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カリフォルニア在住の昭和38年英米語学科卒業の鶴亀彰さんからのお便りです。

【目次】

日米生活70年からの母国への思い
 -ノーモア真珠湾、リメンバー広島・長崎-
   第1回  (2011.12.12)
   第2回  (2012.02.06)

日米文化の交差点
変わるアメリカ人の消費性向
アメリカの教育あれこれ
変化するアメリカ社会
祝祭の季節
平和なる世界への祈り

著書について



日米生活70年からの母国への思い −ノーモア真珠湾、リメンバー広島・長崎−

 また12月8日がやってきた。太平洋戦争の始まりとなった真珠湾攻撃を思い起こす日である。あれから70年の時が経ち、悲惨な戦争の記憶を持つ人の数は少なくなり、国民の関心も薄くなりつつある。今日では日米は親しい友好国となり、政治・経済・文化、あらゆる分野で緊密な関係を保っている。国民同士の草の根的な交流も盛んである。

 私は真珠湾攻撃が起きた年に生まれた。戦争中に姉が病気で死に、父が戦死した。母も戦後の生活苦から身体を壊し、早死にした。それだけに太平洋戦争とその発端となった真珠湾攻撃には強い関心を持ち続けてきた。恨みさえ抱いてきた。その私は日本で最初の25年を過ごし、その後の45年を米国で過ごし、現在70歳になる。

 1966年から現在まで45年間の生活で米国の歴史や価値観、文化、国情や人情なども見えてきた。また仕事を通じて日米間を160回以上往復する中から、日米の違いや共通点、太平洋戦争に至った背景なども見えてきた。相手の考え方や事情に対する正確な知識や理解、さらには相手の歴史や文化に対する尊敬が相互にあれば、太平洋戦争は防げたと感じている。

 ベトナム戦争時代に米国の国防長官を務めたロバート・マクナマラ氏による優れた著書がある。その中で彼は莫大な被害を米国とベトナム両国に与えたベトナム戦争はひとえに相互の指導者達の相手の歴史や文化や国情に対する無知と誤解から生じたと述べている。相互に深い思いやりと高度のコミュニケーションがあったならベトナム戦争は防げたと言っている。
 しかし歴史は繰り返された。ブッシュ大統領はマクナマラ氏の意見を省みず、9・11テロの衝撃に押され、アフガニスタンとイラクへの先制攻撃を行った。相手国の事情や立場、思いなどに深い洞察を欠いた戦争は当然ながら泥沼の戦いとなり、予想を遥かに超えた悲劇と災害をもたらした。多くの若い米兵が死に、それ以上の人々がアフガニスタンとイラクで死んだ。
 巨額の戦費は政府の財政を悪化させ、米国経済を弱くした。国内の各政策に対する政府の目配りや国民の努力にも多大の影響が出た。費消された天文学的な費用の何分の一かを戦争でなく、アフガニスタンとイラクとの平和的関係の構築や両国の福祉や教育、経済発展への資金として提供していたならば、米国の両国との関係は今よりはるかに望ましいものになってはいないだろうか。

 過去の事象や他国の問題を振り返るのがこの小文の目的ではない。個人同士でも大切なように国同士でも思いやりとコミュニケーションが大切であると言うことを伝えたいだけである。真珠湾攻撃から70年を経過した現在、日本が二度と真珠湾や広島・長崎の悲劇を繰り返さないために、日本は今後どのような方向を目指すべきかについて、太平洋の対岸からの視点で考えた私の拙い思いを提示するのがこの小文の目的である。
 私は歴史学者や政治学者でもなく、ましてや外交やメディアの専門家でもない。ただ日米市民直接交流(ビジネスやボランティア活動)の最先端での体験があるだけである。日本と米国での70年間の生活と160回以上もの日米往復で得られた複眼の視点で、母国日本の平和と安寧を願い、いくつかの問題提起をしてみたい。旅では世界中いろいろ回ったが、生活の場は日本と米国だけである。ロシアや中国やアジアでの生活体験はない。私の複眼には限りがあることを先に申し上げておきたい。
 
政治の安定
 日本の最高指導者であるべき首相の椅子が定まらない。また政治家も常に次の選挙が頭を占め、落ち着いて市民の要望を聞き取り、国政に集中することが出来ない。その結果、国の経済は影響を受け、社会不安は広がる。国防や外交においても遅れを取っている。政治の安定のために、首相公選や国会議員の一定期間の任期保証などを考慮・検討し、実行すべきではなかろうか。長年続いている議院内閣制も見直す必要があるのではないか。

 米国では日本の二倍の人口がありながら、日本の衆議院にあたる上院の議員数はわずか100名である。日本でも少数精鋭策を考慮すべきではないだろうか。また米国ではそれぞれの議員が政策立案のためのスタッフを持ち、自分の得意とする分野での法案提出に熱心である。数を減らして浮いた予算を各議員の勉強や資質の向上のために使えないだろうか。

 議会討論も野次の応酬で、真摯な意見交換の場となっていない。国民の選良としての良識と誇りと責任を持っての討論を望みたい。そのためにも議会での討議の全てがケーブルテレビやインターネットを通じて国民がいつでもどこでも視聴できるようにすべきである。更には長期的には、国民の積極的な政治参加を促すために、学校教育の中でもっと政府の仕組みやその理念などを学び、政治の現場を知る機会を増やすべきである。

 広く国民の知恵や工夫も積極的に取り上げられるべきである。政治家や知識人や評論家の意見を強化する有効な提案もなされるかも知れない。政府と共に、全国紙のみならず地方紙がその役割を果たすべきである。現在の投書欄の充実に加え、討論の場も欲しい。また国民の関心事に対し正確な情報を共有するために、その分野に詳しいジャーナリストや知識人がラジオの討論番組で国民からの質問やアイデア提供に答えるのも、直接的な対話が出来るので良いと思う。米国では「トーク・ステーション」と呼ばれる討論中心のラジオ局が花盛りである。日本でも国民がお互いの持っている意見や提言を自由に発表し討論しあう場が必要である。

国防
 地政学的には日本は東には米国、北にはロシア、西には中国という三つの大国に取り巻かれている海洋国家である。これらの国々の歴史や価値観、文化、国情や人情に加え、政治・経済・社会や軍事の動向に付いて深い洞察を持つ事が国防の第一歩である。優れた情報の収拾と分析、そしてそれに基づく的確な戦略立案こそが島国日本の生命線である。そのために専門的なシンクタンクや情報省が設置され、有効な情報の提供や政策の提案が定期的に国防や外交に携わる人々になされるべきである。

 北朝鮮はミサイルを持ち、核爆弾も保持していると言われている。また中国の空母がもうすぐ日本海や太平洋を航行し始める。もし北朝鮮から東京に核爆弾が落ちて来たり、中国の空母から戦闘機が襲来して来たらどうすべきだろうか。それに備え、日本も核開発や空母建造などを行うべきだろうか。それともそんな事は絶対有り得ないとして現状維持だろうか。
 核爆弾や空母の道は戦争への道である。日本がその備えに動くと、周辺諸国もその備えを更に強化するだろう。世界の人口が70億を超え、エネルギーや食料や水が不足し、地球環境が悪化する中で、世界は軍事強化競争に動くのだろうか。それとも日本は戦争を永久に放棄する平和憲法の精神を貫き通し、新しい文明の実現に邁進すべきなのだろうか。

 日本は敗戦後、平和憲法の下、戦争放棄を約束した。その後の国際情勢の変化で警察予備隊を作り、それが自衛隊となり、現在に至っている。憲法との整合性が問われる中で、日米安保条約に頼り、国民は真剣に国防の問題を討論することなく、経済発展に終始してきた。真珠湾攻撃から70年、今こそ真摯に日本の平和と世界の平和のための論議を尽くすべきではないだろうか。

対外交渉
 私はビジネスの場で多くの日本人と米国人の間の交渉に携わってきた。その中で感じたことは日本人の交渉下手である。外務官僚や経済官僚も同様である。今まで日本のビジネスがなんとか成功してきたのは、70年代までは価格の安さ、それ以後は品質の良さ、そして最近では技術の高さのお陰である。もし交渉力がもっとあれば、日本はより大きな利益と成功を収めたに違いない。価格の安さを失い、品質の優位性も必ずしも確保出来ない最近の状況の中では、技術の高さを売り込む交渉力が不可欠である。

 交渉には誠意と信頼が重要である。その上で、相手を説得し、自分の主張に近づけることが求められる。大陸文化の長年の歴史の中で培われたしたたかな対外交渉力に島国日本の私たちは負けてしまう。その理由の一つは自己主張と説得力の弱さである。日本人には受身的な、間を取り合う癖がある。多神教的な世界で生きてきた私たち日本人は一神教の世界で生きる人々が持つ強い個人の確立はなされておらず、集団的発想が強い。強い自己主張ではなく、相手との間合いを計りながら交渉を行う。自他を明確に分離させない生き方はそれはそれで素晴らしいものであるが、少なくとも対外交渉の中では相手に押されてしまい、不本意な妥協で終ってしまいがちである。また相手の心象を悪くしてはいけないと遠慮して、要求もせずに、先に自主規制してしまうような傾向も見かける。日本人である自分の癖を良く知り、同時に相手の癖を熟知することが、今後日本の対外交渉が成果を上げるもっとも大切な要素だと思う。

国益
 国民の生命や財産や文化を守り、豊かに発展させ続けることこそが国家の目的であり、その実現に寄与することこそが国益となる。そのために生まれたのが政府であり、各省庁である。ところが、ずいぶん昔から「縦割り」とか「省益」とかいう言葉がメディアに盛んに取り上げられている。真に国益のための判断を行うのではなく、省としての利益を第一に考える傾向があるらしい。官僚が省益ではなく全体益を考えて決定・行動する時、国は強くなる。

 日本の官僚組織には流動性が欠けている。これは政治家と違い、お役人は国民の選挙による洗礼を受けず、同じ組織にのみ働き続けるためである。米国などでは政権が代ると長官だけでなく、局長レベルまで大幅に代る。それにも一長一短があるだろうが、国民の税金を使い、国民に奉仕すべき官僚が全体益ではなく自分の組織の利益優先を第一に考えるのは断固として正されなければならない。

 米国では官僚には市民へ奉仕する意識は強い。彼らの取締りの目は市民の安全と利益を守る方向に向いている。それに比べると日本では「富国強兵」を唱えた明治政府から最近まで、各省は産業界や企業など供給者である生産者側への目線が強く、受給者である消費者への目線は弱かった。薬害問題や公害問題などもそこらへんの背景から生まれたものである。しかし最近、日本でも国民主体に変化しつつあることは、まだ十分とは言えないが、喜ぶべき傾向である。また長年官僚批判ばかりが続いているが、それは官僚を志した初心を忘れ、保身や天下りなど自己の利得に走る一部の者に向けられるべきで、国益実現のために献身的に働いている数多くの官僚に対しては賞賛と感謝が与えられるべきであると思う。

税金
 日本では税金は取られるものである。取られた後はそれがどのように使われたかには関心が薄い。米国では税金は払うものである。国民の安全で平和な生活を実現するために必要な費用を自分達が払うという、より積極的な捉え方である。それだけに、脱税者への刑罰は厳しく、政府や役所が使う予算の行方にも厳しい。メディアや国民がいつも目を光らせている。

 私もいくらか日本のお役所の税金の使い方を見る機会があるが、決して上手とは言えない。もともとお役人は商売人ではなく、うまいお金の使い方を知らない。理念先行で、実際の成果が薄いケースが少なくない。予算を投資と考えると、その見返りの幅が大きくないどころか、全くの損失のケースも少なくない。

 今後、政治家やメディアや国民は各省庁が支出した補助金の受給先の一覧リストやその補助金の実際の使われ方、そしてそれによって得られた成果を正確かつ透明に公示するシステムを持つべきである。国民が払った貴重な税金はその苦労と努力に見合うよう慎重かつ大胆に使われ、そして倍する実績を上げるべきである。そして優秀な成績を上げた省や担当責任者を国民が表彰し、感謝する制度などを考えても良いかも知れない。

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中小企業
 どの国においても雇用を担うのは少数の大企業ではなく多数の中小企業である。中小企業の活躍が国の経済と繁栄を支える。特に物作りの分野においては、日本の中小企業の技術の高さが大企業の製品の品質の高さや競争力を支え、輸出にも大きく貢献している。しかし、長年日本の産業・経済界には大企業と中小企業の間に一種の封建的な二重構造があった。それは「系列」や「下請け」関係を基本として、大企業と中小企業の間にある主従関係か親子関係に似た繋がりであった。中小企業がある一定の規模になると大企業の資本が入り、系列化される状況なども過去にはあった。中小企業が大きく伸びる道がかなり制限されているように見える。

 また国民の側にも大企業の従業員と中小企業の従業員を見る目に違いがあった。従って大学を卒業しても中小企業を目指す若者は少なかった。銀行の融資においても経営者やその技術を見るのではなく、土地などの担保で判断され、未来の可能性はあまり評価されなかった。

 取引条件も日本は手形決済が多い。大企業が要求する以上の精度の製品を提供したあげく、下請け企業への代金支払いは30日、60日、90日後である。資金繰りに困る中小企業は銀行で手形を割り、その金利を銀行に払う。結果貰った代金は目減りする。大企業は下請け企業に絶え間ないコストダウンを求め続け、少し極端な言い方だが、中小企業の汗と努力により、大企業の繁栄が築かれた。

 輸出が伸び続け、経済も右肩上がりが続いた時代はそれでも良かった。しかしグローバルな競争にさらされ始めると、多くの大企業は「系列」関係も放棄し、更には超円高の影響で海外生産への移行である。現在日本の中小企業には大きな危機が訪れている。

 中小企業に対する支援策が国でもいろいろ検討されているようであるが、私には二つの提案がある。まずは大企業から中小企業への支払条件の変更を促進することである。銀行は大企業には低く、中小企業には高く利子を設定する。その信用力と資金力を活かし、大企業が中小企業に対して約束手形でなく現金支払い、更には50パーセント前払いをして呉れるならば、日本の中小企業は金繰りの心配から解放され、安心して製造や更なる技術の向上に集中出来、その結果は大企業にもプラスとなるだろう。

 もう一つは中小企業が生産するオリジナル商品のマーケティング支援である。長年「下請け」の安易さに甘んじてきた中小企業は、せっかく苦労して作り上げた自社商品の販売が上手でない。優れた技術商品が日の目を浴びていない。特に海外マーケティングには資金、人材、ノウハウのないないづくしである。戦後の日本の輸出を担った商社は今日では規模が大きくなり過ぎて、小さな案件は扱わない。中小企業の高品質の技術商品のマーケティングを支援する能力集団を国策として築くべきである。

 ドイツの経済が好調であるが、輸出の7割を中小企業が担っているそうである。日本の場合はわずか1割である。世界でオンリーワンと言えるような高度な技術商品を開発・製造する力を持った日本の中小企業は少なくない。彼らの海外マーケティング・輸出を実現することが日本の中小企業の活力を維持し、雇用を伸ばすことになる。

ベンチャー育成
 同様なことが起業の育成においても言える。日本にはベンチャー企業が伸び難い土壌がある。その一つは人材の流動性の低さである。官僚組織と同じように、企業においても同じ会社に定年まで働く傾向が強く、大企業の優秀な技術者が自分の技術を活かすために起業することも少なければ、他企業から優秀な人材をスカウトして短期日で少数精鋭のベンチャーを立ち上げるのも難しい。

 また土地など担保のない新規企業に対してはリスクが高いだけに、それに熟練したベンチャー・キャピタルの経験と知識が不可欠であるが、その基盤が薄い。米国などではロックフェラーなど大きな資金力を持つ財閥が最初に参画し、その後は起業家として大成功した体験者がベンチャー・キャピタリストとなった歴史的循環がある。日本では人や技術を見抜けない、それまで土地などの担保を審査しての融資しか経験のない銀行マンがベンチャーブームに乗り、多くの失敗を重ねた。幸いにして現在では成功した起業家も増えている。彼らと国が一緒になって、例えば米国債を買うお金のほんの一部をこの分野に回せないだろうか。

 またベンチャーを目指す起業家もその市場を日本国内だけでなく、最初から世界市場を視野に入れるべきである。そこには日本では考えられないほどの大きな発展の可能性が潜んでいる。現代のビジネスのスピードは速く、まず日本国内で成功し、その後に海外市場を狙うという従来の二段階ステップは時代遅れになりつつある。また大手でも、NECのパソコンやドコモの携帯電話の失敗例のごとく、国内のみの内弁慶的成功ではなく、世界標準となる気迫が欲しい。日本市場はそれなりに大きいだけに日本国内の成功で満足する傾向がある。そのために、国内市場が小さく最初から世界市場を狙う必要がある韓国やイスラエルなどに世界の舞台で競り負ける例が増えている。日本のみならず世界に役立つという考え方がこれからは肝要である。

教育
 コンピューターやインターネットの急速な発展で、ありとあらゆる知識は必ずしも学校で先生から学ばなくても、いつでもどこでも学べる状況になった。子供達は教科書や先生の持つ知識や情報をはるかに凌駕するものを即時に入手できる。現在は記憶の時代から考える時代に変ったと言われる所以である。その状況に合わせて日本の教育現場は変化しているだろうか。子供達が「自分の頭で考え、判断し、発想し、行動する」ように導くのが先生の役割である。米国では教える「教師」ではなく、子供の学びを支援する「コーチ」であると考えられている。日本には優れた教育方針がある。それは情操教育である。米国には音楽の時間や図工の時間などは少ない。感性を育てると同時に、命の大切さを教え、お互いの助け合いの重要さを教えることに日本の先生方が時間とエネルギーを向けられるようになると、日本の義務教育の成果は大いに上がると思われる。教育現場も子供中心に再度見直されるべきである。

 従来の受験制度を再検討する必要がある。誠に残念なことだが、高等教育の質において日本は米国に大きく劣る。その一つの原因は受験制度である。たった一日か二日の成績を上げるために大変長い間の時間と努力が割かれる。その割りに大学入学してからは理科系は別として文科系の学生の勉学への取り組みは弱い。日本で最も優秀だと言われる東京大学さへ世界の大学のランクでは30位以下である。世界中から優秀な教授や生徒を集める米国のシステムを日本も学ぶ必要がある。米国は情報化社会に引き続き、これからは知識化社会が来ると捉えて、独創性が求められる時代への準備を国家政策として始めている。日本も中高の受験中心の現状と大学生4年間の勉強不足を至急改善すると共に、高等教育や研究開発の発展に努力すべきである。そこからまた画期的な技術や新産業や新しい物の考え方が生まれて来るだろう。

子供
 私が今一番懸念しているのは日本における児童虐待の増加である。その背景には経済不況や育児環境の悪化等が原因としてあるのだろうと思う。子供の頃に親から受けた心の傷は一生残る。私が45年前に渡米した時、米国で驚いた一つの現象は連続殺人事件など凶悪な犯罪の多さだった。そしてFBIのプロファイリングなどによると、残虐な犯罪を起こした者の多くが子供の頃に受けた虐待が心の傷となり、反社会的な衝動を心の奥底に秘めていると言うのである。米国でも都市化や核家族化、離婚の増加などが進み、その間に児童虐待が増えていったそうである。そしてその結果が反社会的な犯罪の増加である。日本もその轍を踏まないように、虐待されている子供達の早期保護と支援、育児環境の向上、苦闘している親のための支援に今から積極的に行動すべきである。一人の犯罪者ゆえに発生する社会的コストは巨額であり、その費用を賄えなくなった米国では犯罪者が刑務所から社会に押し戻されつつある。犯罪予防や病気予防は社会の安全のみならず健全財政の視点からも極めて重要なことである。

 また日本は山と海に囲まれた海洋国家である。自然への尊敬の念やその恵みに対する感謝の思いを学ぶ環境に恵まれている。今以上に子供達が山や海で過ごす時間を増やせないだろうか。毎年最低一週間程度、森でキャンプし、共同生活を体験しながら思いやりを学んだり、海で全員が泳げるようになるように訓練したり出来ないだろうか。もちろん安全確保のための十分な配慮は言うまでもない。子供達の体力向上も日本の大きな課題である。

 日本には海の日が制定されている。その日には国中を上げて、海に親しみ、感謝する日としたらどうだろうか。海は怖い津波の災害も与えるが、単に漁業以上の恩恵を与える可能性を秘めているようである。貴重な鉱物資源や風波を利用した発電等以外にも強い子供を作る教育の場としての可能性も大きい。国民と海との結び付きをもう少し強化出来ないだろうか。

 自然への尊敬の念は命の大切さにも?がる。命の大切さと他への思いやりを知る子供達であれば、多少の学力の差や能力の違いは、その子供の個性にこそなれ、あまり心配することではないのではなかろうか。人生の豊かさは学力や能力ではなく、またお金や名誉や権力ではなく、健康や良き人間関係、生き甲斐、持って生まれた可能性の開花などにあるように思われる。

老人
 日本は高齢化社会へ世界のどこよりも早く突き進んでいると言われる。そしてそのことがネガティブなニュアンスで語られている。しかし長年の社会的経験をしてきた老人の知恵や判断はとても貴重なものである。その素晴らしさが評価されていない。定年を迎え、会社や組織から離れた後、社会は十分な敬意を払わない。とんでもないことである。

 自分が70歳になって感じることだが、若い頃に気付かなかったいろんなことが少し判るようになった。もし求められるならば、若い人たちにシェアーしたいと思う。地域社会でボランティアを楽しみつつ行っている老人がいる。今度の東日本大震災にも若い人たちに交じり、多くの老人の姿があったと言う。また職業経験を海外で活かす老人もいる。

 後にも述べるが、世代間の結び付きを強める施策と工夫が必要である。例えば老人が保育所や幼稚園に遊びに行ったらどうだろうか。または小学校に行き、子供達に地域の昔の話などをしたらどうだろうか。職業選択に迷う高校生などのために、色んな職業経験を話すのは役立つかも知れない。質疑応答を通じてその職業の楽しみや面白さが伝えられるのではないだろうか。葉っぱを集めて都会のレストランなどに販売している老人がいる。おばあちゃんたちが田舎の家でおふくろの味の料理を作り、田舎の生活を楽しみたい若者と交流の機会にしたらどうだろうか。時間と元気のある老人が一人住まいの老人や寝たきりの老人を訪問して話し相手になったり、家内の雑用をして上げるボランティア的会社などもあるらしい。クロネコヤマトが「まごころ宅配」と称し、買い物に行けない老人のためのサービスを始めている。政府や行政だけではなく、企業が高齢化社会への視点を持つことによって、単にサービスの受給者としての老人ではなく、社会に貢献し続ける老人としてのポジションが生まれるのではないだろうか。要は高齢者を社会の弱者として捉える視点ではなく、豊かな人生体験を持った人々、社会に優しさをもたらすことの出来る人々と捉える視点が重要だと思う。そこから面白い発想も生まれると思う。これからますます深化(進化)する高度情報化社会、知識化社会では、生きる上での老人の知恵は極めて大切な資源となるべきである。

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日米文化の交差点

 アニメエクスポカリフォルニアに住み始めて42年になりますが、今ほど日本のありとあらゆる文化が日常的に見られる時代はありません。
独立記念祭休日の週もロサンゼルス・コンベンション・センターでは「Anime Expo 2009」が開催され、4万人余りの観客が押し寄せていました。日本から飛んで来た「モーニング娘」が歌と踊りで会場を盛り上げ、日本の有名な漫画家やアニメーター達が通訳を付けながらも、最新のマンガ・アニメ事情を語っていました。これを主催する団体の名前はカリフォルニア州アナハイム市に本部を置く「日本アニメーション振興会」です。

 ハリウッドでも日本のマンガやアニメの映画化が進んでいます。私達が子供の頃に楽しんだ「鉄腕アトム」も現在製作中でこの秋には「Astro Boy」のタイトルで全米封切される予定です。
今までにも「スピードレーサー」や「ドラゴンボール」なども映画化されています。この傾向は日本映画のアメリカ版製作の動きと共にこれからも加速しそうです。日本のオタク現象はカリフォルニアにも飛び火し、「コスプレ」大会なども定期的に開催されています。

 先だっては東京国立博物館所蔵の日本の武士社会で使用された武具や刀剣に加え、日常生活での道具などが「サムライ展」としてサンタアナ市の美術館で長期に渡り開催され、その精緻な芸術性を愛でるアメリカ人観客の姿が眼を引きました。カリフォルニアではいつもどこかで日本の美術展や文化イベントが開かれています。盆栽や錦鯉や秋田犬のショーから空手・柔道・剣道・薙刀の試合から最近では毎年相撲トーナメントも開かれ、人気を呼んでいます。

 日本食を楽しむ層は以前の一部の日本趣味の人々から広く一般大衆に広がっています。今日ではsushiの出ないパーティは豪華なパーティとは言われない程です。高級ホテル等で催されるイベントでもsushiは一番人気です。ロサンゼルスのリトル・トーキョーには「大黒屋」と言うラーメン屋があるのですが、そこは日本人以上にロサンゼルスのヒップな若者で大人気です。豆腐やソバに続き、酒やお茶も人気が高まっています。

 同時に依然としてカリフォルニアはアメリカのエンターテインメントの日本への発信地です。最近亡くなったマイケル・ジャクソンや「チャーリーズ・エンジェル」のファラー・フォーセットの死には日本でも多くのファンが悲しみました。現在でもハリウッド映画は多くの日本人ファンを持っています。今後ますます日米の文化の交差点としてカリフォルニアはその存在価値を高めて行くだろうと感じています。

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変わるアメリカ人の消費性向

 最近アメリカ人も大分変わったなと感じることが良くあります。その一つが彼らの消費性向です。もともとアメリカは楽天的な人が多く、アメリカン・ドリームを夢見て頑張る人が少なくありませんでした。

 移民国家だけに裸一貫新生活での成功に懸命の努力をした第一世代でした。しかし、第二世代、第三世代となると、その質実剛健な生き方は変わり、イージーな大量消費社会へ変わって行ったという歴史があります。

 「Buy Now, Pay Later」のキャッチフレーズで企業や商人は庶民の購買意欲を盛り上げて来ました。また月賦制度やクレジットカードの制度も発達し、将来の収入を見込んで、欲しい物をすぐに購入するのが極めて一般的な行動パターンになりました。経済は発展し、収入も上がり続け、その大量生産、大量消費のパターンは正しいもののように思われました。

 ところがここに来て百年に一度とも言われる不況です。クレジットカード会社はライン上限金額を5千ドルを3千ドルに、3千ドルを1千ドルに減額し、今まで学生や収入の少ない若者などにも発行していたクレジットカードを発行しなくなりました。カード会社自体の取り漏れが増え、資金繰りも厳しくなったせいです。失業者の数も増え、平均労働所得も減っています。

 さすがに今までは楽観的で、車は新車を三年や五年おきに買い換えたり、新型電気製品を発売と同時に買い求めた昔の傾向はほぼ消えました。テレビの主婦番組ではいかに自分が上手に節約しているかを競う番組が人気を得たり、新品でなく中古の品物を見つけたり、家庭菜園を始めたりと本当に様変わりです。現在は「Save Now, Buy Later」が一般消費者の傾向です。

 そのせいか町にはDiscount やThrifty やSale の看板が増え、リサイクル・ショップとして知られるGoodwill Store などに人気が集まっています。この傾向が来年か再来年景気が回復した後も定着するのかどうかは判りません。しかしアメリカ人も大量生産・大量消費社会へ戻る事はないように思われます。環境問題に対する配慮からエネルギーや物を大切にする傾向は世界の動きと呼応して定着するのではと感じています。

 しかしアメリカ人の消費性向の変化は国と国の関係で捉える時、米国は過去ほどには外国からの製品輸入をせず、絞って行く傾向になります。中国や日本など米国市場への大量輸出で収入を得た今までの状況も変化を求められるでしょう。今後は本当に米国人消費者が必要とし、エコな商品の開発が求められるようです。

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アメリカの教育あれこれ

 見ると聞くでは大違いと言われますが、私はアメリカに住むようになってそれを実感することが多いでした。教育の制度もその驚きの一つでした。日本の6・3・3制の教育は戦後占領軍統治の下、アメリカ式の制度を取りいれたものと聞いていたので、当然アメリカでもそれが一般的なのだろうと思っていました。ところが大違いでした。

 アメリカでは6・3・3制は少なく、6・2・4制や5・3・4制がはるかに多いのです。教育は各州の自治、更には郡や市にある学校区の判断に任されているので、実に多種多様です。義務教育はK12と言われ、幼稚園の年長組から高校の12年生までです。就学の年齢も地域により、5歳から16歳もあれば、6歳から17歳、7歳から18歳と様々です。

 50州のうち、16歳卒業が30州、17歳卒業が9州、18歳卒業が11州と言った様子です。日本では小学6年生、中学3年生、高校3年生と言えば、その年齢も判明しますが、こちらでは日本式に当てはめようとする混乱します。日本の小学6年生がこちらでは中学1年生である場合もあります。そのため、Elementary, Secondary(Junior High), Senior High School と学校の呼称はありますが、通常生徒を呼ぶ時は1年生から12年生まで通して呼ぶのが普通です。

 私は現在7年生ですとか、12年生ですという言い方が一般的です。あまり小学生、中学生、高校生とは言わないようです。授業の内容や使用する教科書も教える先生の判断に任されている部分もかなりあります。また学期もセメスターと呼ばれる二学期制やトライセメスターと呼ばれる三学期制と校区によって違い、一般的には始業は9月ですが、それも一定ではありません。留年や飛び級もざらです。

 通常の公立や私立の学校以外にホームスクーリングという親が責任を持って一定のカリキュラムを自分の子供に教えて卒業資格を得る制度やオルタナティブ教育と呼ばれる子供の現状(身体障害や特別に優れた頭脳を持つ子供達など)に合わせたシステムもあります。要は教育を教える側に立ち、画一性の弊害はあっても、統一的に行うのか、または子供の側に立ち、複雑さ・面倒さの手間は掛かっても、一人一人の子供の個性になるべく合わせるようにするのかの違いのようです。

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変化するアメリカ社会

 黒人の大統領が選ばれたり、メキシコ系の最高裁判事が選ばれたりしたからだけでもないのですが、最近ことにアメリカ社会の人種構成の変化を感じています。その変化が全米中に一番良く出ているのがカリフォルニア州であり、そして私の住むロサンゼルスです。「ロサンゼルス」と言う場合にはロサンゼルス市を意味する場合もあれば、それを含んだロサンゼルス・カウンティ(郡)を意味する場合もあります。

 ロサンゼルス・カウンティは全米中で一番人口の多いカウンティで現在1千万人を越えます。その中に88の市や町村があり、その中で一番大きい市がロサンゼルスで、現在の人口は406万人です。通常私が「ロサンゼルス」と言う時にはこの1千万人を含む地域を意味しています。ここで起きる変化は徐々にカリフォルニア州、更には全米へと広がる傾向があります。それは人種構成だけでなく、政治的・文化的変化や社会の流行なども含まれます。

 街の看板にスペイン語が増えました。また街で見かける人にもヒスパニック系の人が多くなりました。ヒスパニック系とはメキシコ系を中心に中南米系の人々を総称する言葉です。人口が増えれば経済力が増します。経済力が強くなれば、政治力が高まります。その動きが市や郡や州の選挙などに現れています。現在ロサンゼルス市の市長さんもヒスパニック系です。また音楽やファッションや食べ物などにもヒスパニック文化の影響が広がっています。

 スペイン語ほどではありませんが、最近は韓国語の看板も多く見るようになりました。従来の「コリアタウン」だけでなく、その広がりは各地に見られます。以前は日系人の数より遥かに少なかった韓国系の人口はいつの間にか日系人の人口を越えてしまいました。これはアメリカへの移民に積極的な韓国の人々と少し消極的で内向き傾向が出ている日本の人々との意識の差やベトナム戦争時に派兵した見返りとして永住権優遇策を得た韓国の背景などもあります。

 全米における人種構成は2008年の国勢調査統計で白人系が66パーセント、ヒスパニック系が15パーセント、アフリカ系が14パーセント、アジア系が5パーセントだそうですが、それが2042年には白人系が50パーセントを切り、2050年には白人系は46パーセント、ヒスパニック系が30パーセント、アフリカ系が15パーセント、アジア系が9パーセントになると予測されています。

 ヒスパニック系の躍進とアジア系の増加が見えます。白人系がマジョリティだったアメリカは今後ますます変化して行くのは間違いありません。多人種・他民族社会の傾向をさらに強くして行きます。アジア系も増えつつあるものの、その内容は韓国系、中国系、ベトナム系、フィリピン系などの人口増加であり、日系人の人口が増えないのは、アメリカの政治の動向を見守る上ではかなり懸念材料です。日本からも勇気を持ってアメリカの大地に挑戦する若者がもっと増えると嬉しいのですが。

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祝祭の季節

 常春の気候が年中続くカリフォルニアもさすがに秋風の中に少し冷たさがまじります。ハロウィーンの祭りにサンクスギビングディ、そしてクリスマスと祝祭の季節を迎えます。子供達が思い思いの仮装姿でキャンディーを求めて家々をノックして回るハロウィーンですが、今年は子供の数が例年より少なく感じました。豚インフルエンザのせいかも知れません。

 日本のようなはっきりした四季の変化がないカリフォルニアですが、祝祭の季節が近づくと、大人達は何かと気ぜわしくなります。アメリカ中に広く散らばって住む家族が年に二回一緒に集まるための準備も必要です。贈り合うギフト購入予算の算段や買い物計画も立てなければなりません。ましてや今年は経済不況の中です。一工夫が必要のようです。

 昨年のリーマンショックで始まった世界恐慌への不安は世界各国政府の協調金融対策で何とか収まったようで、最近のアメリカのGNPの伸びは予想より高いものでした。株価も以前のレベルに戻りつつあります。しかしその一方、CITグループという百年以上続いた大手銀行持ち株会社が倒産し、会社更生法を申請しました。危機はまだ完全には終っていないようです。

 問題は失業率の高さです。いくらか景気は上昇し始めたものの、雇用はなかなか伸びません。企業は新規雇用に慎重なようです。それだけに一般庶民の間にも不安の思いは消えず、生活防衛のために財布の紐は堅くなっています。そしてそのことが消費活動を減少させ、企業の収益を悪化させ、また雇用スランプを招いています。

 例年11月のサンクスギビングディから12月のクリスマスまでの祝祭の季節はアメリカでもっとも消費活動が活発化する時期と言われています。業種によっては年間売り上げの三分の一から半分にあたる売り上げがこの一ヶ月間に達成されるそうです。今年はどうでしょうか。祝祭の季節の小売業の成績が来年一年の景気を占うでしょう。

 しかし物に溢れ、消費は良いことだとばかりに借金してでも物を買っていたアメリカ人の傾向が収まることは地球環境のためにはプラスです。質実剛健に暮らし、物ではなく人間の思いやりや助け合いなど心の豊かさが増えるならば良きことではあります。同時にそれはアメリカの大量消費を支えるべく大量輸出していた日本に取ってはマイナス材料ではあります。

 地球環境にプラスの製品を創り、輸出すると共に、今まではなかったような楽しく快適な製品を生み出すよう日本の企業には努力が求められているようです。ハロウィーンに集った変わらない無邪気で明るい子供達の笑顔を見ながら、アメリカが、日本が、世界が、現在の経済不況を乗り越えて、不安のない心豊かな祝祭の季節を迎えられるようにと祈りました。

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平和なる世界への祈り

 キッチンから妻が夕御飯の準備をしながら聴いているCDの音楽が聞こえています。「千の風になって」で知られる秋川雅史さんが歌っています。

 先だってロサンゼルスで行われた彼の公演を聴きに行った際に彼女が購入したものです。「こよなく晴れた青空を悲しと思うせつなさよ」と流れる曲は原爆で愛する妻を失った悲しみを歌う名曲「長崎の鐘」です。

 私はリビングルームでテレビを観ながらオバマ大統領の演説を聴いています。アフガニスタン戦略を国民に説明する彼の熱弁が全米同時に放送されています。ウェストポイント陸軍士官学校での演説でアメリカがアフガニスタンから撤兵するまでの予定を語り、そのために現地の司令官の要請を考慮し、あらたに3万人の兵士を増派すると伝えています。

 ノーベル平和賞を貰った彼ですが、その彼がアルカイダやタリバンなどの名前が付いているとは言え、また人々を殺す兵士を送ろうとしています。中には誤爆や戦いに巻き込まれ、命を失う罪も無い人々も増えるでしょう。またアフガニスタンが地球上のどこかにあるかも知らなかったような十代・二十代のアメリカの若者が危険に身をさらすことになります。

 いずれもが正義を唱え、お互いを殺し合い、その結果、更に憎しみと復讐の輪廻を強めて行きます。何とかならないものでしょうか。アメリカは2001年9月の同時多発テロの再現を阻むために、そしてアルカイダがパキスタンの核爆弾を手に入れてアメリカを始め世界に災害を与えないようにするためにアルカイダを滅ぼそうとしています。

 私は妻と一緒に2003年から何度も世界を見る機会がありました。その旅で私の父が乗っていた潜水艦が沈めたオランダの潜水艦の艦長や機関士官の娘さん達と知り合いました。また逆に私の父の潜水艦を沈めたイギリスの潜水艦の艦長と会いました。それ以外にも太平洋戦争で受けた心の傷のため今でも日本を憎む元敵国の人々にオランダやアメリカで会いました。

 その体験から学んだことは人間の恨みや憎しみの背景には怒りや苦しみがあり、そして怒りや苦しみの原因には痛みや悲しみがあると言うことです。通常私達は表面に現れている恨みや憎しみ、怒りに反応してまたこちらも同じ感情を持ちます。状況は悪化します。もしその下にある相手の苦しみや痛みや悲しみに目を向ければ、そこに解決のヒントが見出せます。

 同時多発テロはアルカイダのアメリカに対する恨みや憎しみ、怒りが爆発して起きました。そしてアメリカはそれに反応してアフガニスタンやイラクを攻撃しました。仮定の問題ですが、あの時にアルカイダの苦しみや痛みや悲しみにアメリカが目を向けていたら、今とはまた違う状況になったかも知れません。

 今回の3万人増派の費用は300億ドル掛かるそうです。兵士一人に100万ドル掛かる計算になります。その巨額のお金が戦争ではなく対話や経済支援に使われたら、もっとより良い結果が出るのではないでしょうか。オバマ大統領は18ヶ月後の2011年7月にはアフガニスタンからの順次撤退を明らかにしましたが、彼の戦略がうまく行くことを私は願います。

 オバマ大統領は歴代のアメリカ大統領の中では他国の文化に対する感性が高い方のように思われます。最近では日本の天皇陛下へのお辞儀がアメリカで一部の人々から批判を受けました。「お辞儀」は英語では「Bow」となりますが、英語の「Bow」には「屈服する・服従する」と言う意味もあります。一つの言葉の意味合いの違いが要らざる誤解や反撥を生みます。

 言葉や文化の違いから生まれる誤解や反撥を無くし、正しく相手を理解するために外国の言葉や文化を学んだ京都外国語大学卒業生の私達には、ささやかながらも自分の居る場所で日々の努力をする責任があるのではないでしょうか。そして戦争と言う大きな人類の災厄を無くすためには自分の周りでまず争いを無くする必要があるのではないでしょうか。

 そのためには表面に現れている相手の恨みや憎しみや怒りに反応するのではなく、その原因である相手の苦しみや痛みや悲しみに目を向け、感じ取り、思いやりの心を注ぐべきだと思います。そしてその態度こそがあらゆる争いの究極的解決方法であり、また解決の後には素晴らしい友情と豊かで幸せな関係が生まれるのではと信じるこの頃です。

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著書について

 学習研究社から2009年7月に2冊目となる著書を出版されました。今回の本は三年前に出版された「海に眠る父を求めて日英蘭奇跡の出会い」の続巻です。前巻の印税は一部、京都外大の体育館建設にご寄付頂きました。
題名:「伊一六六潜水艦 鎮魂の絆」
著者:鶴亀彰
出版社:学習研究社
価格:1,890円(税込み)
出版日:2009年7月21日

「戦争で亡くなった者たちが心から望むものは何であろうか?
それは平和である。愛する者たちや郷土や祖国や世界の安寧である。
残された私達が平和と安寧の実現に真摯に努力することこそ尊い命を亡くした者たちへの最大の鎮魂である。三歳の時に父を亡くした筆者が還暦を過ぎてから妻と二人で始めた父を求める旅は予想もしない多くの発見をもたらした。それは太平洋戦争が引き起こした、今も続く、悲しみや痛みとの出会いであり、人智を越えた不思議な出会いであった。
伊一六六潜水艦乗組員遺族同士の心の交流であり、同潜水艦が撃沈し、撃沈されたオランダやイギリスの潜水艦関係者との和解と友情であった。真珠湾攻撃のアメリカ側の英雄やフィリピンで日本軍の捕虜となったアメリカ兵たちとの交流でもあった。
二〇〇三年から始まった筆者夫婦の足掛け七年の旅は過去の憎しみを未来の希望に変えるものだった。心に悲しみや痛みを持つ者同士がお互いに思いやることで素晴らしい和解と友情が生まれることを実証するものだった。これはその実録である。」



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