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昭和51年度英米語学科卒業の利根川正則さんのレポートです。


【目次】
International Submariners Congress (ISC) 日本への
 誘致開催に向けて
(2010.06.05)
International Submariners Congress (ISC)の続編(2010.07.09)
Summer School in California (2010.07.21)
日本企業のアメリカ市場参入 (2010.08.30)
展示会のすすめ(2010.9.30)
ハラルフードについて(2010.10.30)
皆さん、「トルコ」と聞いて、何をイメージされますか?
 (2010.11.30)
2011年は私にとってのトルコ・イアー?! (2011.01.10)
トルコ料理を食べずして・・・ (2011.02.28)
Aloha from Hawaii (2011.03.30)
東京発プロジェクトが軒並み・・・ (2011.04.30)
ベルギー・フランダース政府首相の来日 (2011.5.30)
この連載をはじめて、ちょうど1年です。 (2011.6.30)
震災から5ヶ月、150日をむかえようとして (2011.7.31)
世界とつなぐ −ポーランドウィーク− (2011.12.11)
Incredible India! (2012.03.14)




International Submariners Congress (ISC) 日本への誘致開催に向けて (2010.06.05)

 2010年5月23日〜26日の4日間、イスラエルのナターニアという地中海沿岸に位置する都市で、第47回目となるInternational Submariners Convention 2010が開催された。今回、その会議に日本の代表として参加を果たした。将来、この国際会議を日本に誘致開催するための事前視察と各参加国代表との関係構築がその主たる目的であった。

総勢19カ国から330名が集ったこの大会は、かつて勇敢で屈強な潜水艦乗りとして、そして今もその面影をハッキリと残しつつも穏やかでにこやかな面々を中心に、国を超えた友好と親善・親睦をその第一目的としている。1962年に第1回の国際会議がフランス・パリで開催され、今年で47回目を刻んだ。イスラエルでの開催は初めてであった。

歴史を辿れば、1960年のはじめ、フランスとドイツの元潜水艦乗りがある国際会議の場で同席し、互いに胸襟を開きすっかり意気投合したことがその始まり。第二次世界大戦中、かつては同じ海中を敵として戦ってきたものが、戦争が終わりやがて、敵国同士としてではなくて、同じ潜水艦乗りとして同じ人間として理解しあい和解し友情を育んだことがこの会議開催のきっかけとなっている。

昨年はアメリカのサンディエゴで開催、その前はポーランドが主催開催国であった。現在、参加者は過去および現在のsubmariners(潜水艦乗り)を中心にその配偶者や友人その他関係者を中心に参加構成されている。毎年、3年後の開催国は、各国代表が参加するHeads of Delegatesの全体会議で決定され、2013年の第50回大会はイタリアでの開催と決まった。

2013年は第50回の節目の年の開催ということもあり、フランス、ドイツ、イタリアの3カ国がその主催国として立候補していた。その全体会議で採決を取る段になって、ドイツ代表がフランス代表に外に出て話し合おうと提案、それを議長も許し、数分後、会場に戻ったドイツ代表はフランス代表との協議の結果、第50回大会はイタリアでの開催としたいとの提議を行い、イタリアもそれを喜んで受けることとなった。

この国際会議の運営における、ある意味、柔軟性に富んだというか臨機応変過ぎるひとコマを垣間見る思いがした。各国全体を一つにまとめ統合する組織は存在せず、その年の会議開催国がその年の代表となる。互いの国を縛らない自由な立場が逆に半世紀に渡って継続開催が実施されてきた大きな理由のような気がした。各国にその主体を任せ各国はそれを尊重し、単年度で運営母体を引き継ぐバトンリレー方式が採用されている。以前から代表国をまとめる組織委員会なりを構築しようとの「意見」もあるようだが、「異見」として今のところ受け入れられていない。2011年はトルコ・イスタンブール、2012年はウクライナ・キエフでの開催がすでに決まっている。さて、日本での開催はいつに? 

最後に、この会議に参加するきっかけとなったのは、実は京都外国語大学の先輩でもある米国在住の鶴亀彰さんとのご縁である。次回、詳しく語りたいと思う。

【参考】
第47回イスラエル大会のサイト
International Community of Submariners Associationのサイト

イスラエル・ナターニアの街
Memorial Ceremonyのひとこま
各国の代表者による会議
ホテルの部屋からみた
ナターニアの街
Memorial Ceremonyのひとこま
(中央に日本の日の丸も)
各国の代表者による会議


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International Submariners Congress (ISC) 日本への誘致開催に向けて (2010.07.09)

鶴亀さんには、2007年開催の「第19回関東地区卒業生の集い」にアメリカから参加いただいている。実は、鶴亀さんは2003年に太平洋戦争で亡くなられた父を求める旅を始められ、その過程で父の乗艦されていた伊一六六潜水艦と関係する日英蘭の人々との奇跡的な出会いや恩讐を越えた心の交流を経験されました。伊一六六が沈めたオランダ海軍潜水艦の艦長や機関士官の娘さんたちとの出会い、伊一六六を沈めた鶴亀さんの父の仇である元イギリス潜水艦艦長との感動的な出会いなど、これらの話は、「海に眠る父を求めて 日英蘭 奇跡の出会い」と題して2007年一冊の本にまとめられました。ちょうど、その出版記念や関係先への訪問で来日されていた際、その合間をぬって東京支部の集いに立ち寄っていただきました。

かつて敵として戦った日英蘭三隻の潜水艦乗組員家族同士の奇跡と感動の実話の一部を東京支部の集いで聞くことができました。その後、2009年8月に続編として、「伊一六六 鎮魂の絆」を書かれました。更なる不思議な出会いの数々がこの本の中でも紹介されています。その後、昨年9月に米国サンディエゴで第46回目となる国際大会が開催され、そこにゲストとして鶴亀さんは招待を受け、日本人として初参加をされました。その後、東京で私は鶴亀さんとお会いする機会があり、International Submariners Congress(ISC)のことを聞きました。

鶴亀さんは、ISCについて、次のようなことを話してくださいました。
「潜水艦乗りや潜水艦に関心を持つ人々が一個人として参加しているユニークな会議で、国や海軍を代表するものではありません。そこには自由な雰囲気があり、潜水艦を介して世界の人々との友情のネットワークを広げようというものです。こういった友好の国際会議を今こそ、日本が主催国として開催することは、第二次世界大戦で多くの犠牲(潜水艦127隻、戦死者一万人以上)を出した日本にとって、亡き人たちへの追悼と世界と共に平和を築く意義深い試みとして、国内外に向けた貴重なアピールになると考えます。」

私は淡々と話される鶴亀さんのその言葉に突き動かされました。日本で開催してみたいと思いました。そんなことで、先ずは今年のイスラエルでの大会に参加することにしたわけです。

展示中の潜水艦の中で
英国の代表と
屈強なロシアとウクライナの狭間で
展示中の潜水艦の中で
英国の代表と
屈強なロシアとウクライナの狭間で

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Summer School in California (2010.07.21)

今回は米国ロサンゼルスからのレポートです。私が取り組んでいる事業活動の一つに教育プログラムがあります。今回、ご紹介するのは、今年で5年目となるSummer School in Californiaです。2003年から準備を始めて、2006年から毎年夏に実施しています。
夏休みを利用して親子で1週間現地のサマースクールを経験してもらおうという企画です。主に小学生が対象、そしてその親御さんたちです。

プログラムのテーマは、「未見の我」です。未だ出会ったことのない自分、自分の可能性にいかにこの1週間を通して出会うことができるか、近づくことができるかです。
別の表現をすれば、「パラダイム転換」をいかに経験できるか「突破体験」ができるかどうかの挑戦の一週間です。そのお手伝いをするのが私たちの役割です。

子どもであれ大人であれ、目から鱗が落ちる経験や全身を揺さぶられる衝撃は日常そうあるものではありません。やはりこういった異質な国に出向いて、異質な人たちの中で緊張感を持ちながら過ごす環境に身を置くことが一番の近道ではないでしょうか。外国語圏の中で、自分で考え、自分で判断をし、自分で行動をとることを迫られ強いられる環境に子どもたちを置いてあげることです。言葉のハンディからくる孤独感や疎外感、これは日本では経験できません。そして、一言何かを発することができれば、アメリカ人は人を褒める天才の人種ですから、直ぐに、子どもたちを有頂天にしてくれます。褒め伸ばしは実にうまいです。こういったことから、ひとつひとつ、子どもたちに出来る自信を埋め込んでいき、1週間の中で突破体験をしてもらうべくサポートをしていきます。

サマースクールの初日、バスで子どもたちを送り出すわけですが、彼らの不安げな顔をみるのはたまらなく可愛いものです。その子どもたちをお迎えするとき、満面笑みでハシャイで、「みんな早く話して何を言っているかわからなかったけど、でも、楽しかった!!」という声が聞ければ第1日目は成功です。もちろん、初日をうまくクリアできるように、前日の準備の中で、教室内で想定されるやりとりと基本表現を徹底して教え込みます。

一方、親御さんたちには、アメリカの教育事情や日米の比較について、専門の先生を招いてワークショップを行います。子どもの接し方から夫婦のあり方にまで、話が発展することもしばしばです。こうして親子が一緒に過ごし一緒に学べる機会は貴重で素晴らしく、最高の夏の思い出となります。

宿泊先のホテル
レドンドビーチ
レドンドビーチのカモメ
宿泊先のホテル
レドンドビーチ
レドンドビーチで出会ったカモメ

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日本企業のアメリカ市場参入 (2010.08.30)

7月15日から半月程、アメリカで仕事をしておりました。私が主に滞在していたカリフォルニアのSouth Bayエリアは、気候が最高に素晴らしいところです。日本の蒸し暑さとは全く縁遠い別天地です。日本ではゲリラ豪雨や熱中症で多くの死者が出るなど異常気象のニュースが毎日取り上げられていました。今では、海外のどこへ行ってもどこに居ても、パソコンさえ立ち上げれば、その日その時の日本でのニュースをリアルタイムで見ることができます。とにかく便利ですね。

外大の学生の頃、英国の著名な歴史家であるToynbee博士(1889~1975)の一説を聞いてしきりに感動した記憶があります。「近代技術の到来によって、その土地や地域の問題が世界規模の問題になってしまっている・・」という指摘でした。annihilation of distance(物理的距離の破壊), shrinkage of space(空間の圧縮)という言葉が頻用され、なるほど、世の中は凄いスピードで技術革命が起こっているんだと感じました。ジャンボジェット機などはその頃の産物です。そして、革命ということばで表現すれば、今はIT革命で、生活シーン、ビジネスシーンがここ何年かではたまた大きく様変わりしました。

さてさて、本題に入ります。今回のミッションはいくつかありました。その一つが日本の食品のアメリカ市場への参入支援です。アメリカの人口は約3億人ちょっとです。そのうち、日本人・日系の人たちは0.3%といいますから100万人に満たない人口です。日本の食品会社、食の生産者はアメリカ在住の日本人や日系の人たちを対象とした小さいマーケットではなく白系を中心としたメインストリームにいかに参入するかが、目指す目標となっています。

国内市場が閉塞感を呈している今日、日本の産品や技術を海外に持っていくことは日本企業が持続して成長するためには不可欠です。日本の企業を構成するのは圧倒的に中小企業です。95%以上を数的には占めているのではないでしょうか。SME (Small and Medium Enterprises)と呼びます。大手は独自の情報網を持ち、お金も持ち、人材も持ち、自力で海外展開できる体力と知力が備わっています。しかし、これまで大手を支え、日本を支えているSMEにはそういった企業は少なく、よって、うちのような会社の出番もあるというわけです。

日本の食品企業がどう苦労してアメリカのメインストリームに入り込んでいるか一つ成功例をご紹介しましょう。「やめられない、止まらない」で有名な「かっぱえびせん」を製造販売しているのはカルビー(株)です。アメリカでも ”Shrimp Flavored Chips” として製造・販売を行いアジア系スーパーにも数多く出回っています。本物に似せたコピー商品も見かけます。私はある韓国系のスーパーで見かけました。

カルビー社は1970年から米国進出を果たし、これからご紹介するヒット商品、さやえんどうをベースにしたスナックを発売しはじめたのは1999年でした。そこから遡ること2年、1997年にフランスで開催されたスナック菓子のコンベンションで、カルビーの展示ブースが黒山の人だかりになった「試食品」が“さやえんどう”でした。これならアメリカでも!と思いアメリカでの挑戦をスタートしました。そこから多くのトライアル&エラーを繰り返すことになりました。

商品の特徴は健康志向です。豆の風味を活かし100%ナチュラルで着色料や香料は一切使わず、ターゲット層は20代後半から40代・50代前半の教育レベルの高い女性としました。フランスで試食をしたとき、特に女性からの人気が高かったためです。マーケティングの基本は、「だれに」「どう」売るかです。アメリカ人女性の買い物に関する実態調査を行い「だれに」を絞り込んだ結果、女性たちがよく利用するスーパーのこともわかりました。グルメ系スーパーのWhole Foods Market、Trader Joe’sなどです。オーガニックがキーワードとなるお店です。健康志向でスマートな女性たちが好んで立ち寄るのが生鮮野菜コーナー、鮮度や品質を手にとって確認し、納得をして野菜を選ぶということも分かりました。

一方、カルビーの商品はスナック菓子でjunk foodのカテゴリーとなります。彼女たちはスナック売り場を敬遠します。そこでの一策が、ならば、彼女たちが足を運ぶ野菜コーナーに置いてもらうのはどうかと思いつきました。その後、”Snapea Crisps”としてテスト販売をスタート、「サラダのように食べられるスナック、スナックのようなサラダ」を基本コンセプトに打ち出しました。ユニークな試食方法として効を奏したのが、無人の試食販売です。日本でもマネキンと称する人たちがスーパー等で試食販売をしています。当初、マネキンを使って有人試食を行っていましたが、押し付けられるイメージがありターゲット層に嫌われることがわかりました。そこで、写真のように透明ドームでカバーした無人試食台を開発しました。このアイデアがヒットし、商品が流れ出しました。この無人の試食台は現在いろんなところで見かけるようになりました。

現在、このSnapea Crispsの販売は年間1200万袋で、将来は全米人口の4割に相当する1億2000万袋を目標においているとのことです。正に、「何を」「だれに」「どう」販売するかを緻密な調査を経て、何度も失敗を繰り返しながら取り組んで結果、米国スーパーのメインストリームに入り込むことができた成功例です。「さやえんどう」食べたくなってきました。

Trader Joe's
スーパーの試食コーナー
カルビーのスナックSnapea Crisps

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展示会のすすめ (2010.9.30)

「物見遊山的な旅行より、展示会を見て歩く方が、人生が100倍楽しくなる!」これは私の持論です。展示会に出る人行く人、ビジネスが目的です。ただ、仕事目的だけでなく、ぶらりと本屋に立ち寄るように、気軽に展示会に足を運んで欲しいと思います。展示会は私たちの人生に多種多彩な愉しみをもたらしてくれ、生活に無数のアイデアとヒントを提供してくれます。例え、行き当たりバッタリの展示会であったとしても、新たな発見が必ずあなたを待っています。観光名所を巡り歩いた後は、その国で開催されている展示会を覗いてみてください。もちろん、国内での展示会も同じです。世界からも多数の出展者が集うからです。

今月(9月)はどこの展示会に出たのか手帳を調べてみました。三つの展示会に行きました。一つ目は、政府主催のスペイングルメフェア。海外からの食品の輸入品で、ヨーロッパから最も多いのはワインとオリーブオイルです。最近は半数以上の日本の家庭でオリーブオイルを使い始めています。オリーブオイルは健康にも良いアイテムです。スペイングルメフェアでは、やはりワインとオリーブオイルを扱う企業が圧倒的、続いてハム・チーズ類でした。このフェアは業界向けで、日本の参加企業は400社ほどで、試飲・試食を繰り返しながら商談が活発に行われていました。仕事と言えど、ワイン好きにはたまらないフェアと言えます。

次の二つは一般の方たちも来場可能なBioFach Japanという日本最大のオーガニック専門展示会とJATA国際観光会議・世界旅行博です。

オーガニックの展示会に関して言えば、ドイツで20年前に始まったこのオーガニック展が最初と聞いています。今では、自然食品、 化粧品、衣料品、雑貨品、医薬品、エステティックサービス、ホテル、有機認証サービス、雑誌社等メディア、小売店、通信販売業など多種多様な出展者と来場者が集うイベントに成長しているようです。私が興味を持ったのはオーストリア産のオーガニックの紅茶とドバイ産のチョコレートでした。ドバイ産のチョコレートはサンプル切れでテイスティングが出来ず残念でした。

JATAについて言えば、観光は日本のまさしく成長戦略の重要な根幹を成す一分野であり、様々な経済波及効果が得られる基幹産業です。私の仕事で言えば、海外政府や政府観光局との関係において、その国の観光PRと日本人旅行客増大を目指す支援サービスです。こういった世界各国の政府観光担当者が集う展示会や国際会議はまさに当該分野のキーパーソンとの貴重な出会いの場、ビジネスの場です。こちらから出向くことなく、向こうから一堂に集ってくれる展示会はビジネス、プライベートの両方において宝の山と言えます。

展示会は業界向け・プロ向けのみならず、一般来場者の参加を歓迎している展示会も多くあります。有明の東京ビックサイト、千葉の幕張メッセ、有楽町の東京フォーラム等で開催される展示会情報を調べて、興味ある展示会に参加されてみてはどうでしょうか。海外旅行をされる際は、開催される展示会に合わせて前後の旅行を計画してみることをお奨めします。未知との遭遇を必ずや経験できるはずです。

展示会
展示会
展示会

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ハラルフードについて (2010.10.30)

前回、「展示会のすすめ」を書いて、何人かの方からメールをいただきました。確かに「展示会に行ってみるものも面白い」、正にその通り「展示会こそ知的好奇心のワンダーランド」というお言葉までお寄せいただきました。意外と反応が良かったことに気をよくして、今回も最近覗いて回った展示会をいくつかご紹介させていただきます。

以前にも申し上げました通り、私の仕事のひとつが展示会に出ることです。もちろん、出展者としてブース費用を払って商品を展示する場合もあれば(その場合は、企業に代わって代理出展が多い)、スポンサー企業なり国内外の政府機関から委託を受けて展示会でのブースのデザイン・設営・運営を含めたその前後の商品のプロモーション&マーケティング、そして、単純に私の個人的興味でもって本屋に立ち寄る感じで展示会を覗き見る場合です。

10月も私が食い意地が張っているせいかどうか、食品関係が多かったです。展示会だけでなくセミナーにも参加しました。国別で言えば、インド、メキシコ、チェコ、ブルネイなどです。毛色の違ったところでブルネイを今日は取り上げたいと思います。その理由は、私も今回「ハラル認証」について学ぶことができたからです。

世界にイスラム教徒が13億人いるといわれています。つまり、地球全体65億人の中で20%がイスラム教徒という計算になります。年々増え続けているようです。ハラルとはイスラム教の律法にのっとった食べ物を指し、ハラルとは「許された」「合法の」を意味します。野菜、穀類、ミルク、魚のほかに、イスラム教の作法に従って処理された牛肉や鶏肉などが該当します。10年も前になりますが、日本企業がインドネシアでうまみ調味料を製造する際、豚の酵素を使ったことが問題になりました。ハラルフードを提供する店舗や加工食品にはハラルマークが表示され、その認証が大事になってきます。

つまり、日本企業にとってイスラム教徒に向けたビジネスを大きく後押しをする「ハラル認証」は極めて重要といえます。ハラル認証は、日本がイスラム圏に食品などを輸出する際に輸入国側から求められる認証です。ハラル認証によって、イスラム教徒は食物のみならず化粧品や医薬品なども安心して利用できるのです。

ブルネイは三重県ほどの小さな国土です。石油と天然ガスに恵まれ、国民の殆どは敬虔なイスラム教徒です。そこでブルネイは、自国の経済の多角化の中で、ブルネイ・ハラル・ブランドを世界のベンチマークにすべく取り組んでいるところです。ハラルといえば、世界のハラル・ハブとして躍進しているマレーシアのハラル認証機関(ハラル産業開発公社)はつとに有名です。

ハラルフード、健康に良さそうで、いいですね。

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皆さん、「トルコ」と聞いて、何をイメージされますか? (2010.11.30)

イスタンブールシルエット唐突ですが、今号次号はトルコ特集とさせていただきます。個人的にトルコとは以前から深いご縁もあり、今回トルコ政府から食品部門のPRの業務委託を受けたこととも重なり、トルコに関するお話をさせていただきます。

皆さんはトルコと聞いて何を最初に思い浮かびますか?イスタンブールの世界遺産、壮大な自然を誇るカッパドキア、世界遺産のバムッカレの石灰棚、エフィソス遺跡のハドリアヌス宮殿、ボスボラスクルーズ・・・といった東洋と西洋の交わるエキゾチックなトルコでしょうか。そう答えられた方はかなりのトルコ通かもしれません。

最近では、カバブやドンドルマ、さらに、昨年の上海万博でも有名になったトルコ・アイスなどグルメも随分と日本に馴染みが出てきました。ここまで書いてきて、私のトルコのイメージも何か、白状しなくてはなりません。個人的な話で恐縮ですが、実は、私が結婚したときのお仲人はご主人がトルコ人、奥さんがアメリカ人でした。そんなこともあって、冒頭に、トルコとは以前から深いご縁があると書きました。

さて、恥ずかしながら、私のトルコのイメージは、日本の元プロレスラーであり、元レフリーであった、ユセフ・トルコ氏でした。本名はユセフ・オマール。ユーモラスなあの表情が印象的でした。子供の頃、私はプロレス大好きでTVに彼がよく出ていたもので、自然と彼のことが名前通り、トルコのイメージになってしまいました。そんな単純で、たわいないイメージが、私がトルコと聞いて最初に思い浮かぶものでした。お陰さまで、今ではユセフ・トルコからオスマン・トルコぐらいに変化してきました。

ここで、日本とトルコにとって欠かせない実話をシェアーさせていただきます。ご存知の方も多いかと思います。その一つが1890年、トルコ国の軍艦「エルトウール号」が日本訪問後、和歌山県串本町の大島付近で遭難した事件です。500名以上の死者を出し、69名が日本人により救助され介護を受けました。その後、日本の船で祖国に送り届けられました。この事件は、トルコの教科書でも紹介され、今も和歌山県の串本町には慰霊碑があります。

その二つ目は、1985年の「イラン・イラク戦争最中での日本人救出劇」です。イラクのフセインは、「今後48時間後以降、イラク上空を通過しテヘランに向かう航空機は全て撃墜する」と突如、声明を出しました。各国は急ぎ自国の国民をイラン国外に脱出させました。日本国政府は対応が遅く、ただただ狼狽するのみで、何等手段を講じることができませんでした。テヘラン空港で、取り残された日本人がパニック状態になっていたその時、危険を顧みずトルコの軍用機が空港へ降り立ち、取り残された日本人215名を救出、テヘラン空港を離陸したという話です。タイムリミット僅か1時間15分前の事でした。

このようにトルコと日本は深い絆で結ばれています。そんなトルコと仕事を通じて垣間見るトルコ人気質について次号ではお伝えします。

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2011年は私にとってのトルコ・イアー?! (2011.01.10)イスタンブール

皆様、新年明けましておめでとうございます。今年のお正月はどのように過ごされましたか?海外で過ごされた方、ふるさとでノンビリ、お気に入りのホテルや旅館でゴージャスな三が日を、スキー三昧、あるいはゆったり寝正月だったのでしょうか。

生活の多様化に伴い最近では正月の過ごし方も千差万別、いずれにしましても、一年の計は元旦にありで、皆様におかれては有意義な新年を迎えられたことと思います。この一年の皆様方の無病息災、国と家庭の安心・安全・安泰をただただ祈るばかりです。

昨年は私にとってトルコとの再会となる年でした。前号でも書きましたが、私が結婚をしたときにお願いしたお仲人はご主人がトルコ人、奥様がアメリカ人でした。奥様のアメリカ人とは仕事仲間で以前からの知り合いでした。その時がトルコの方との最初の出会いでした。トルコを少しでも理解したいと思い、トルコ料理などよく食べに行ったものでした。随分前の話でもあり、すっかりトルコとも疎遠になっていた昨年、仕事が縁で再びトルコと“あいまみえる”ことと成りました。

トルコをご存じない方のために、トルコについてザクリと触れておきましょう。国土面積は日本の倍ぐらいで、人口は7200万人です。イスラム教の方が99%です。トルコの強みは、人口の平均年齢が29歳以下と極めて若い点です。豊富な若年労働者と消費の購買力が魅力と言えます。最近の経済成長率は7%です。
トルコ全体の貿易額は2,200 億米ドルで、トルコと日本の貿易額のトータルは30億米ドルと、全体の1.5%です。また、トルコへ投資している日本企業の数は83社。これに対して韓国は115社、中国は268社で、これらの数字は「日本経済の大きさにふさわしい数字ではない」とトルコは見ています。

実際、日本からトルコへの総輸出額は3000億円ほどあるのに、トルコから日本への全体の輸出額はその10分の1程度です。ゆえに、トルコから日本に向けて大幅に輸出拡大を促進すべきとのことで、そんなトルコ政府のミッションの一端をわれわれも仕事として取り組んでいます。

さて、ここで仕事を介して垣間見るトルコ人気質について触れることにします。とにかく、トルコは女性の経済参加が盛んな国ということもあって、私の仕事の相手先担当者もその多くは女性です。非常に勤勉で任務遂行に異常!なまでに真面目です。それゆえに、われわれへの要請・依頼事項がときに厳しくも激しいものがあり、本番前にもなると逃げ出したくなるぐらいです。

トルコと日本の時差は7時間(サマータイム時は6時間)ですので、先方とやり取りをしていると夜中を過ぎてもオフィスを出ることができなくなってしまいます。プロジェクトにもよりますが、セミナーや展示会、商談会その他イベントの本番まで、短いもので最低2〜3ヶ月の準備期間を必用としますので、何ヶ月かはその臨戦状態の中での仕事となります。最大の修羅場は、本国から本番当日に向けて本国のオーガナイザーや先着組みが日本に到着、現場でのリハーサルや最後の準備・確認のときです。特に、政府高官や大臣が係わる場合には、空港からの輸送&セキュリティ計画、ホテル宿泊&会場計画を含め、一切を掌握し、メインのイベントの運営含め全体のオーガナイズをしなくてはならず、われわれ日本側チームもいつも最後はフラフラ、ボロボロ状態となってしまいます。

そんな中で、「それはないだろう!」「そんな無茶な注文!」と思いながら、その仕事も終わってしまうと、なんだか、昨日の敵は今日の友ではありませんが、打ち解けてしまう、打ち解けさせてしまうところがトルコ人気質の魅力と感じています。憎めない人たちです。かつてのオスマン帝国の威信と自信、そして相反する意外なお茶目さが程よくブレンドさせた気質がなんとも言えない味を出しています。

そんなトルコに1月末から出向いてきます。次回はトルコレポートとさせていただきます。

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トルコ料理を食べずして・・・ (2011.02.28)

1月末からトルコのイスタンブールとイズミールを訪ねました。トルコ政府の招待ということもあり快適かつ充実した10日間を過ごすことができました。トルコは今回初めてでした。期待と興味と関心を抱いて出かけました。

目的の第一は、トルコと仕事をする上で、先ずはトルコに出向きトルコを多少なりとも肌感覚で理解すること、加えて、トルコが対日貿易の対象として力を注いでいるファッション・アパレルや食品分野での関連団体・企業との対日輸出促進に伴うミーティングがその主たる目的でした。とはいいながら、そんな大それたことではなくて、現地視察と意見交換が中心の旅行でした。日本企業・関係機関の皆さんと今後の対策を立てるための情報収集を目的とした楽しい滞在でした。

最初のイズミールでは三泊しました。ホテルの部屋から遠眺するエーゲ海は心を和ませてくれました。冷たい海風を受けながら毛布にくるまって熱いTurkish Teaを楽しんでいる人たち(下記写真)、この光景は彼らの生活そのものと言えるかもしれません。私もその中に加わってTurkish Teaで暖まりたいと思いましたが、その寒風の中に5分以上身を置く勇気はありませんでした。しかし、海を見ながらのそぞろ歩きは格別です。結局、スターバックスをみつけ、お店の中から街行く人たちを眺めることにしました。通りを行き交う人たちをしばらく眺めるだけで、薄っすらとその街の輪郭が分かるものです。

イスタンブールではトルコファッションウィーク開催に合わせショーや展示会に参加しました。その開催規模も毎年大きくなっているようで、その中でも最大の注目イベントはキャットウォークショーです。今年は合計で21本のキャットウォークショーが連日4日間に渡って開催されました。ランウェイをさっそうと歩くモデルに向けられる熱い視線とカメラのフラッシュとシャッターを切る音が自然と会場全体を盛り上げます。キャットウォークショーと展示会を見てまわる合間をぬって、トルコのファッションウィークのオーガナイザーをはじめ、政府関係者、業界関係者との会合を重ねました。日本市場がいまや全体的にシュリンク傾向にあるとは言え、日本の輸入比率は世界の10%を占めており、依然、日本マーケットの消費購買力には、品質・納期・金額面でハードルが高いとは言え魅力がある市場であることには間違いありません。いかに日本市場でトルコがそのプレゼンスを高めることができるか、そのためのfacilitatorとしての役割がわれわれの仕事です。

最後に一番印象に残ったのは、トルコの食のポテンシャルの高さでした。というか、とにかく、トルコ料理は美味しいです。中華料理、フランス料理と共にトルコ料理は「世界三大料理」の一つに数えられています。イタリア料理と同様、非常に日本人の口に合う気がします。

先ず、中央アジアの食文化であるヒツジやニワトリの肉を使ったケバブ、これは実に旨い。屑肉を固まりにして回転させながら焼いたものを削ぎ切りしたドネルケバブ、最近、日本でも見られるようになりました。ドネルとはまわすという意味です。ヨーグルトやナッツ類が料理に使われ、黒海や地中海で獲れる海産物も豊富で、地中海周辺で取れるオリーブオイルはその多くがヨーロッパ諸国に輸出され、EU諸国を経由して日本に輸入されているブランドも多いと聞きました。それと、質の高い小麦粉のせいか、パンの種類も多く非常に美味しかったです。東西の食文化を融合させた多彩な素材、味つけ、調理法は、トルコ料理の醍醐味といえます。

ナポリを見ずして・・・という有名なことばがあります。「トルコ料理を食べずして結構というなかれ」と最後にお伝えさせていただきます。


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Aloha from Hawaii (2011.03.30)

今回はハワイからの報告です。数年振りのハワイでした。実は仕事でハワイに行ったのですが、誰も信じてくれません。ハワイはそういうところなのかと思えてしまいます。不思議ですね。

余談ですが、私の最初の海外旅行はハワイでした。外大の悪友ともう一人を伴って3人の珍道中でした。確か外大を卒業した年かその翌年でしたので、もう何十年も前の話です。当時、ハワイといえば、アグネスラムというハワイ出身の日本で活躍していた有名なモデルがいました。私にとっては、そのアグネスラムとパイナップルがいわばハワイのイメージでした。そのハワイで、全く面識がなかったにもかかわらず、アグネスラムのお家を突然訪問して、暖かく迎えてもらったことが印象に残っています。ラッキーなことに、アグネスラムがお家にいました。お父さんが中国人でお母さんがハワイの方であったと記憶します。アグネスは大変シャイで、大変可愛い女性でした。しかし、優しいご両親のことがより印象的でした。そんなハワイとの最初の出会いが外大卒業して間もない時でした。

さて、今回のハワイ訪問は Association of Asian StudiesのAnnual Conferenceに参加し、その会議に集う関係者とのネットワーク構築が目的でした。アジアの研究に従事しているとりわけ若手の研究者を中心にした発表中心のコンベンションです。やたらと大きいハワイコンベンションセンターがその会場でした。准教授、助教授といった大学で必死に頑張っている人たちが、日頃の成果を発表し外に向けて自分たちの成果をアピールする場でもあります。

アジアに関するフィールドですので、当然、日本語や日本の政治、経済、歴史、サブカルチャーなどなど、様々な事象に関する日本人を含む世界中の学者・研究者による発表も多く、会場内では何人か私の知り合いもプレゼンテーションをしておりました。下記の写真は、私のアメリカの友人で日本酒に関する興味深い研究成果を発表している風景です。大阪のある酒蔵のハッピを着ています。海外の人たちが、様々なテーマで日本人以上に日本のことに興味と関心を持って取り上げ論じてくれる姿を見ていて大変有り難くも嬉しく感じました。海外の日本をよく知る人たちが共通して言うことは、「日本人は自分たちの持っている古い伝統や日本文化の素晴らしさに気づいていない。また、気づこうとしない、どうしてだろう?!」。海外に出て、日本を離れてみて、初めて日本を客観的に見ることができるとは、よく言われるところです。今の学生たちが内向きの傾向にあり、海外に出ようとする学生が少ないとも聞きます。外国語大学の学生であるわが後輩には、是非とも、進んで海外の荒波に身を投じてどこまで泳ぎきれるか挑戦をしてもらいたいと願います。

来年はカナダトロントで開催される予定です。このコンベンションは日本を外から知る上で、また、日本を含むアジアに興味ある人たちの集まるコンベンションでもあり、たくさんのアジアを愛する人たちと出遭え、直ぐに友達になれる絶好の機会でもあります。

数年振りのハワイということで、滞在中、ホノルル市内をまめに歩きました。一つ印象に残ったのが、ワイキキで最も話題の一つと言われているコンドテルでした。コンドミニアムホテルの略称です。その中でもトランプタワーは際立っています。ワイキキは圧倒的に民間の私有地が少なく殆どがハワイの王様か州政府のものだということで、稀な民間の不動産ということで、投資の対象としても注目を集めていました。

友人による日本酒の研究発表 トランプタワー ワイキキのダイヤモンドヘッド
友人による日本酒の研究発表 トランプタワー ワイキキのダイヤモンドヘッド

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東京発プロジェクトが軒並み・・・ (2011.04.30)

3.11の「天災の大地震と津波」、その後の「人災の原発」、この連続した三つの日本を襲ったインパクトは今我々が日々ニュースで知らされている以上にその衝撃と影響は長期にわたり深刻かつ甚大と言わざるを得ません。今、人気のTBSのテレビドラマの「JIN - 仁」に頻繁に出てくるセリフ「神は乗り越えられる試練しか与えない」と自らに言い聞かせつつも、東電と政府(経産省、原子力安全、保安院)の癒着馴れ合いが取り沙汰されている今日、基盤が腐っていれば、この試練を果たして耐え忍ぶことができるのかと、楽観的な私も悲観論者にならざるを得ません。

「現代に生きる私たちが忘れかけている「生きる」という意味の本質を視聴者に問いかけ、いつの時代でも懸命に生きる事の大切さ、人が人を想う気持ちの美しさ、そして人の笑顔の輝きを伝えた」このJIN ? 仁という作品は、実は、私も欠かさず見続けている熱心な視聴者の一人ですが、正に、今回の福島原発の人災をもたらした当事者に見てもらいたいものだ、と切に願う次第です。

いつの時代においても「懸命」に生きるということ。「一生懸命」な生き方ではなく、一民間の企業に過ぎない東電にとって自社都合の歪んだ「一生賢明」な生き方になったのではと想います。

「人が人を想う気持ちの美しさ」、これも「人が人を人と想っていない」がゆえに起こってしまった人の心の醜さが、こういう結末をもたらしたと想います。今後、被災地の人々に笑顔の輝きが戻ってくるためには、今からでも遅くはありません。保身や組織の維持・防衛といった儚いものに価値を置くのではなく、人として企業人としての全うな良心にすべての価値観と今後の性根を据えて欲しいと強く切に願うものです。東電も政府もそこまでは腐りきっていないと信じたいです。

さて、穏やかな私にしてはかなり強いトーンの文章になってしまいました。それもそう、私の仕事の顧客先の中心でもある海外政府・在京大使館や海外企業向けのビジネスが、今回の3.11以降、放射能から逃れるため大半の海外政府関係者や外資系企業等が東京から避難したため、「商売あがったり」の状態になってしまったからです。お客さんが居なくては、ビジネスはできません。幸い、4月後半に入って、在京大使館関係者や外国人ビジネスマンも東京に戻りつつあり、恐らく、5月のGW明からは東京もやっと見た感じ「ノーマル」な状態に戻るのではと期待しています。

人災への怒りをどこにぶつけていいのか、その焦点が定まらず、管首相の泳ぐ目の如く、主題がボケたことご容赦ください。一日も早く福島原発が収束に向かい、避難されている地域の皆さんが帰宅できる目途が立ち、被災地の皆さんに向けての復旧と復興が本格的に加速化されることを心より願います。

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ベルギー・フランダース政府首相の来日 (2011.05.30)

先月このコーナーで、3.11の大災害と福島原発の未だ出口の見えない深刻な事態によって、東京発(日本発といってよい)のプロジェクトが軒並み中止・延期になったことをお伝えしました。同時に、海外から日本に出かけてくる人たちも軒並みキャンセルとなっています。海外から日本への旅行者数は激減です。これは東京首都圏のみならず、例え、日本の南端である九州であっても同じです。原発の恐ろしさは海外の人たちのほうがより敏感かもしれません。また、日本に対する理解が十分でないこともあり、未だ日本を訪れたことのない海外の人たちにとっては、福島イコール日本なのです。つまり、日本全体が放射能の影響下にあるという誤った見方です。アメリカのあるメディアが、今回の福島原発の事態に、日本はunderestimateし、アメリカはoverestimateしていると伝えていましたが、言い得て妙かもしれません。そして、その後、いずれ、どちらが正しいかは歴史が証明すると付け加えておりました。

そんな中、ベルギー・フランダース政府首相が、プレスと企業のデリゲーションと共に5月16日から東京入りをしました。目的はベルギーへの日本の投資企業との関係構築・強化と日本政府との協調関係強化です。3.11の影響で来日がつい最近まで未確定でした。しかし、日本へのお見舞いも兼ね、催行することとなりました。日本経済が前を向き歩み始めたとは言え、この時期にこうした海外からの日本企業にむけたアプローチをいただくことは日本にとって有り難いことと言えます。今回、私の会社はベルギー・フランダース政府から業務委託を受け、全般にわたっての関連サービスを実施させていただきました。

当初の計画では、関空から入って大阪でのセミナーを含む投資促進に向けたプログラムを行い、その後、東京に移動して同様のプログラム遂行が予定されていましたが、震災等の影響で、ミッションの規模を半減させ、遂行内容も大きく変わりました。海外政府や海外企業にとって、貿易、投資、観光の三つが主たる日本との接点と考えられます。今回は、logistics分野の投資促進が主たるテーマでした。海江田経済産業大臣との面談も含め、セミナーや企業・工場訪問など、多くの意見交換や協議が行われました。

今回、時期が時期だけに、ベルギー・フランダース政府として一体何ができるか、どんな貢献の仕方が望ましいかなど、どの会談の場でも日本への配慮と思いやりを首相は表現され、痛いほどそばで見ていて政治家を超えて人間としての暖か味を私は感じました。

(参考)
フランダースは貿易・投資において魅力ある地域と言えます。logistics分野においては、4つの海港、2つの貨物取扱空港、内陸水路、高密度の道路・鉄道網を有し、ヨーロッパの中心に位置するフランダースの輸送インフラはヨーロッパ主要地域へのハブの役割を果たしています。貿易面でもダイヤモンドやファッション、テキスタイル、とりわけ、ベルギーの飲食品は日本市場においてチョコレートやワッフル、ビールに代表される通り確固たるプレゼンスを築いています。環境やIT, 自動車、医薬品、ライフサイエンスも注目分野です。

フランダース政府ミッション フランダース政府ミッション

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この連載をはじめて、ちょうど1年です。 (2011.06.30)

月並みですが、Time fliesの気持ちで一杯です。「光陰矢の如し」です。外大の学生の頃、語彙の収集が一時趣味のときがありました。気の利いたセリフや表現があれば、ノートに書き留めていました。「光陰逝水の如し」、「光陰流水の如し」という同義語もあるようです。今もやり続けていれば、もう少し、博学になっていたのにとも思うのですが。

閑話休題。先月末に1週間、トルコイスタンブールに行っておりました。The 48th International Submariners Congressに出席のためです。昨年はイスラエルで開催、今年はトルコで開催され、今年でこの会議には2度目の参加となりました。ちょうど1年前に参加したイスラエルのことはこのコーナーで紹介しています。是非、バックナンバーを読んでみてください。トルコについては、何度もこの中で書いております。他の仕事も加わり、トルコとはなぜか縁が深まり、不思議な「えにし」を感じはじめています。

今回のトルコ訪問は日本を代表して、世界の潜水艦乗りの人たちが中心となって集まる大会に参加すること、そして、2015年を目標に日本にこの国際会議を誘致したいがための関係づくりでした。20カ国近い国の代表が約350名近く参加される毎年のイベントです。訪問も2回目となるとおのずとfamiliar facesの人たちとの再会も楽しいものです。トルコやイギリス、ドイツ、イタリアなどの代表の人たちの出会いも2度目となると自然と親しみが増すのを感じました。今回、トルコとイスラエルの関係が余りよくないので、昨年、主催国であったイスラエルからの代表はひとりも参加されませんでした。友好・親睦を目的とする国際的な集いですが、各国の政情や情勢が敏感に反映されます。

今回、この会議に参加して一番感動しことを書きたいと思います。
一番は、3.11が東日本を襲いました。日本全体を文字通り揺さぶりました。日本の存亡を根幹から揺るがす天災と人災が織り成した近年の“ビックイベント”といえます。その災害が起こって、真っ先に、日本に救援の手を海外から差し伸べてくれたのがトルコの救援チームでした。トルコの首相みずからが、シッカリした成果をあげるまでトルコに戻ることは許さないとの厳命のもと、救援チームを日本に送り出したことは知る人ぞ知る事実です。1999年にトルコも大地震を経験しています。その際、日本から素早く救援チームが派遣されました。トルコと日本は助け助けられつつの関係です。
2万人を超す犠牲者を出した日本への哀悼を込めて参加者全員が祈りを捧げてくれました。

いつも思うことですが、海外に出た場合、日本人が私だけの場合、私がその日本を代表して日本を背負って何か行動したり発言しなくてはならないことがあります。そんな場面に何度も出くわしておりますが、今回もそんな機会が何度もありました。もっと、真面目に語学も含め何事も勉強しておくべきであったと常に思う瞬間です。もう少し、気の利いたことが言えた筈なのにと毎回ホゾを噛んでおります。

今回、観光の時間がタップリ盛り込まれていたので、ボスポラス海峡を存分に楽しむことができました。次回は第49回目の会議で場所はウクライナのキエフにて来年の9月に開催されます。50回大会はイタリアです。毎年、楽しみではあります。

     

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震災から5ヶ月、150日をむかえようとして (2011.07.31)

震災から5ヶ月が経とうとしています。復旧・復興が叫ばれる中、被災地の人たちが納得できる復旧・復興が十分に進んでいないのは残念でなりません。希望の光が見出せない被災地の皆さんのもどかしさは半端ではないと想像します。政府の支援の遅れに痺れを切らし、これではニッチもサッチも行かずと、自分たちの手で出来ることをやろうと歩み始めている人たちが多いのは周知のところです。

今回の大震災の復旧・復興は福島の原発事故が伴ったことで何十倍・何百倍にも事態を深刻化させています。日本国内だけの問題ではありません。海外諸国が軒並み日本に対して貿易制限措置を実施した事態をみても明らかです。被災地農産品の禁輸はもとより、東京や東日本の港湾に寄港しない、原発周辺の航路を避ける動きもでました。ほうれん草など他の食品からも放射性物質が検出され、制限措置を導入している国は3月末時点で23カ国です。EUは福島原発周辺の12都県の農産物に対して、放射線量が規定以下であることを示す証明書を要求しました。

東日本の震災のこと、原発のことを新聞やテレビで耳に目にしない日はありません。日本は復旧・復興できるのか?1923年に死者・行方不明者14万2,800人をだした関東大震災と比べる人たちもいます。そのとき、東京は壊滅状態でした。当時の後藤新平内相は「帝都復興院」を発足させ、震災の4週間後に復興計画案を策定しました。国が消失した地域を一括して買い取り住宅の建設や自動車時代を見越した道路整備など大胆なインフラ整備を行ないました。地権者などから猛烈な反発をうけながらも後藤は気にせず邁進しました。つい先だっての6月2日の内閣不信任案否決の一連の事象に伴う、元首相が現首相をペテン師呼ばわりする今の政治家の現実を前に、ただただ溜息が出るのみです。

敗戦後の復旧・復興はどうだったのか?資料を少し紐解いてみました。当時の日本の国庫は全くの空同然で、海外や解体前の財閥に復興国債を買わせ資金調達を行い、それによってインフラ整備を急いだとあります。今がチャンスと数多の飽くなき輩が跋扈した時代でもありました。焼け跡闇市のあの時代、後にダイエーグループのドンとなった中内功氏は闇市でサッカリンなどの甘味料を売ってぼろ儲けした、といった話が随所にあります。名古屋の闇市でパチンコが登場、一大レジャー産業に成長したのは有名な話です。逆境と存亡の危機をバネに海千山千のエネルギーが復旧・復興を加速させたようにも理解できます。

それに比べ、列島全体が萎縮しているのが今の日本のような気がします。
復興資金という入り口から見通しが甘く未だ揉めている現実です。放射能に怯える日々が続き、節電に自粛ムードと後ろ向きマイナスモードにスイッチが入った状態です。復興策は国に任せるしかありません。個人として何ができるのでしょうか?

セルジオ越後氏は震災があって間もない3月18日付の自身のブログの中で「1人負傷者が出たからといって、勝負を諦めるのか? 10人でも勝利を目指して戦い続ける、倒れた人の分まで走るのが、サッカーだ。」と喝破しています。さらに、「経済活動、つまり血の流れを止めてしまうと、本当に日本が沈没してしまうかもしれない。だから、元気な人は、行動するべきだ。それぞれの立場で、どんどん働くべきだ。」と訴えています。

日本は全体的に萎縮している気がしてなりません。そこが関東大震災後や戦後と比べ決定的に違う気がします。ちなみに、中内功氏の座右の銘は「ネアカ、のびのび、へこたれず」でした。

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世界とつなぐ −ポーランドウィーク− (2011.12.11)

京都外国語大学 国際教養学科ナショナルウィークが、12月12日〜16日の期間、「国際教養学科、世界とつなぐ - ポーランドウィーク-」と題して、大学キャンパス内にて開催されます。京都外国語大学、駐日ポーランド共和国大使館、在日ポーランド商工会議所の3つが主催として開催されるもので、たまたま私がポーランドと関係があるもので、その開催に向けたポーランド側の調整役としてその準備に係わっておりました。

ポーランドウィークは、12月12日(月)にオープニング・セレモニーが開催され、14日(水)には、ポーランドの夕べ「映画・音楽・ファッション・グルメで楽しむポーランド」と題して、ポーランド大使館よりエリザ・シブアク一等書記官も参加し、講演や学生との交流を行います。ポーランドの民族衣装を着て、ポーランドフードを味わうパーティも開催されます。最終日の16日には、シンポジュウム「日本とポーランド・善意と友好の歴史」が開催されます。前段のショパン・ピアノリサイタルでは、ショパンの有名な「別れの曲」、「エオリアン・ハーブ」、「華麗なる円舞曲」などがタップリと演奏されます。ポーランドからはヤドヴィガ・チェホスカ駐日ポーランド共和国特命全権大使、トーマス・ミクラスゼウスキー一等書記官、在日ポーランド商工会議所ピーター・スシツキ会頭などが出席し、日本とポーランドの友好・親善に向けたプログラムが予定されています。詳しくは下記プログラムをご覧ください。
http://www.kufs.ac.jp/cms_data/news_file/p_week.pdf

是非、沢山の皆さんにご参加をいただきたいと思います。
お待ちしております。

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Incredible India!  (2012.03.14)

Incredible India.これはインド政府観光局等のキャンペーンに用いられているキャッチフレーズです。インド国内で走っている観光バスなどにもこの文字が踊っています。
2年ぶりにインドに行ってきました。場所はチェンナイ。インドでは850万人ほどの第4番目に大きな都市です。チャンナイ市があるタミルナード州は、日本企業進出に伴う拠点数の伸び率がインドの中で一番です。対前年比28%増と注目度抜群の地域です。デリー、ムンバイ、バンガロール、チェンナイに日本企業は集中しています。インド南部にあり、北部の人たちはナンを食べる人が多いのですが、南部はお米をよく食べるようで、新しいものに興味を示す傾向も強いと聞いています。

今回の訪印は日本企業のインド進出に伴う支援が目的でした。
写真は出展期間中、手伝ってくれたインド人スタッフとブース風景です。

インド  インド


さて、今回、私が経験したIncredible Indiaについてお話をします。

Incredible Indiaその1.
今回、日本からは結構な人数の人たちと行きました。政府主催の仕事でしたので、インドの政府機関が推薦するホテルに泊まりました。4星のホテルでした。日本からチェンナイへは乗り継ぎが悪く、到着が真夜中を越える便もざらです。私はシンガポール航空でシンガポール経由の便でした。シンガポールで10時間待ちのトランジット、おまけに、乗換の飛行機が4時間遅れで明るいうちに着くはずが午後8時を回ってしまいました。着いて打合せを予定していましたので、ホテルの部屋に戻ったときは、夜中12時近くで早くシャワーを浴びて直ぐにベッドに直行したかったのですが、そこで、Incredible その1。お湯が出ない、水道やシャワーが汚れていて茶色なのです。それにバスタオルも染みだらけで使うきになれません。トイレの便座も大きく傾いておりました。
ただ一点、汚いタオルでしたが、洗剤の香りだけはやたら良かったです。

Incredible その2.
その1の続きといっていいかもしれません。そんなホテルですから、一人抜け、二人抜け、
皆さん、別のホテルに代わって行く人もいました。ある女性の場合の極め付きは、洗面所でバッタリ、ネズミと鉢合わせ卒倒寸前。私は結局、最後まで6泊しました。インドを訪問する人は昔から2タイプに分かれるといいます。インドが大好きになる人、そして、2度とインドには行きたくないと思う人です。

Incredible その3.
インドの人たちに「大丈夫か?」と仕事の進捗や問題を指摘したとき、大抵は鷹揚にNO PROBLEM.と答えます。そのとき、独特の左右に首を振る仕草をします。本当に「大丈夫か?」と畳み掛けても、NO PROBLEMを繰り返します。案の定、問題だったので、NO PROBLEMといったじゃないのと指摘してみたところで、やはり、同じように首を左右に振っています。別のインド人に聞いて見ると、左右に首を振るのはYES, また、NOの場合も首を左右に振るとの答えが戻ってきました?! まさに、Incredible Indiaでした。
私はこんなインドが好きです。

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