブ・ディラン(アメリカ合衆国):アレン・ギンズバーグとコラボした。

1948年にノーベル賞を受賞したTSエリオットの授賞作品は「荒地」(The Waste Land)でした。制作過程でエズラ・パウンドが全ての行に朱を入れたことが分かっています。またそれが日本に伝わってきた時、寺山修司などの若者が「荒地」という詩の運動を起こしました。俳句の逆輸入でしたが、その世界史的な意味に気付いていた人はいたでしょうか。それは、俳句を学校教育や文化院(今の文化庁)から締め出すことを提案した桑原武夫の「第二芸術」が出た直後のことだったので、皮肉な現象だったと言う他ありません。日本で俳句批判の嵐が吹きまくっていたときに、西洋ではイマジズムが絶賛されていたのです。

因みに、エズラ・パウンドもTSエリオットもアメリカ出身ですが、当時イギリスに住んでいました。イマジズム運動に二人が果たした役割は大きく、その影響でノーベル賞を受賞した詩人はヨーロッパ中にいました。イマジズムが欧米全域の詩を変革したと言っても過言ではないと思います。

カントの哲学とエズラ・パウンドのイマジズムは、イメージというキーワードによって科学と文学を一つにしました。それは文学だけでなく芸術一般についても言えることで、現在では “Arts and Sciences”という言葉が複合語のようになっています。ギリシャの賢人アルキメデスは、梃子の原理を発明して、「我に支点を与えよ。さすれば地球を動かさん」と言ったそうです。イメージこそその支点に違いありません。イメージによってカントは人類の世界観を変え、エズラ・パウンドは世界文学を変えたのです。

Q. 海外にも俳句詩人がいらっしゃいますが、近藤様のお好きな俳句詩人とお気に入りの作品があればご披露いただけますでしょうか。

沢山ありますが、少しだけ紹介します。英語俳句は普通3行で表現されます。ですから英語俳句を紹介すると行数が増えることをお許しください。(行数、詩形、句読点、小文字・大文字などを変えないようにお願いします。)

ウイリアム・J・ヒギンソン(William J. Higginson、アメリカ合衆国)

a robin listens
then flies off
snow eddies
(意訳:耳すまし ロビン飛び立つ 雪の渦)1971年

私が外大在学中の二十歳の時に十歳年上の彼を紹介されて文通を始めました。愛称はビル。彼はアメリカ俳句協会の会長でした。お互いに欲しい資料を送り合いました。彼はニュー・ジャージー州のパターソンに住んでいましたが、100キロ以上離れたコネチカット州のイェール大学の図書館に行ってまでして、日本になかった資料を送ってくれたこともありました。私がコロンビア大学に行くことにしたのは、ヘンダーソン教授のためだけではなくビルがいたからでもありました。NYCに到着してからコロンビア大学に入るまでの4か月間彼のアパートに泊めてもらって、国連前の日本協会で開かれていたアメリカ俳句協会の月例会や、あちこちの俳句仲間のパーティーに連れて行ってもらいました。私にとって兄のような人でした。思い出は切りがありません。

ロビンはアメリカ南部で冬を過ごし春になると北部へ移動します。紐育あたりでは、ロビンが庭の芝生に見えると春が来たと実感するそうです。土の中で動くミミズの音を聞いて、素早く捕まえます。耳を澄ますときに小首をかしげるしぐさが可愛い。この俳句は、まだ早春の雪が舞う頃、初めてロビンを見つけた春の喜びを詠ったものと思われます。

アニタ・ヴァージル(Anita Virgil、アメリカ合衆国)

trickling
over the dam−
summer’s end
(意訳:堰こえる 水したたるや 夏の果て)1970年

私が学生の頃には海外の五十数カ国で俳句が書かれていると言われましたが、日本人の間には外国の俳句に対して偏見がありました―外国人には俳句は分からない;外国語では俳句は書けない。ところが私はビルから送られてきた雑誌でこの句を読んで、英語でりっぱな俳句ができることを確信しました。

アニタは茸の絵を専門にする画家でした。茸を描くためによく山野に出かけるので、彼女は四季の風景に親しんでいました。川の水量の変化が季節によって変化することを知っているので、そこを焦点にして風景を描写しました。画家らしい目の付け所です。同じく画家だった蕪村の句に「柳散り清水涸れ石ところどころ」というのがあります。西行が「道のべに清水流るる柳かげ しばしとてこそ立ち止まりつれ」と詠い、芭蕉が「田一枚植えて立ち去る柳かな」と詠んだ場所の風景です。西行の歌と芭蕉の句が夏の風景であるのに対して、蕪村の句は冬の景色です。私はアニタ・ヴァージルの一句の中にこの小川の春夏秋冬の景色の移ろいが想像できます。変化し続ける川の生命の一瞬をとらえているからです。

アニタが茸専門の画家であったことから意外な人物との関係が結ばれました。ジョン・ケイジです。ジョン・ケイジは世界的に有名な前衛作曲家ですが、同時に世界茸学会の会長でもありました。1975年の12月当時、彼はアメリカ建国200年記念のための作品を制作中でした。題して『レンガ』。連歌、つまり連句形式から発想を得たオーケストラ作品で、彼は連句についてもっと詳しく知りたかったのです。それは私がビルのアパートに居候していた時でしたが、アニタからビルに連絡があって、私が連句の説明をするためにジョン・ケイジに会うことになったのです。それまで研究対象を俳句だけに絞っていた私は、音楽と連句の融合に驚き、連句の普遍的価値を再認識しました。

ローラ・A・デイビドソン(l. a. davidson、アメリカ合衆国)

beyond
stars beyond
star
(意訳:遥かなる 星の彼方や 星ひとつ)1972年

彼女は普通みんなからアグネスの愛称で呼ばれていましたが、本当はローラと呼ばれる方が好きだと私に言いました。1968年にアメリカ俳句協会が設立された当時から記録係を務めていた彼女は、世話人としても俳句詩人としても、アメリカの俳句を育てる愛に満ちていました。創立者のハロルド・G・ヘンダーソン教授は、日本の俳句の模倣ではなくてアメリカ人にしかできない俳句を作って欲しかったので、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」を俳句のモデルとする固定観念を打ち破ることを勧めていました。

この句は当時のチャレンジ精神をよく反映しています。たった4語で、しかも二つの単語を2回繰り返すだけで、奥深い宇宙を驚くほど見事に捉えています。日本語の俳句でも「てには」の助詞の使い方が生命線ですが、この句ではbeyondが合わせ鏡のような不思議な効果を生み出しています。彼方の星の、その彼方の星の、そのまた彼方の星の…と無限級数的に宇宙の奥へ続きます。宇宙で最初に生れた星まで行くかのようです。

マイケル・マクリントック(Michael McClintock、アメリカ合衆国)

the leaf
falls . . .
fluttering sunlight
(意訳:一葉散る たわむれている 日のひかり)1969年

この句は高浜虚子の「桐一葉 日当たりながら 落ちにけり」を連想させます。彼が虚子の句を知っていたかどうかは分かりませんが、私は「日当たりながら」という概念的な表現よりも「fluttering sunlight」という表現に感性を刺激するものを感じます。

overtaken
by a single cloud,
and letting it pass . . .
(意訳:雲ひとつ 追い抜かれけり 追い抜かす)1971年

彼はベトナム戦争従軍経験を多くの句にしています。しかしこのような飄々とした句もあります。一茶や山頭火の世界を連想させます。

ダグ・ハマーショルド(Dag Hammarskjold、スウエーデン)
彼は親日派の国連事務総長として知られていました。1961年にコンゴ紛争調停のためにコンゴへ赴く途中、反対派が関わったと思われる航空機事故で亡くなりました。彼の死後にノーベル平和賞が決定したのは異例な措置でした。彼は少年のころからカメラが趣味で、一瞬の美を切り取る冴えた美学を持っていました。死後、彼のベッドサイドの机の上にヘンダーソン教授が書いた『俳句入門』(An Introduction to Haiku, 1958)がありました。そして日記の中に100句余りの自作の俳句が見つかりました。事故死の2年前、1959年秋に次の句がありました。

Do you create? Do you destroy? 創造するのか? 破壊するのか?
These are the questions いざこと問わん
for your ordeal-by-fire 神の火のくがたちは
(意訳:創造か 破壊か神の くがたちは)

「くがたち」には火を使うものと熱湯を使うものがある。例えば火の中に手を入れて、やけどをしなければ無罪が証明される。彼の父は軍人で、母方は牧師だった。父と母から受け継いだ精神が、この詩の中で激しく格闘している。先ず命をかけて任務を遂行しようとする気迫が感じられる。彼は侍の魂を持った戦国時代の詩人を連想させる。例えば本能寺の変の8日前に巻かれた「愛宕百韻」の明智光秀の発句「ときは今天が下しる五月かな」。これほど謎の多い発句は他にはないが、それが武士らしい宣言であったことは間違いないでしょう。その意味の詮索はともかくとして、武士の魂を持った句が現代俳句には稀になったと私は言いたい。

ハマーショルドは初めて国連軍を創った人だった。平和を創る国連の活動に軍隊がどのような役割を果たすべきか今も議論はあるが、事務総長の心は苛まれ、火のくがたちのような苦痛に耐えていたことが分かる。

ヘルマン・ファン・ロンプイ(Herman Van Rompuy、ベルギー)

Around six, birds
ushering in the morning.
Audible spring
(意訳:朝6時 鳴き立つ鳥や 春の声)

彼はベルギーの政治家で、彼がEUの大統領だった時EUがノーベル平和賞を受賞した。彼は詩人的政治家を自称している。日本の外務省は彼を俳句大使に任命して、俳句による文化交流を進めている。ヨーロッパには詩人的政治家が多い。フランスのシラク大統領やドヴィルパン首相も俳句を書いたそうだ。日本では中曽根首相がそうだった。最近亡くなった有馬朗人元文科大臣もそうだった。有馬氏は俳句を世界遺産にする運動をファン・ロンプイ氏と共に進めていた。誰がその志を引き継ぐだろうか。

知らない人のために有馬朗人氏と俳句の関係にちょっと触れておきたい。東大俳句会は夏目漱石の指導で始まりましたが、会長は東大教授が務めています。初代会長は地球物理学が専門の寺田寅彦で、二代目は機械工学が専門の山口青邨でした。有馬氏は三代目です。彼は「天為」という俳句会を主宰する俳壇でも一流の俳句詩人です。大変残念ながら去年の12月6日に他界されました。

俳句には三つの徳があります。先ず、科学は森羅万象を対象とするが、俳句も森羅万象をよく観察し理解し表現するものだから、科学に通じる。次に、見たことを的確で美しい言葉にすれば、コミュニケーションを助ける。そして予断のない公正な認識は世の中の平和に貢献する。世の中に貢献する人にとって俳句は心の支えにもなるのです。

ファン・ロンプイ氏の一句は春の曙を詠んだものです。日の出前の瑠璃色の曙光が東の空を染めると、あちこちで鳥が鳴き始めます。南から帰ってくる鳥も多くなって、にぎやかに春の訪れを告げています。目に見える春景色もさることながら、鳥の歌声は耳に聞く春であるという見立てが新しい所です。

因みに、西洋人で一番最初に俳句を書いたのはベルギーの隣のオランダのヘンドリク・ドゥーフ(Hendrik Doeff, 1777~1835)でした。彼は長崎出島に住んでいた船長でしたが、『ドゥーフ・ハルマ辞書』という蘭和辞書の作者でもありました。日本語に熟達していて長崎の俳諧師との交流もありました。将軍に拝謁するために江戸へ上る途中京都に立ち寄り、そこで一句詠んだ。

稲妻の腕を借らん草枕  ヘンドリク・ドゥーフ(『四海句草子』文化15(1818)年)

イナヅマは妻という女性形だから、彼女の手枕で旅の無聊を慰めようとしゃれた句である。語学の達人だっただけあって、これだけの句を日本語で書いている。オランダやベルギーは昔から俳句を愛する人がいた所です。

トーマス・トランストロンメル(Tomas Go¨sta Transtro¨mer、スウエーデン)

When the escapee was caught
his pockets were filled
with golden chanterelles.
(意訳:脱走未遂ポケット一杯のアンズ茸)

スウエーデン語で『俳句―日本の短詩』という本が出て、スウエーデンに芭蕉・蕪村・一茶・子規の俳句が紹介されたのは1959年でした。トランストロンメルはそれを見て俳句を作り始めました。その当時彼は心理学者として、少年鑑別所に勤めていました。

この一句にはその少年鑑別所で起きた脱走事件が描かれている。脱走した少年が捕まってみると、両のポケットにアンズ茸を一杯詰め込んでいた。アンズ茸はオレンジ色の毒々しい色だが、アンズのような香りとコショウのようなピリッとした味だそうで、欧州では好まれる。夏から秋にかけて顔を出すので、季語となっている。深い森の中に少年鑑別所があったのか、脱走した少年が深い森に逃げ込んだのか、どっちかは分からないが、逃走中に少年が食糧補給を考えたことは間違いない。この少年はそのきのこが食べられることを知っていた。少年が逃げ迷った深い森の秋の風景が連想される。

2010年にトランストルンメルがノーベル賞を受賞したとき、ノーベル委員会の発表では俳句という言葉はなかったが、在日スウエーデン大使館で開かれた記念パーティーでは、看板にはっきりと「俳句」と謳って、有馬朗人文科大臣が彼の俳句を解説した。

ドラゴ・シュタンブック(Drago Shutanbuk、クロアチア)
彼が駐日クロアチア大使だったとき、大使館でお会いした。クロアチアにも昔から俳句のような短い詩があったということを彼から教えられた。驚いたことに彼の自作の詩集は20センチほどの厚さがあった。今までに32冊の詩集を出したと聞いて驚いた。その中から50句だけ選んでもらって、私は『無迹より:ドラゴ・シュタンブック俳句選集』(里文出版、2011年)を編集・出版した。クロアチア語がオリジナルで、英訳はイギリス人の友人、和訳は私がやった。ここでは英訳と和訳だけを紹介する。

Susuki,
along the road’s edge.
From nowhere to nowhere.
(意訳:無迹より無方へ道のすすき哉)

オリジナルでもすすきは “Susuki”としているから、彼が日本に来てから書いた一句であることが分かる。日本のすすきは欧米にないので、日本語をそのまま使うことが多い。簡単な言葉で描かれたどこにでもありそうな道端の風景であるが、禅のような奥深い仕掛けが隠されている。nowhereという言葉は、俳句にしようとすると適当な日本語がない。しかもnowとhereに分解できて、「今、ここに」という意味になるのだが、二つを合わせると「どこにもない」という風に消えてしまう。時空座標絶対ゼロの、魔法のような言葉である。クロアチア語では、「無迹より」が “niotkud”、そして「無方へ」が “nizakud”である。クロアチア語は日本語にないパワーを秘めている。和訳の「無迹」、「無方」の言葉は『正法眼蔵』から借りた。それは太平洋戦争終戦の調印をした重光葵外務大臣の大分県杵築市の実家が「無迹庵」と呼ばれていることを思い出したからだった。

シュタンブック氏は、ロンドンで医者として勤めていた時にユーゴスラビアの崩壊によってクロアチアが独立し、請われて外交官となった。クロアチアは苦渋に満ちた複雑な歴史を背負っている。中世にはオスマン帝国とヨーロッパ世界の板挟みになって苦境に立たされ、現代ではロシアとヨーロッパに挟まれて苦境に立たされ、バルカン半島の小国の悲哀をなめてきた。18世紀末までベネチア、オスマン帝国、ハプスブルク帝国に三分割されていた。かつてクロアチアのダルマシア地方がベネチアの属国であったころの冒険家、マルコ・ポーロはベニスの人ということになっているが、実は今のクロアチアのコルチュラ島の出身でした。シュタンブック氏はその島の近くのブラーチ島の出身である。そのような祖国の運命と、外交官となった自分の運命を重ねて、この句には行く末の不安が象徴されている。

翻訳は詩の試金石であると言われるが、それは良い詩は翻訳しても内容が伝わるという意味である。クロアチアの伝統の中に俳句のような短い詩があるとシュタンブック氏が教えてくれたが、その伝統に裏打ちされた彼の短詩(敢えて俳句とは呼ばない)は、英訳されても、さらに和訳されても、その本質の髄を失わない。彼の詩がクロアチア国民としての複雑なペルソナの真実を表現しているからでしょう。

Q. 以前、長年夢だった『奥の細道』を歩く旅をしたいとお聞きした記憶がございます。その後、その計画はいかがでしょうか。

夢多き準備中です。
先ず去年の11月に自転車を買いました。電動自転車も良さそうでしたが、それは80になってからにしたいと思います。今は普通の人力の自転車です。ただしできるだけ軽いものにしました。そして輪行ができるように折り畳めるものです。冬の間はそれを近所で乗り回しています。春になったらまず日光あたりまで行って見ようと思っています。歩いたり自転車に乗ったり電車やバスを使ったりする気ままな旅をイメージしています。

「奥の細道サミット」という奥の細道上の33の市町村を結ぶ連絡会があり、各地でいろいろな活動が展開されているようです。それをちょっとネットで覗いてみると、ほとんどが俳句だけを扱っている印象です。政府のプロジェクトもありますが、それは近くの駅まで電車で行って、その近くを一回りしてまた電車で帰るというもので、奥の細道コース全体を一筆書きでつなぐものではありません。私は奥の細道が巡礼の道のように歩ける道になれば良いと思っています。田中陽希の「百名山ひと筆書き」「三百名山ひと筆書き」がテレビでやっていますが、あのようにして奥の細道を歩きたい若者がいると思います。慶応大学教授になった野口米次郎は、有名な彫刻家イサムノグチの父ですが、若い頃アメリカに渡って、カリフォルニヤの加州富士と呼ばれるシャスタ山からアリゾナの砂漠まで、『奥の細道』一冊と毛布を抱えて歩いたそうです。

今も地球のどこかで歩いている日本の若者がいると思いますが、どうか奥の細道を忘れないでほしい。特に芸人志望の若者に物申したい。俳諧には日本の言霊のDNAが生きています。芸人は言葉が命ですから、日本の伝統的な芸人は言霊を信奉してきたものです。日本の芸能のルーツをたどると、多くは室町時代にさかのぼりますが、その頃の芸能界は和歌や連句などで結ばれていました。ですから江戸時代にも多くの芸人が俳諧をしたものです。夏目漱石は俳句をやると文章が締まるからと、弟子に俳句を勧めました。広告のコピーライターにも俳句を書く人が多いのです。

金をかけた贅沢な旅行では有難みが無いので、出来るだけ金をかけない方が良い。そのためにはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のように、安い宿泊施設の整備も望まれます。ドイツでは父親が娘にこう言うそうです。結婚したい男が現われたら、二人でキャンプ旅行をしなさい。出来るだけお金を使わない苦しい旅を、二人で協力し合って成功させることができたら、きっと人生の幸せを分かち合うことができる人だと分かるだろう。そんなカップルが歩けば、奥の細道は愛の道にもなるでしょう。

熊野古道が世界遺産になっています。歩くことは、人として地球に敬意を捧げる最も尊い行為です。チベットには聖なる山を五体投地で一回りする行があります。そんな厳しい修業はお勧めしませんが、奥の細道コースは自然界と人間界が適当に交差していて、気軽に安全に歩ける、一般向きのコースです。それに何よりも文学作品と一体となっていて、世界でも類を見ないユニークなコースです。高校生や大学生が夏休みにでも歩けるようなコースであって欲しいと思います。

私は1988年から2年間ハーバード大学で「連句パフォーマンス」の研究をしました。連句作品を舞台パフォーマンスにするのです。その時協力してくれたバークレー音楽院のアレン・ルヴァインズ教授が、『奥の細道』を歩ける世界遺産にしたいのだがと、私に協力を要請したのです。まさかアメリカ人からそんな提案を受けるとは思っていませんでした。自分でもやってみたいと思っていたので、軽い気持ちで引き受けたのですが、まだ全然進んでいません。彼は芭蕉の俳句をモチーフにしたCDを出していて、山形県に招待されて自作のピアノ曲を演奏したこともあります。彼は歩くのが好きで、よくアパラチアン・トレイルを歩くそうです。メイン州から南カロライナ州まで、アパラチア山脈を縦断する3千キロのコースです。私もマサチューセッツ州とニューヨーク州の一部を歩いたことがありますが、起伏が多くて厳しいコースです。毎年数百人が全コースを歩くそうです。彼は奥の細道を歩いて、作曲したいそうです。

私は芭蕉が各地で連句をしながら旅をしたことに焦点を当てたいと思います。現地を見て連句作品の解説を書きたい。旅は行く前と中と後の三回楽しめると言いますが、私は今資料を準備しています。まず文学作品としての『奥の細道』が中心にあり、それを取り囲むようにして自然界、人間界、連句界があります。

文学界:『奥の細道』の俳文、発句、連句などの文学作品。芭蕉が訪ねた歌枕等々。
自然界:地理、気象、生物、自然史など、奥の細道沿線の自然環境。地図を作る。
人間界:各地の経済、文化、歴史。食堂、旅館、病院、自転車屋などの生活情報。
連句界:連句実作に必要なノウハウ。式目、形式、作法などを日・英語で。

これら四つの項目で構成される詩の世界(ポエトリスフィア)をAIで作ります。そういう夢を現実にするために歩きたいです。

今年もバークレー音楽院のアレンからクリスマス・カードが届きました。近いうちに会いたいというのですが、時節柄思う通りには行きそうもありません。去年の国民文化祭宮崎には来てもらいたかったのですが、コロナで今年8月に延期になりました。しかし今年は縮小でやることになって、海外はおろか東京からも来てほしくないと言われています。彼に会えるのは早くても1・2年先になるだろうから、それまで一人で奥の細道の下見をしておきたいと思っています。


Q. 最後に今の外大現役学生に向けたメッセージをお願いできますでしょうか。

遠くの星を見つめて地球を覆う翼を広げましょう。
人との出会い、人から学ぶこと、人を助けることを大事にしましょう。
平和を願い、平和に貢献することを旨に生きていきましょう。
PAX MUNDI PER LINGUASの精神を実践しましょう。
次にあげるリストから糸口を見つけてください。
森羅万象をイメージする。科学の対象は森羅万象。森羅万象は仏の法体。
空海の「声字実相義」を読む。
空海の記号学を考える。
空海の曼陀羅を観想する。
東寺の縁日に遊びに行く。(毎月でなくてもよい)
高野山で一泊する。
「虚空蔵求聞持法」に挑戦する。
伊勢神宮で一泊する。(神宮会館お勧め)
パース(Charles S. Peirce)の本を一冊読む。
パースの記号学を考える。
科学・宗教・哲学を統合する。
科学の体系を組みなおす。
お茶を習い、俳句を書く。
連句を勉強する。(座で実作を)
書を習い、音楽に親しむ。
京都の全ての神社とお寺を古い順に並べる。
京都の国宝リストを分析する。
京都一周トレイルを歩く。
天龍寺で無の意味を悟る。
愛宕山に歩いて登る。
比叡山に歩いて登る。
京都の町の隅々まで歩く。
英語のTOEFL600点をクリアする。
英語の他にもう一つ外国語を習得する。
世界遺産巡り。
国連の組織を作り変える。
絶対平和を実現する方法を考える。
幸運を祈ります。
(私は「近藤蕉肝」でウィキペディアに紹介されています)



最後に (東京支部事務局より)

今回、Q&Aを介して、近藤様に前編と後編の2回に渡って「俳諧」の世界への水先案内をいただきました。「俳諧」の世界の拡がりとその深みを垣間見る貴重な機会となりました。また近藤様の外大に寄せる気持ちを十分に感じ取ることもできました。Q&Aの最後にある外大現役学生に向けたメッセージは、なんともアポロン的で示唆に富み、その一つ一つの味わい深さと斬新さに、新鮮な驚きを覚えた方も多かったことでしょう。

近藤様から学生の頃の写真を含め何点か送ってもらいました。下記の写真はNHKラジオ国際放送で英語俳句番組(2009年5月29日)を担当されていたときのもの。右はゲストのデビッド・ラヌー(David Lanoue)教授(ニュー・オーリンズのザビエル大学)です。デビッドさんは当時アメリカ俳句協会の会長で、一茶の研究で有名な方で、当時一茶の俳句を1万句英訳したとのことのようです。 http://haikuguy.comよりその一部を見ることができます。

下記中央の写真は、近藤様の学生時代のものです。次のコメントを添えて送ってくださいました。「長らく開けていなかった箱を開けて見たら1枚出てきました。落柿舎に住んでいた当時の写真です。いろいろ思い出します。多分冬だったでしょう。空手部の後輩が訪ねてきて、記念写真を撮ってくれました。落柿舎は炬燵が一つあっただけでしたが、正座をして座っていれば、寒いと思ったことはありませんでした。落柿舎の縁側の部屋に座っていますと、時々一流の俳句詩人が訪ねてきました。お茶を差し上げると、大学の1時間分ぐらいの話をしてくださいました。落柿舎は私にとって俳句大学でした。外大と合わせるとダブル・メイジャーでした。」

また、近藤様は、落柿舎の記念写真と一緒にドラゴ・シュタンブックの俳句選集を当事務局宛に送ってくださり、「『無迹より』は知人が美智子妃殿下(当時の)に献上したら、大変良いと褒めてくださったと聞きました。外大に福田勗という英文学の教授がいらっしゃいました。教授はPoetry Nipponという英詩の会を主宰されていて、美智子妃殿下はそこの会員でいらっしゃいました。」とお伝えくださいました。

今回の前半・後半のQ&Aを通じて、まさしく”Kondo World”に直に触れる機会をいただくことができました。今もなお、新型コロナウィルスの世界的感染拡大が続く中、ときに先人が詠んだ俳諧の世界にタイムスリップし、ときに立ち止まって自らの来し方を顧み行末を案ずる上で、そのきっかけとなる格好の機会を得ることができたのではないでしょうか。




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校友会東京支部 ”33年の来し方を顧みる”(前編)
by 東京支部長 利根川正則


皆様、遅ればせながら明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

新型コロナウィルスの爆発的な感染拡大が世界を震撼させ、1年を過ぎた今も私たちの日常に大きな影響をもたらし続けています。その間、国内最長の安倍政権から菅政権への移行があり、官僚が書いた作文をただ読み上げる「ガースー首相」にこの危機的局面を救えるのかと不安な国民も少なくありません。太平洋の向こう側では異例づくめだった大統領選もやっとバイデン政権に落ち着き、安倍前総理のトランプ氏への”抱きつき外交”から日本の真の外交が問われる局面をむかえています。

さてさて、私たち校友会東京支部は1988年の設立から顧みること今年で33年目。節目となるゾロ目の年でもあります。この33年目のゾロ目を祝って(?!)、3回に渡って東京支部の歴史を振り返ります。なぜなら、私たち東京支部は2021年をWithコロナAfterコロナのいわば「再起動」の1年と定義づけたく考えるからです。


東京支部結成総会が1988年6月25日、品川プリンスホテルで開催

先輩の書き残された記録によりますと、第1回の総会が開催されたその日は朝から激しい雨が降りしきっていたとのことです。会場は品川プリンスホテルのパールルーム。その時の写真が残っています。貴重です。下記よりスクロールしてご覧いただけます。

http://kufs-tokyo.com/about_us/history/index.html

東京支部は毎年総会・懇親会を開催していますが、創設された翌年のみ開催されませんでした。1990年の2回目以降は毎年の開催となりました。当時の写真(上記リンクより)をご覧いただきますと、第5回目を数える1993年から写真がモノクロからカラーに変わっていて、時代の変遷を感じ取ることができます。

東京支部の初代支部長は当時大広に勤務されていた片山尚男氏でした。写真を得意とされ実直で尊敬に値する大先輩のお一人です。東京支部の総会・懇親会はその頃より「関東地区卒業生の集い」と呼ばれ親しまれるようになりました。卒業生が東京都内のみならず千葉、埼玉、神奈川をはじめとする周辺に多く在住されているからに他なりません。

年に一回の「関東地区卒業生の集い」、多いときで150名近い卒業生の皆さんの参加がありました。当時からの東京支部の真骨頂の一つが、実行委員長制度でした。毎年、その年の集いに向け実行委員長が選出され、実行委員長は集いのテーマや運営を任され、他のメンバー全員が実行委員としてサポート役に徹して会を成功裏に運ぶというものです。また、ホテルでの実施開催に伴い比較的宴会場の予約が取りやすい7月の第二土曜日が関東地区卒業生の集いの開催日として定着しました。

1998年は記念すべき「第10回関東地区卒業生の集い」開催となりました。10年を節目に片山尚男氏から新支部長・奥津建二氏にバトンが受け継がれました。奥津氏は品川プリンスホテルの副支配人という多忙で重責を担う業務の中、次の10年の更なる発展に向けて東京支部のリーダーとしてスタートされました。

・・・中編に続く・・・



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京都外国語大学校友会東京支部「第18回ゴルフコンペ」のご案内 (2021.03.01)


寒さの中にも春の足音が聞こえてくる様になりました。恒例の第18回東京支部ゴルフコンペを下記要領で開催する運びとなりましたのでお知らせします。

今回のコースは千葉県芝山町の「芝山ゴルフ倶楽部」です。高低差18mのフラットな敷地に大小5つの池が美しい光景を演出する丘陵コースです。

新緑の中で思い切りプレーしてみませんか?お帰りの際に「酒々井プレミアム・アウトレット」に寄り道してみるのも良いかも知れません。
皆様のご参加をお待ち申し上げます。



日  時:2021年5月13日(木) 7:45マスター室前集合
     (8:07  1組目OUTコーススタート)
開催場所:芝山ゴルフ倶楽部
     〒289-1605  千葉県山武郡芝山町大台2176  0479-77-4123
     *東関東自動車道酒々井インターから14km
費  用:¥10,110 セルフプレー、昼食+昼食時1ドリンク付
(パーティー費用、消費税、ゴルフ場利用税を含む)*各自精算

参加費は徴収致しません。 各自1,000円相当の景品を持参願います。
集計方法:ダブルペリア方式。ご持参品以外の賞品も用意しております。
申込締切: 2021年4月28日(水)*先着12名(3組)となります。

多くの方に参加していただきたい為、この案内メールをお知り合いの方にも転送いただきたくお願い致します。

新型コロナウィルスの感染拡大防止の為、皆様におかれましても引き続き感染予防対策の実施をされます様よろしくお願い申し上げます。

幹事
中林 勝之 nacchi_1960@yahoo.co.jp 090-8848-6132
石川 望美 nozomi_ishikawa@icould.com



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校友会東京支部 ”33年の来し方を顧みる”(中編)
by 東京支部長 利根川正則


ここに歴代の支部長をご紹介させて頂きます。
第1代目: 片山尚男
第2代目: 奥津建二
第3代目: 本山裕彦

今、振り返ってみますと、私は片山先輩のときから東京支部と関わらせて頂きました。校友会から東京支部総会・懇親会の案内をもらったとき、これは先輩諸氏に出会える格好の機会で、同時に仕事の営業活動にも活かせると思い参加しました。人との出会い、人脈作りと思ったわけです。片山先輩は当時広告会社である大広に勤めていらっしゃいました。当時、大広は芝公園にある別名「軍艦ビル」と呼ばれていた大型オフィスビルにオフィスを構えていて、何度かお邪魔させて頂きました。大学時代は写真部に席を置かれ、大広でもその能力を発揮されていました。一見、穏やかで物静かにすら見える当時の印象でしたが、大変頼りがいがあって後輩の面倒見もよく心の熱い素晴らしい先輩でした。支部長とはこうあるべきだということを学ばせて頂きました。片山先輩は10年間、大学と校友会のパイプ役として、またわれわれ後輩の面倒を徹底して見てくださいました。支部長退任後も、東京支部の集いには顔を見せてくださり、私がもっとも敬愛する先輩の筆頭です。あるとき、「お前、会計やれ」ということで会計を担当させて頂き始めたのが、私の校友会事務局としての関わりのスタートでもありました。



片山先輩から奥津先輩に支部長のバトンが引き継がれたのは1998年のことでした。その年の7月11日の第10回の記念となる卒業生の集いは、奥津支部長のお膝元である品川プリンスホテルでの開催となりました。東京支部の舵取り役として実行委員長役も自ら担い、次の10年の更なる東京支部の成長・発展を誓われました。奥津支部長は同ホテルの副支配人として大変忙しく活躍されておりました。支部長は常にホテルのVIP客に接するような物腰の柔らかさと包容力でもって、われわれ後輩にも接して下さいました。凛とした黒服のネクタイ姿がいつも輝いていた東京支部自慢の支部長でした。支部の実行委員のメンバーでの打ち合わせなど、何かとご配慮をいただいてホテル施設を利用でき大変助かりました。年1回の卒業生の集いはプリンスホテルグループでの開催が定番となりました。品川プリンスホテル、赤坂プリンスホテル、東京プリンスホテル・・・と名前を挙げるだけで、当時の集いの楽しいひとときが蘇ってきます。私はその頃から事務局として皆様のお世話係をさせていただくようになりました。仕事の垣根を取っ払った大学の校友の中での営みの素晴らしさをエンジョイしました。



奥津先輩は10年に渡って東京支部の発展拡大に大いに貢献を頂きました。そのバトンを受け継いだのは本山先輩でした。2008年の第20回の集いから2014年の第26回の集い開催に至る7年間、第3代目の支部長として任務に就かれました。本山先輩は丸紅に勤務されていて、フットワークもよくダンディで熱血漢の支部長でいらっしゃいました。東京支部は支部長を筆頭に副支部長、会計、監査、広報、更に毎回の集いを準備・運営する役員メンバーを加えて、総勢10名から15名のメンバーがボランティアで取り組んでくれておりました。現在もそうです。年に複数回、全員が集いそれぞれの役割分担を決めて、「関東地区卒業生の集い」の開催を成功裡に舞いおさめるべく知恵を出し合っています。
本山支部長は東京支部の規約なども新たに手掛けられ、より組織らしい組織へと導き貢献くださいました。また、校友会の他の支部長らとの支部間交流も積極的に推進されました。私は支部長代理として年に何回か行う支部役員のミーティングに加え、支部長とは個別の会合を都度必要に応じて持たせて頂き、いろいろな学びを得ることができました。



東京支部と私の関わりは、校友会の有志活動を超えてむしろライフワークの様相すら呈しつつありました。次回はいよいよ最終編です。

・・・最終編に続く・・・



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校友会東京支部 ”33年の来し方を顧みる”(後編)
by 東京支部長 利根川正則


2015年4月から東京支部の支部長に就かせて頂きました。その年の7月開催の「第27回関東地区卒業生の集い」のテーマは2019年に東京支部は節目の30年を控えていることもあり、かつ私自身の心境の吐露を加味して「新たな一頁に向けて」とさせて頂きました。それまで会計、事務局長、支部長代理を経験させて頂いておりました。6年後の私からのバトンを次の方にどう繋ぐか。着任にあたり「スタートは終わりへのカウントダウン。任期は3年、最長でも2期6年。2021年3月にはバトンタッチします。そのゴールまでどう走りきってバトンをリレーするか、そこをしっかり見据え逆算をして支部長の責務を果たしていきたい。」との決意をホームページ上でも表明させて頂きました。

私は次の三つを東京支部の取組みとして掲げました。
(1) ビジョンの活性化 
(2) 東京支部らしさの発揮
(3) ミッションの遂行

(1) 東京支部のビジョンの活性化
東京支部のビジョンは「つなげる つながる 卒業生の絆と外大文化」。恒例の「関東地区卒業生の集い」には毎年100名を超える皆さんに参加いただき、また人気のゴルフコンペは大自然の中での貴重な親睦の場として定番化しています。とりわけ、ホームページとメルマガによるコンテンツ制作と発信には力を注いできました。「卒業生と卒業生」、「卒業生と現役学生」、「校友会と大学」が有機的につながるための、地道な「橋渡し作業」を加速させてきました。「外大は今!」「校友会は今!」シリーズでは現役学生の寄稿、国内外で活躍している卒業生の寄稿、また12年に渡って連載をいただいた「メキシコ料理へのアプローチ」(渡辺庸生さん)などなど実に盛り沢山です。是非、下記リンクよりご覧ください。
http://kufs-tokyo.com
”後輩を思いやる先輩、先輩を慕う後輩”、こんな校友関係が増幅拡大していくことを東京支部は今後も目指します。

(2) 「東京支部らしさ」の発揮
「東京支部らしさ」、このテーマの具現化のため、卒業生の集いには毎年駐日大使館などから来賓をお招きし、卒業生との交流を深めてもらっています。同時に大学と海外政府との関係構築に少しでも寄与できればとの思いからです。駐日ポーランド共和国大使、同広報文化センター長、経済部担当書記官、在日ポーランド商工会議所会頭、駐日グアテマラ大使夫妻、駐日トルコ共和国商務参事官、駐日メキシコ大使館商務参事官、駐日ベトナム大使館一等書記官、スロベニアの留学生らをお迎えしました。東京支部は栄えあるメガシティ「TOKYO」にその活動の場を置いています。外大出身者、現役外大生の一人でも多くが注目し期待を寄せる、そんな東京支部であり続けたいと思っています。

(3) 東京支部のミッションの遂行
東京支部は自ら掲げるビジョンを私たちのミッションとしてその達成に向け取り組んでいます。アクションプランとしてこの間に取り組んだ事例をご紹介します。

「東京支部若者会」の立ち上げ
「東京支部若者会 (~ビジネスから婚活まで〜)」を第27回の集い (2015年7月11日) の日に立ち上げました。ニューリーダーの育成、次の世代を背負う若者の育成が何より大事なことは言うまでもありません。東京支部の若い校友達がイニシアティブをとってくれることで東京支部の未来が見えてきます。次なる東京支部の発展に向けた航海に着手しました。

Global Study Workshop (GSW)
〜校友の知見を共有し互いの人生を応援し母校に貢献するGSW〜

「その後、この若者会は形を変えて、GSWへと大きく変わり成長しました。大学では2018年に国際貢献学部が開設され、グローバル観光学科とグローバルスタディーズ学科がスタート。東京支部においては、この分野・業界を外大の仲間でこぞって盛り上げて行こう!との気運が高まりました。東京支部創設30周年を祝う2018年を機に、 ”Global Tourism”と”Global Studies” をキーワードとした情報交流のプラットフォームを構築し互いの人生を応援し母校に貢献する「元年」にしたいと考えました。GSWは校友会東京支部内の自主グループとして歩み始めました。

東京支部GSWは更に次なる発展と高みを目指して、京都外国語大学総合企画室との共催による「京都アカデミアセミナー」シリーズを東京駅前にある”京都アカデミアフォーラムin丸の内”で企画・主催することとなりました。SDGs 17の目標達成の観点からこれからの地球のために「今」できることは何かを共通テーマに掲げました。

第1回京都アカデミアセミナー(2019年10月30日)では、民間講師に加え本大学から松田武学長にも加わって頂きました。開催風景はSakuraTV Pressの取材映像よりご覧いただくことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=3iy5uVco1dI

第2回京都アカデミアセミナー (2020年2月13日) は、同様に民間から講師を招き、大学からは国際貢献学部 グローバル・スタディーズ学科の黒住淳人教授にお越し頂きました。
http://kufs-tokyo.com/image/20200108.pdf

2020年3月には第3回の開催を予定しておりましたが、新型コロナウィルス感染拡大の影響のため、開催を断念しました。その後、2020年6月に「京都アカデミアセミナー第2シリーズ」と銘打ったプログラム内容を起案し、リアル開催に加えウェビナー形式での開催を視野に入れ、京都と連絡調整を図っておりましたが、コロナの感染状況への見通しが立たず年度内の開催を一旦打ち切ることとしました。
http://kufs-tokyo.com/rensai/koyukai_now.html#no36

以上、2015年4月から2021年3月までの東京支部の主だった取り組みをお伝えさせていただきました。東京支部らしさを発揮しながら私たちは「卒業生と卒業生」、「卒業生と現役生」、「校友会と大学」との間に連帯と信頼という橋をひとつひとつかけてまいります。

最後になりますが、この6年間、校友会そして本学の皆様とは実に有意義で貴重な時間をご一緒させていただきました。心より感謝と御礼を申し上げます。

「これからが本番」を向かえる東京支部を何卒よろしくお願い申し上げます。




















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ご挨拶 (2021.03.30)

校友会東京支部を6年に渡って牽引してきた利根川正則支部長よりの退任の挨拶です。


利根川支部長 退任挨拶

2015年4月から連続2期6年に渡って映えある東京支部の支部長を務めさせていただきました。
在任中は校友会、大学をはじめ関係先、そして何よりも数多くの卒業生の皆さん、現役学生の皆さんと楽しくも貴重な時間を共に過ごすことができました。
無事に6年の任期を終えますことを大変嬉しく、皆様に心より感謝・御礼申し上げます。

この間、私の選択と集中は、東京支部の「ビジョンの活性化」と「東京支部らしさ」の発揮でした。
東京支部はビジョン「つなげる つながる 卒業生の絆と外大文化」を掲げ、ウエブサイトやメルマガなども活用して「卒業生と卒業生」「卒業生と現役学生」「校友会と大学」を繋ぐ橋渡し役を加速してきました。東京支部らしさの 発揮においては、駐日大使館大使らをはじめとする多くの在日政府機関の方達と大学や校友の皆さんらをつなげ、大学・校友会と海外政府との新たな関係作りを目指しました。東京支部の有志によるGlobal Study Workshop(GSW) では「京都アカデミアセミナー・シリーズ」を企画開催し本学から学長はじめ教授らの参加協力をいただきました。

5000名を超える外大卒業生が関東地区に在住しています。東京支部は今後も引き続き「校友の知見を共有し互いの人生を応援し母校に貢献する卒業生の会」でありたいと心より願います。また、皆様とはお目にかかることを心から楽しみにしております。春光を受けて、皆様のより一層のご健勝とご発展をお祈り申し上げます。


次期青木光子支部長から皆様への就任の挨拶です。

次期青木光子支部長 就任挨拶

利根川正則支部長の後を受け、東京支部長に就任させていただきますS52年度英米語学科卒業の青木光子です。東京支部に対する利根川支部長のご尽力には心より感謝致しております。その思いを引き継ぎ、より良い校友会東京支部にしてゆく所存でございます。皆様のご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。



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